m県外・参考 1 11月 1932 青森県警察部でニセ高文官僚(S7.11.1岩手日報) 昭和七年十一月一日の岩手日報に、青森から電話で届けられた驚くべきニュースが掲載されています。自分と同じ名前を持つ「エリート合格者」の経歴を丸ごと盗み、警察幹部の座を手に入れた男の、あまりに大胆ななりすまし事件です。 事件の主役は、青森県西津軽郡出精村(現在のつがる市)出身の三十四歳の男でした。男は、… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1932 花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日) 昭和7年7月3日の読売新聞より。 7月1日の夜、東北本線の花巻付近で男女が轢死する人身事故があった。 どうやら遺留品を見てみると、二高(旧制。現在の東北大学教養部)の生徒とその恋人らしい。 仙台からも二高の生徒主事がやってきて確認に来たところ「間違いない」ということになった。 ところが、その二高生の… 続きを読む
m県外・参考 23 5月 1932 水沢出身・斎藤実に組閣の大命(S7.5.23岩手日報) 【歴史の転換点】1932年5月23日、岩手の巨星・斎藤実が受けた「組閣の大命」 1932年(昭和7年)5月23日。この日の岩手日報の紙面には、重苦しくも力強い大きな見出しが躍っています。 「斎藤子、午後六時参内 組閣の大命を拝す」 Screenshot 「五・一五事件」で犬養毅首相が凶弾に倒れてから… 続きを読む
m県外・参考 20 9月 1931 支那軍が満鉄線を爆破(S6.9.20岩手日報) 昭和6年9月20日の岩手日報は、満州事変勃発直後の緊迫した情勢を克明に伝えています。主文は、暴戻なる支那軍が満鉄線を破壊襲撃し、これを受けて日支両軍が遂に砲火を交え、我軍が奉天城を占領したことを大々的に報じています。 Screenshot 記事によれば、18日午後10時30分頃、奉天北北大営西方付近… 続きを読む
m県外・参考 1 9月 1931 農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(S6.9.1岩手日報) 二百十日といえば、稲作農家にとっては一年の節目とも言える重要な日である。立春から数えて210日目、例年9月1日がこれにあたる。 この日は古来より「台風が来る日」として恐れられてきた。せっかく育ててきた稲が、刈り入れ前に暴風雨でなぎ倒されるかもしれないという不安がつきまとうからだ。 昭和6年の「二百十… 続きを読む
m県外・参考 1 1月 1931 在仙県人有志からも年始の挨拶(S6.1.1岩手日報) 昭和6年の元日、岩手日報紙面には、仙台で活躍する岩手県出身者や県ゆかりの企業からの新年広告がずらりと並んだ。 「謹賀新年」の大きな題字とともに、「在仙縣人有志不動町」と記された枠には、仙台市で事業や商売を営む岩手出身の人々が名を連ねている。 また、広告を出している企業の多くは、所在地に「仙臺」「青葉… 続きを読む
m県外・参考 8 7月 1930 ロンドン軍縮会議で閣議や四巨頭会談(S5.7.8岩手日報) 昭和5年7月8日:軍縮と不況、揺れる日本の縮図 昭和5年(1930年)7月8日付の「岩手日報」の紙面を広げると、そこには国家の存亡をかけた外交問題と、国民の切実な生活不安が同居する、極めて緊迫した時代の空気が閉じ込められています。 1. 海軍の「四巨頭」が激突した日 Screenshot 紙面のトッ… 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 函館で不敬事件発生。内容は極秘(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報によれば、函館市で不敬事件が発生し、関係者が拘束された。 事件は、函館地方裁判所の令状に基づき、潮見刑務所支所で取調べが行われたとされているが、その内容は「極秘」とされており、一切が伏せられている。罪名として「不敬罪」が示されているのみで、具体的にどのような発言や行動が問題… 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(S5.3.1岩手日報) 大正10年11月4日、日本の総理大臣・原敬が東京の大塚駅で刺殺された。犯人は当時24歳の鉄道省転轍手・中岡艮一であり、裁判の結果、無期懲役の判決を受けた。 それから9年後の昭和5年3月1日、岩手日報には服役中の艮一の出所が近いという報道が掲載された。その記事では、東京・大塚駅近くで支那そば屋を営む艮… 続きを読む
備考※1 24 10月 1929 【参考】世界恐慌・ブラックサーズデー 昭和4年10月24日、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落。 「ブラックサーズデー」。 https://www.youtube.com/watch?v=UMm_Y2N9Soo… 続きを読む
m県外・参考 5 9月 1929 「一寸法師歌劇団」が来朝(S4.9.5岩手日報) 昭和4年9月3日、ある小さな人々の一行が「来朝」したとの報が、9月5日の『岩手日報』に掲載された。その名も「一寸法師歌劇団」。男女混成の近代的な一座でありながら、身長わずか二尺三寸(約70cm)から二尺九寸(約100cm)という小人症の団員たちで構成された異色の歌劇団である。 団員たちは、いわゆる「… 続きを読む
m県外・参考 2 9月 1929 岩手出身の美術教師が帝展で入選(S4.9.2岩手日報) 昭和4年の帝国美術展覧会(帝展)において、東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鷗高校)の美術教師・橋本花子さんが、「七面鳥」と題する作品で新入選を果たした。しかも今回は「折紙付きの特選」として、高い評価を受けたことが紙面で紹介されている。 橋本さんは青森市の出身で、女子美術学校(現・女子美術大学)… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1929 今度の盛岡税務署長は「鬼熊事件」で有名な千葉県の佐原出身(S4.9.2岩手日報) 昭和4年9月2日の『岩手日報』には、盛岡税務署に新たに着任した署長についての記事が掲載されている。 この新署長が盛岡駅に到着したのは、9月1日の午前11時36分着の列車。岩手日報の記者に対し、彼はまず丁重にこう述べたという。 「赴任が意外に遅れまして、まことに申し訳ございませんでした」 話を聞けば、… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 14 4月 1929 後藤新平死去(S4.4.14岩手日報) 【歴史資料】昭和4年、郷土の巨星・後藤新平伯の最期を伝える新聞 こんにちは。本日は大変貴重な歴史資料を共有します。今から約95年前、昭和4年(1929年)4月14日付の『岩手日報』夕刊です。岩手が誇る偉大な政治家、後藤新平伯の急逝を報じる当時の紙面を紐解きます。 ■ 岡山への旅の途上、京都での客死 … 続きを読む
m県外・参考 8 9月 1928 御大典に際し御真影(S3.9.8岩手日報) 昭和3年9月8日付の岩手日報夕刊には、天皇陛下と皇后陛下の御真影が掲載された。陸軍の正装を纏い、勲章や佩剣をおつけになった天皇陛下、ティアラと勲章飾帯をお召しになった皇后陛下、それぞれの公式肖像である。 この御真影の発表は、昭和3年11月に京都で予定されていた即位の礼と大嘗祭、いわゆる御大典を控えた… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 10月 1927 サンマの季節の貨物列車 微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 7月 1927 平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが 昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では… 続きを読む
l全県 22 4月 1927 昭和金融恐慌で支払猶予令を支払猶予令を閣議決定(S2.4.22岩手日報) 昭和二年四月二十二日の岩手日報が伝えるのは、日本経済がまさに崩壊の淵に立たされた昭和金融恐慌の決定的な瞬間です。この日の紙面を支配しているのは、政府による支払猶予令、いわゆるモラトリアムの発動という衝撃的なニュースでした。 Screenshot 全国一斉休業という巨大な見出しが示す通り、この日から三… 続きを読む
m県外・参考 8 1月 1927 東京株式情報(S2.1.8岩手日報) 昭和2年1月8日の岩手日報には、東京の株式・米相場・生糸相場など、当時の主要市場の価格がずらりと並んでいる。今の証券アプリのように一瞬で価格が動くわけではなく、新聞紙面が一般の人にとってほぼ唯一の情報源だった時代だ。 Screenshot しかし、こうした記事が地方紙に毎日のように掲載されていたとい… 続きを読む
m県外・参考 29 12月 1926 新帝陛下が初の東京御帰還(S元.12.29岩手日報) 昭和元年12月29日付の岩手日報には、葉山から東京駅に御帰還あそばされた新帝・裕仁陛下の御模様が、厳かに報じられている。写真には、東京駅のホームに御召し列車が到着し、関係者が深々と頭を垂れて陛下をお迎えする光景が映されている。厳寒の空気の中、昭和の御代の始まりを象徴する静謐な一瞬である。 陛下が葉山… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 12月 1926 諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で… 続きを読む
m県外・参考 29 12月 1926 東京で岩手の木炭が飛ぶように売れる(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の岩手日報から、当時の岩手県産木炭が東京で大変な売れ行きを見せていたことが分かります。 記事によれば、東京都内・隅田川の近くに岩手県営の木炭倉庫がありました。現在の感覚では少々意外ですが、戦前の都市生活において木炭は暖房や炊事に欠かせないエネルギー源であり、各地方からの出荷拠点と… 続きを読む
0_主要ニュース 26 12月 1926 大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈… 続きを読む