l全県 1 1月 1931 県内各企業の年始広告(S6.1.1岩手日報) 昭和6年元日、岩手日報に掲載された県内企業の年始広告には、当時の岩手経済界の様相がよく現れている。 中でも目を引くのが「岩手軽便鉄道株式会社」の広告である。同社は花巻町に本社を構え、花巻から遠野を経て仙人峠へと至るナローゲージ(軌間762mm)の地方鉄道を運営していた。後年、国鉄に買収されて「釜石線… 続きを読む
l全県 1 1月 1931 岩手の子宝たち(S6.1.1岩手日報) 昭和6年の元旦、岩手日報では「子福者(こふくしゃ)」──すなわち多くの子どもを持つ家庭──を取り上げた特集記事が組まれた。いずれも子だくさんを喜びとし、家族の和やかな団らん風景が写真と共に紹介されている。 七男七女の子福者(宮古町横町) 宮古町横町では、七男七女の14人きょうだいを育てた一家が登場。… 続きを読む
l全県 1 3月 1930 岩手県の新生児死亡率は「ベラボーに高率」(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 記事によると、当時の岩手県では嬰児(乳児)死亡率が他府県に比べて「ベラボーに高率」とされ、深刻な問題として県当局が受け止めていた。具体的な統計数字は掲載されていないものの、その表現から事態の切迫感が伝わってくる。 これに対して岩手県の社会課は、乳児の死亡を防ぐための… 続きを読む
l全県 1 3月 1930 少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) この年から、海軍では新たに「少年航空兵」の募集を始めることとなった。 「少年航空兵」とは、年少のうちから選抜・教育され、将来の海軍航空隊員として育成される制度である。身体的・精神的に健全で、かつ将来的に飛行機乗りや航空技術者としての資質を持つ者が対象とされた。 横須賀鎮守府管内での採用枠は40名とご… 続きを読む
l全県 9 1月 1930 岩手日報の夕刊の始まり(S5.1.9岩手日報) 【郷土史】岩手日報「夕刊」の幕開け ― 昭和5年、速報にかけた新聞人の情熱 現代ではスマートフォンで「いま」のニュースを知るのが当たり前ですが、かつてその役割を担っていたのは「夕刊」でした。 Screenshot 今回は、岩手における報道のスピードが劇的に変わった瞬間を、当時の貴重な紙面とともに振り… 続きを読む
l全県 6 9月 1929 一面は広告欄(S4.9.6岩手日報) 昭和4年9月6日の『岩手日報』一面を開くと、目に飛び込んでくるのは新聞記事ではなく、所狭しと並ぶ地元企業の広告の数々である。見出しも記事本文もなく、紙面全体が広告に費やされている。 とりわけ目立つのは、「松屋百貨店」の創業二周年記念感謝大売出しの広告だ。丸に「松」の紋を大きく掲げ、扇風機や下駄、時計… 続きを読む
l全県 1 9月 1929 震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) 昭和4年9月1日付の岩手日報には、「けふは二百十日、そして震災記念日」と題された記事が掲載されている。 9月1日といえば、関東大震災の発生日として広く記憶されている。1923年(大正12年)のこの日、首都圏を中心に未曾有の大地震が襲い、多数の死傷者と甚大な被害をもたらした。この出来事を契機に、9月1… 続きを読む
l全県 1 9月 1929 青訓査閲日程(S4.9.1岩手日報) 昭和4年9月1日付『岩手日報』に掲載された「青訓査閲日割」は、青年訓練所における盛岡工兵連隊の査閲日程を伝えるものである。担当官として第三区が日置中佐、第四六が瀬能大佐と記されており、それぞれ上閉伊郡・気仙郡、胆沢郡・西磐井郡・東磐井郡の青年訓練所を巡る予定が示されている。 青年訓練所(青訓)は、戦… 続きを読む
l全県 1 9月 1929 岩手文化投票の中間集計(S4.9.1岩手日報) 昭和4年の岩手日報には、「岩手文化投票」なるユニークな企画が展開されていたようです。 昭和4年9月1日付の紙面では、その中間集計が大きく掲載されており、県内各地の文化人・団体・機関などに対する投票の様子がうかがえます。 とはいえ、この投票の趣旨や制度の詳細――たとえば、 誰が投票できるのか 投票の方… 続きを読む
l全県 1 9月 1928 イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 広告欄に掲載されているのは、当時まだ新興企業だった「東京軽便浣腸製造所」による製品、「イチジク印軽便浣腸」。着物姿の母親が子どもに浣腸を施す印象的な図柄が目を引く。 この「イチジク浣腸」は、1925年(大正14年)に医師・田村廿三郎によって製造が開始されたもので、翌… 続きを読む
l全県 20 2月 1928 普通選挙法下初めての国政選挙(S3.2.20岩手日報) 昭和3年2月20日、日本は憲政史上かつてない大きな転換点を迎えていました。1928年2月20日の岩手日報の紙面を飾るのは、日本で初めて納税額による制限が撤廃された普通選挙が実施された日の記録です。それまでの選挙権は直接国税3円以上を納める一部の男子のみに許された特権でした。当時の3円という金額は、現… 続きを読む
l全県 1 1月 1928 昨年の回顧(S3.1.1岩手日報) 昭和3年の元旦に発行された岩手日報の紙面を飾る「昨年の回顧」は、前年の昭和2年がいかに激動の1年であったかを物語っています。この資料は岩手県内のみならず、日本全国、そして世界を揺るがした出来事を一枚の絵巻物のように凝縮して伝えており、大正から昭和へと時代が移り変わった直後の特有の熱量と不安が混在して… 続きを読む
l全県 1 1月 1928 昭和二年県下漫観一年史(S3.1.1岩手日報) 昭和3年1月1日の岩手日報に掲載されたこの資料は、清二郎という絵師が昭和2年の岩手県内における出来事や世相を1枚の絵に凝縮した、非常に興味深い記録です。昭和2年県下漫観一年史と題されたこの作品は、今でいう年末年始の特別企画のような位置付けであり、当時の岩手の人々がどのような1年を過ごしたのかを視覚的… 続きを読む
l全県 22 4月 1927 昭和金融恐慌で支払猶予令を支払猶予令を閣議決定(S2.4.22岩手日報) 昭和二年四月二十二日の岩手日報が伝えるのは、日本経済がまさに崩壊の淵に立たされた昭和金融恐慌の決定的な瞬間です。この日の紙面を支配しているのは、政府による支払猶予令、いわゆるモラトリアムの発動という衝撃的なニュースでした。 Screenshot 全国一斉休業という巨大な見出しが示す通り、この日から三… 続きを読む
l全県 16 3月 1927 県下各校の配属将校が決定(S2.3.16岩手日報) 昭和2年3月16日の『岩手日報』より。 この時代、岩手県内の旧制中学校や高等女学校、実業学校などには「配属将校」と呼ばれる軍人が派遣されていた。これは学校での軍事教練や思想教育の一環として、陸軍省が制度化していたものである。 この日の新聞には、岩手県下の各校に新たに配属される将校の人選が決定したとい… 続きを読む
l全県 15 3月 1927 山陰大震災に岩手県内でも義捐金募集(S2.3.15岩手日報) 昭和2年3月7日に発生した「山陰大震災」——現在でいう「北丹後地震」に対し、岩手県内でも義捐金を募る動きが広がった。 同月15日付の『岩手日報』には、被災地支援のための義捐金募集広告が大きく掲載されている。 「亡くし難き眷族を失ひ、愛児を喪ひ、親夫に別れ、住む家なく食ふに飢え、寒さと飢と恐怖と戦ひ…… 続きを読む
l全県 9 1月 1927 警察電話も寸断されるような暴風雪(S2.1.9岩手日報) 昭和2年1月8日、岩手県内は冬型の気圧配置の影響で猛烈な暴風雪に見舞われた。各地で家屋の倒壊や倒木、電線の切断が相次ぎ、交通や通信に甚大な影響を及ぼした。 なかでも深刻だったのは、県内の警察電話が全面的に不通となってしまったことである。記事によれば、「復旧までには十日を要す」との見通しが出されており… 続きを読む
l全県 4 1月 1927 諒闇でも講談社の広告は元気(S2.1.4岩手日報) 昭和2年正月――前年末に大正天皇が崩御し、日本全体が厳粛な空気に包まれていたはずの時期である。新聞紙面も「諒闇」(りょうあん)として華美を避ける風潮が一般的だった。 ところが、そうした空気をまるで意に介さないような広告が、昭和2年1月4日付『岩手日報』朝刊に掲載された。発信元は、大日本雄弁会講談社。… 続きを読む
l全県 1 1月 1927 昭和2年の元旦は「諒闇奉悼」(S2.1.1岩手日報) 昭和2年(1927年)1月1日の岩手日報―― その元日号は、私たちがよく知る「新年の新聞」とはまったく趣を異にしています。 前年12月25日、大正天皇が崩御され、ただちに昭和と改元。新天皇・裕仁親王の践祚により、新しい時代が始まりました。 しかし、宮中では深い哀悼の意を表す「諒闇(りょうあん)」の期… 続きを読む
l全県 29 12月 1926 昭和元年の岩手日報は今日で最後です(S元.12.29岩手日報) 昭和元年十二月二十九日の『岩手日報』には、簡潔な一文が載っていた。 お断り 本日の本紙を以て本年の終刊と致します この年の十二月二十五日、大正天皇が崩御し、改元されて間もない時期である。昭和という元号はすでに用いられているが、世は「諒闇」の期間中にあった。新聞や雑誌、広告、演芸、映画なども相次いで自… 続きを読む
0_主要ニュース 26 12月 1926 大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈… 続きを読む