m県外・参考 3 8月 1941 アメリカが対日石油輸出停止(S16.8.3新岩手日報) 【歴史の断片】昭和16年8月3日、運命の「石油禁輸」が報じられた日 今回、昭和16年(1941年)8月3日付の「新岩手日報」の紙面を入手しました。 真珠湾攻撃のわずか4ヶ月前、日本が国際的な孤立を深め、太平洋戦争へと突き進んでいく緊迫した時代の空気が生々しく伝わってきます。 Screenshot 当… 続きを読む
l全県 28 7月 1941 水害復旧にソバを植えよう!(S16.7.28新岩手日報) 【昭和の記憶】水害からの復旧と「そば」の植付 — 昭和16年、戦時下の岩手を襲った豪雨 昭和16年(1941年)7月28日付の『新岩手日報』。太平洋戦争開戦を数ヶ月後に控えたこの時期、岩手県内は記録的な大雨による水害に見舞われていました。 Screenshot 当時の紙面からは、物資不足という逆境の… 続きを読む
m県外・参考 28 7月 1941 オランダ・メキシコも対日資産凍結令(S16.7.28新岩手日報) 【歴史遺産】昭和16年7月28日「新岩手日報」が伝える、開戦直前の緊迫 今回入手したのは、今から80年以上前、昭和16年(1941年)7月28日付の「新岩手日報」の紙面です。 Screenshot 真珠湾攻撃のわずか4ヶ月前。世界が、そして日本が決定的な破局へと突き進んでいたその瞬間の「空気」が、こ… 続きを読む
m県外・参考 27 7月 1941 アメリカ資産凍結令に対抗措置(S16.7.27新岩手日報) 歴史の断片:昭和16年7月27日 【新岩手日報】開戦4ヶ月前、世界が凍りついた日の記録 今回ご紹介するのは、今から80年以上前、昭和16年(1941年)7月27日発行の「新岩手日報」の一面です。 Screenshot この日付は、歴史的に極めて重要な意味を持ちます。太平洋戦争(真珠湾攻撃)が始まるわ… 続きを読む
m県外・参考 27 7月 1941 アメリカ対日資産凍結令(S16.7.27新岩手日報) 【歴史の断片】昭和16年7月27日、新聞が伝えた「開戦前夜」の緊迫 先日、非常に貴重な歴史的資料を目にする機会がありました。昭和16年(1941年)7月27日付の「新岩手日報」です。 Screenshot 同年12月の真珠湾攻撃まであと半年足らず。日米関係がいよいよ破局へと向かう、まさに「開戦前夜」… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 2月 1941 県下3番目の宮古市発足(S16.2.11新岩手日報) 昭和16年2月11日の紀元節に発行された新岩手日報の紙面は、宮古市が産声を上げた瞬間の熱狂を詳細に伝えています。 Screenshot 明治22年の盛岡市、昭和12年の釜石市に続く岩手県内3番目の市として誕生した宮古市に対し、新聞は海陸無限の宝庫や世紀の発足、三陸沿岸の心臓といった力強い言葉を冠して… 続きを読む
m県外・参考 5 2月 1941 東京私立学校案内(S16.2.5新岩手日報) 昭和16年2月5日付の新岩手日報に掲載されたこの紙面は、当時の教育情勢と受験生の熱気を今に伝える貴重な資料です。中央に大きく掲げられた推奨校という題字を囲むように、東京を中心とした全国の名門大学や専門学校の広告が隙間なく並んでおり、その圧倒的な情報量からは当時の社会が教育に対して抱いていた期待の大き… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 2月 1941 岩手医専・岩手病院で防空演習(S16.2.5新岩手日報) 昭和16年2月という時期は、その年の12月に控えた太平洋戦争の開戦から遡ることわずか10ヶ月前という非常に緊迫したタイミングでした。当時の日本は前年に日独伊三国同盟を結び、アメリカとの対立が抜き差しならない状況にありましたが、その一方で駐米大使が交渉のために現地へ到着するなど、外交による破局回避を模… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 8月 1940 紀元2600年聖戦博覧会の地鎮祭(S15.8.4新岩手日報) 昭和十五年八月四日の『新岩手日報』には、紀元二千六百年を祝う「聖戦博覧会」の地鎮祭の様子が報じられている。 会場となったのは、盛岡市内丸の商品陳列所前の広場。桜山神社の宮司を招き、盛大に執り行われたという。 Screenshot 記事の見出しには「豪華殿堂輝やく礎」「聖戦博の地鎮祭」とあり、戦時色が… 続きを読む
l全県 3 8月 1940 興亜奉公日で観光地の客足は?(S15.8.3新岩手日報) S15(1940)年8月3日付『新岩手日報』より。 紙面には「遠出組も遠慮して温泉地も期待外れ」と題された記事が掲載されている。見出しには「改札口で湯に誘う興亜奉公日」とあるが、その内容を読むと妙な違和感を覚える。 Screenshot 当時はすでに戦時体制が急速に整えられつつあり、「興亜奉公日」と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1940 盛岡の花柳街も戦時体制(S15.8.3新岩手日報) 戦時体制も本格的になり、盛岡の花柳街の八幡町・本町でもカンバン(閉店時間)の厳守など締め付けが厳しくなってきた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1940 盛岡で「聖戦銃後博覧会」、興亜奉公日は芸妓さんも「一日戦死」(S15.8.2新岩手日報) この時期は戦争モードとなっており、パワーワードが並ぶ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 ニッサンバス・トラックは振興自動車で!(S15.8.1新岩手日報) 広告欄より。 ニッサンバス・トラックは盛岡市仁王菜園に振興自動車で、と。 現在の仁王小学校から本町通や中央通すら越えた菜園のあたりも戦前は「仁王」だったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 盛岡でも米の切符制を(S15.8.1新岩手日報) 全国市長会議が札幌市で開催され、それに盛岡市長も出席したようであるが、この時点で札幌市では米の切符制を開始していたようだ。 盛岡市でもこれを導入すべきという市長の見解であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 9月に盛岡で紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会を開催!(S15.8.1新岩手日報) 9月には盛岡の岩手公園や桜山神社境内などで「紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会」を盛大に開催するのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 第一映画劇場で「女の街」を公開!(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 第一映画劇場では「女の街」を公開する。 「女の街」は昭和15年7月17日公開の東宝作品で、主演は原節子。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 第八新興閣で「母の願ひ」「花嫁十三夜」封切!(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 第八新興閣では「母の願ひ」「花嫁十三夜」を封切するという。 「母の願ひ」は昭和15年4月18日の新興キネマ作品で、出演は宇佐美淳・浦部粂子など。 特に宇佐美淳は二戸郡姉帯村(現:一戸町姉帯)で、「郷土スター」として宣伝されていた。 「花嫁十三夜」は昭和15年4月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 岩手医専附属病院の陣容(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 岩手医学専門学校(後年の岩手医科大学)の附属病院の陣容は以下の通りとなっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 盛岡・松竹内丸座で「都会の奔流」「維新子守唄」公開!(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 盛岡・松竹内丸座では「都会の奔流」「維新子守唄」を公開する。 「都会の奔流」は、昭和15年6月13日公開の松竹作品で、出演は佐分利信・原保美・木暮実千代など。 「維新子守唄」は、昭和15年4月18日公開の松竹作品で、出演は伏見信子・海江田譲二など。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1940 ニッサンバス・トラックは仁王菜園の振興自動車で!(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報の広告欄より。 日産トラックの広告が掲載されているが、販売店の住所が「盛岡市仁王菜園」と書いてある。 菜園と言えば、この記事を書いている令和4年現在の川徳デパートの所であるのはいいとして、「仁王」なのか。 「仁王」と言えば、仁王小学校がある本町や上盛岡駅周辺の、中央通… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1940 新岩手日報から8人目の従軍記者(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報より。 この時期は日中戦争期であり、連日その戦況が新聞で報じられていた。 誰が情報を発信していたかと言えば、それは各部隊に従軍記者が随行していたからである。 この従軍記者により、郷土出身の将兵の武勲が県民に伝えられていたのである。 そしてここに8人目の従軍記者を送るこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 1月 1940 スケートリンクの乙女(昭和15年1月19日) 昭和15年1月19日の岩手日報より。 「溌剌北国の乙女 リンク所見」とだけ見出しを売っている写真が載っている。 実に楽しそうな顔の少女たちである。 スケートリンクは高松の池だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 19 1月 1940 釜石港ではイワシが豊漁(昭和15年1月19日) 昭和15年1月19日の岩手日報より。 釜石港では近年にないイワシの豊漁であり、須賀埋立地派イワシの山でトラックが轢きつぶすような状況であったという。 ちなみに記事中では一貫してイワシは「鰮」と表記している。 魚油は35,000缶と前年の9,500缶に比べて4倍近くなり、肥料に使う〆粕も前年の5割増し… 続きを読む
m県外・参考 16 1月 1940 米内邸では祝電の山で3分の1は女性から(昭和15年1月16日) 昭和15年1月17日の岩手日報より。 米内新総理が1月16日に宮中で開かれた親任式に臨んでいる時、渋谷竹下町の自宅では全国からの祝電の整理に追われていた。 その数は三百通余り。そのうち3分の1までが女性からであったと言い、「私は米内さんが組閣の大命を拝したとラジオで聞いたときどんなに嬉しかったでしょ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1940 米内総理就任を祝し、岩手県知事が銘酒「岩手川」を贈る(昭和15年1月16日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 米内光政の勝利大臣就任を祝し、雪沢岩手県知事は銘酒「岩手川」の四斗樽1本を贈ることとした。 1月16日16:10の仙北町発列車で送られることとなった。 確かに「岩手川」の工場は仙北町である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1940 米内総理親任式のタイミングで盛岡市民旗行列大会(昭和15年1月16日) 昭和15年1月17日の岩手日報より。 総理大臣就任を受諾した米内光政の親任式は1月16日に行われることとなった。 このタイミングで郷里・盛岡市では岩手公園広場で市民旗行列大会が行われた。 この日の朝の最低気温は-16.3℃。 それでも岩手公園は日の丸で埋め尽くされることになった。 親任式の始まった午… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1940 青年学校は義務化するけど、盛岡市内では1校に統合します(昭和15年1月15日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 この時期「青年学校」という教育機関があった。 これは、尋常小学校を卒業して働いている青年を対象とした教育機関である。 これが、昭和14年の青年学校令の改正により、義務教育化されることになった。 この時点で、盛岡市内の青年学校は以下の場所にあった。 盛岡市内10の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1940 米内光政総理就任を祝して八幡町の住民が盛岡市内を提灯行列(昭和15年1月15日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 第38代目の総理大臣を生んだ盛岡市民の喜びは言うまでもなく、1月15日の夜に提灯行列が繰り広げられた。 午後6時半に盛岡八幡宮の境内に300名余りが集まり、八幡町~生姜町~肴町~中の橋~桜山神社~大手先~本町~鍛治町~紺屋町~呉服町~六日町~穀町~鉈屋町~八幡宮… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1940 岩手県から3人目の総理大臣に、米内光政生家の近隣住民も盛岡弁で喜びを語る(昭和15年1月15日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 何しろ岩手から3人目の首相が選出されたことに地元は大歓喜である。 そもそも、前任の首相・阿部信行のミッションが日中戦争の収拾であり、それがうまくいないなかったということは周知の事実だったようである。 そして後任は同じ陸軍の畑俊六陸相がなるのだろう。 「銃後民衆の… 続きを読む