l全県 2 9月 1947 ドラム缶風呂は1,180円(S22.9.2新岩手日報) 広告欄より。 ドラム缶風呂が売っていて、1,180円であったという。 ちなみに、昭和22年当時の東京都職員の平均給与が3,542円であった時代。… 続きを読む
l全県 2 9月 1947 タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!(昭和22年9月2日) 昭和22年9月2日の新岩手日報より。 広告欄には「タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!」と出ている。 どのようにして使うのかは不明。 … 続きを読む
l全県 17 8月 1945 さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では… 続きを読む
l全県 10 7月 1945 仙台鉄道局では7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」とする(昭和20年7月10日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 仙台鉄道局では、戦時体制の維持の為に、7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」と定めることにした。 これは、軍需省(昭和18年に商工省から改組)の定める重要資源と、食糧以外の輸送を極力抑制し、それ以外の貨物の受付を場合によっては拒絶するというもの。 また… 続きを読む
l全県 2 7月 1945 「お願い!内地の人!朝鮮で警察官になって!」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報の広告欄より。 「朝鮮総督府警察官大増員」という広告がある。 応募資格は「徴兵ヲ終ヘタル満十九歳以上四十歳ノ内地人」。 内地人限定であった。 岩手県下での採用試験は、岩手県警察官練習所と、花巻警察署の2か所であった。 … 続きを読む
l全県 2 7月 1945 県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 木炭の需要はいやがうえにも高まっていた。 家庭用に使うだけではなく、自動車を動かす、製鉄用の燃料といった用途でも使うようになっていた。 昭和20年度の生産目標は1114万俵となっていた。 そこで、7~8月を「緊急築窯期間」と定め、増産を図ることとした。 窯の増設に… 続きを読む
l全県 1 1月 1945 警視庁「お願いだから東京で巡査に応募して!産業戦士やめてでも来て!」 昭和20年元旦の岩手日報より。 東京の警視庁が新聞広告で大々的に巡査を募集している。 この増産報国のご時世に、「産業戦士モ奮テ応募セヨ」となりふり構わず応募かけている。 … 続きを読む
l全県 1 12月 1944 12月15日以降白金を所有している人は罰金か懲役ですよ!供出しましょう!(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 戦局は逼迫しており、白金の供出に迫られていた。 それで、「12月15日以降の白金の所有者は懲役10年以下か罰金500円以下」になるというのである。… 続きを読む
l全県 1 12月 1944 東北配電より電灯用電球の配給に関するお知らせ(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 当時は電気事業は「東北配電」であった。 そして電球も配給制だったようである。 その旨のお知らせ。 … 続きを読む
l全県 1 12月 1944 防寒着や飛行服のためにヌートリアを飼育しましょう!(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 広告欄には飛行服のためにヌートリアの飼育を奨励する広告。 ヌートリアは良質の毛皮になるので、飛行服や防寒着用に飼育を奨励されていた。 しかし、平成以降は「特定外来種」として農作物を食害する害獣として忌避されることになる。 人間の罪深きことよ・・・ … 続きを読む
l全県 2 8月 1944 夏休み返上で鍛える少年航空兵希望の国民学校児童(S19.8.2新岩手日報) 夏休み返上で、国民学校の児童が少年航空兵目指して鍛えているというが、岩手県内の学校かどうかは不明。 まさかこういうのまで軍事機密だったとか?… 続きを読む
l全県 1 8月 1944 今日から学童の夏季鍛錬期間(S19.8.1新岩手日報) 戦時中なので夏休みだからといって子供だってゆっくりできるわけではない。 夏季鍛錬期間といって何かしらやらないといけなかった。 … 続きを読む
l全県 1 8月 1944 岩手県協和会が朝鮮半島出身労働者を表彰(S19.8.1新岩手日報) 岩手県協和会は、半島出身労働者を表彰した。 このことからも、朝鮮人がどこで多く働いていたかが分かろうというもの。 … 続きを読む
l全県 8 12月 1943 岩手興産無尽も「貯蓄必成」「米英撃滅」(S18.12.8岩手日報) 昭和16年に太平洋戦争が始まって3年目を迎えようとしていた。 それで岩手興産無尽(現:北日本銀行)も気合の入った手書き広告。 それに加えてラジオ番組欄も。… 続きを読む
l全県 8 12月 1943 必勝の誓ひ新たに奉戴日(S18.12.8新岩手日報) 昭和16年12月8日に太平洋戦争の宣戦布告をしてからというもの、毎月8日は「大詔奉戴日」として必勝の誓いを新たにするようにしていたようだ。 それで、県内の各企業が連名で広告を出していた。… 続きを読む
l全県 1 12月 1943 千葉県の第二海軍航空廠で工員募集(昭和18年12月1日) 昭和18年12月1日の新岩手日報より。 求人広告では、千葉県の第二海軍航空廠で工員を募集している旨。 第二海軍航空ショーとは、現在の航空自衛隊木更津分屯基地となる。 … 続きを読む
l全県 15 4月 1943 大政翼賛会岩手県支部「花見シーズン!花に浮かれるな!不要不急の旅行をやめよ!」(S18.4.15新岩手日報) 花見シーズンを前に、大政翼賛会岩手県支部は「花に浮かれるな!不要不急の旅行をやめよ!」と御触れを出す。… 続きを読む
l全県 6 4月 1943 牛は粗食だが菌力で肥っている!だから人間も…(昭和18年4月6日) 昭和18年4月6日の岩手日報より。 広告欄には「牛は粗食だが肥っている」と、イースト菌の広告を打っている。 今考えれば滅茶苦茶だが、この戦時下にあっては一定の説得力があったのだろう。 … 続きを読む
l全県 4 4月 1943 電話供出に赤誠(昭和18年4月4日) 昭和18年4月4日の新岩手日報より。 国家総力戦の下、重要生産場面の重点要求に応じて、仙台逓信局では、2月16日から管内重要局に呼びかけて、不要不急の電話の供出運動を開始した。 3月31日をもって締め切ったが、105個と言う好成績に達した。 仙台39 塩竈9 青森13 八戸3 盛岡4 秋田13 山形… 続きを読む
l全県 20 1月 1942 日独伊軍事協定が成立し、岩手県下でも新たな感激(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 見出しは「日独伊軍事協定成立の快報 県下に新たな感激」と題し、「待望の日独伊軍事協定がベルリンに於いて調印された」とのことで、「我が方参謀部長ならびに軍令部長の名を以て代理者がこれを行った巡潜たる軍事協定で・・・」とのことであった。 これは、1月18日に調印され… 続きを読む