a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1942 新興キネマ「花嫁剣法」封切します!(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 新興キネマ「花嫁剣法」が封切するという。 主演は大友柳太郎で初公開は昭和16年9月18日 ・・・が、新興キネマというのは当時の映画配給会社であり、この記事の3日後に大都映画と合併して大日本映画製作(大映)が発足するのであるが、別に盛岡にそのような劇場があったわけで… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1942 盛岡・内丸座で松竹映画「君と僕」封切!(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 盛岡・内丸座で松竹映画「君と僕」を封切するという。 主演は小杉勇で、李香蘭が特別出演するという。 初公開は昭和16年11月15日であったので、タイムラグは2か月弱。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1942 岩手公園の鶴ヶ池で少国民の群れがスケート(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 記事では「銀板上に嬉々としてたわむれる少国民の群・・・」と記述してある。 岩手日報の本社からすぐ目の前の岩手公園の鶴ヶ池にヒマ種を探しに来たのだろうか。 「次代の東亜共栄圏を背負って立たなくてはならぬ少国民よ、そうだその元気を失わず寒さにもめげぬ強い身体と強い心を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 11月 1941 盛岡郊外・釜石街道にかかる簗川橋が復旧完成! 昭和13年の水害で流失した県道盛岡釜石線の簗川橋が昭和16年11月28日に復旧完成した。 現在の盛岡市内から東安庭や乙部へ向かう方のあの橋である。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 11月 1941 記者が古参機「8620型」に同乗して山田線を取材 昭和16年11月28日の岩手日報より。 「国防国家の運勢は鉄道事故の発生によって支障をきたす・・・」という書き出しで始まっているが、鉄道の機関士の仕事がどのようになっているかを取材すべく、記者が機関車に同乗して取材することになったようである。 記事によれば「支線にのみ使用されているという八六二〇型機… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 11月 1941 前線に送る「スンベ」「ツマゴ」出荷最盛期(S16.11.7新岩手日報) 「スンベ」「ツマゴ」とはどちらも藁で作った雪上の履き物。 農閑期の貴重な財源だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1941 産業報国会が県下産業戦士投炭協議会を開催(昭和16年11月5日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 労働組合を翼賛体制に組み込んだ「大日本産業報国会」は、11月5日に内丸産業奨励館北館で県下産業戦士投炭協議会を開催した。 参加者数は「数においてはいささか物足りなさを感じたが」という程度であったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1941 盛岡中劇で「世界の涯てに」を公開します!(昭和16年11月6日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。」 盛岡中劇では「世界の涯てに」を公開する。 「世界の涯てに」(原題:ZU NEUEN UFERN)は1936年(昭和11年)制作のドイツ映画で、日本での初公開は昭和16年であるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1941 盛岡・第一映画劇場では「青春角力日記」「越後獅子祭」を公開します!(昭和16年11月6日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 盛岡の第一映画劇場では「青春角力日記」と「越後獅子祭」を公開するという。 「青春角力日記」は昭和13年5月21日初公開の東宝映画で、スポ根映画のはしりであるともいわれている。 「越後獅子祭」は昭和14年8月20日初公開の東宝映画で、長谷川一夫や入江たか子が出演。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1941 盛岡・内丸座で「雪之丞変化」を封切します!(昭和16年11月6日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「雪之丞変化」を封切する。 「雪之丞変化」は昭和10年、昭和34年、昭和38年と数回映画化されているが、これは昭和10年版であろう。 主演は林長二郎。 「絶対新版」と書いてはいるものの、初公開からすでに6年経過しており、よくもまあそんなことが言え… 続きを読む
j東磐井郡 4 11月 1941 紀元二千六百年を祝して千厩・煙草神社で奉祝祭(S16.11.4新岩手日報) 紀元二千六百年を祝して、葉タバコの一大産地である千厩の煙草神社では奉祝祭。 千厩始まって以来の賑わいであったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1941 松屋デパートで冬物や毛糸の特配(S16.11.2新岩手日報) 広告欄より。 盛岡の松屋デパートでは、冬物や毛糸の特配があったという。 衣料品まで配給の時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1941 毎月1日は興亜奉公日(S16.11.2新岩手日報) 昭和十四年以降、毎月1日は「興亜奉公日」として、弁当は日の丸弁当にすることなどが定められていた。 盛岡市内でも、興亜奉公日の遥拝などが展開されていた。 … 続きを読む
j東磐井郡 1 11月 1941 千厩に「たばこ神社」(昭和16年11月1日) 昭和16年11月1日の岩手日報より。 葉タバコの産地として名高い東磐井地方では、紀元2600年を記念して「たばこ神社」を設立した。 そして水沢の駒形神社の宮司により、鎮座祭がおこなわれた。 現在でもなお、東磐井郡の観光スポットとして名前が上がっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1941 盛岡劇場で藤原義江楽団「カルメン」公演(S16.11.1新岩手日報) 盛岡劇場では、藤原義江楽団によるオペラ「カルメン」が上演されるという。 … 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1941 電撃宰相東條さん「国を強くする為に皆んな働かう!」(S16.11.1新岩手日報) 時の宰相東條英機が大政翼賛会の会合で演説をする。 「国を強くするために皆んなで働こう!」 戦争とは例外なく職場をブラックにするものだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1941 国民学校の女教師も稲刈りに援軍(S16.11.1新岩手日報) まだ対米交渉に苦労していた時期。 資源も無くなっていき、国民生活も逼迫し始めていた時のこと。 国民学校の女教師は、加賀野の女子師範の農場で稲刈りに駆り出されることとなった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1940 盛岡の花柳街も戦時体制(S15.8.3新岩手日報) 戦時体制も本格的になり、盛岡の花柳街の八幡町・本町でもカンバン(閉店時間)の厳守など締め付けが厳しくなってきた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1940 盛岡で「聖戦銃後博覧会」、興亜奉公日は芸妓さんも「一日戦死」(S15.8.2新岩手日報) この時期は戦争モードとなっており、パワーワードが並ぶ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 ニッサンバス・トラックは振興自動車で!(S15.8.1新岩手日報) 広告欄より。 ニッサンバス・トラックは盛岡市仁王菜園に振興自動車で、と。 現在の仁王小学校から本町通や中央通すら越えた菜園のあたりも戦前は「仁王」だったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 盛岡でも米の切符制を(S15.8.1新岩手日報) 全国市長会議が札幌市で開催され、それに盛岡市長も出席したようであるが、この時点で札幌市では米の切符制を開始していたようだ。 盛岡市でもこれを導入すべきという市長の見解であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 9月に盛岡で紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会を開催!(S15.8.1新岩手日報) 9月には盛岡の岩手公園や桜山神社境内などで「紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会」を盛大に開催するのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 第一映画劇場で「女の街」を公開!(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 第一映画劇場では「女の街」を公開する。 「女の街」は昭和15年7月17日公開の東宝作品で、主演は原節子。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 第八新興閣で「母の願ひ」「花嫁十三夜」封切!(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 第八新興閣では「母の願ひ」「花嫁十三夜」を封切するという。 「母の願ひ」は昭和15年4月18日の新興キネマ作品で、出演は宇佐美淳・浦部粂子など。 特に宇佐美淳は二戸郡姉帯村(現:一戸町姉帯)で、「郷土スター」として宣伝されていた。 「花嫁十三夜」は昭和15年4月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 岩手医専附属病院の陣容(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 岩手医学専門学校(後年の岩手医科大学)の附属病院の陣容は以下の通りとなっていた。 … 続きを読む