h水沢・江刺・胆沢郡 14 11月 1961 水沢市内の藁加工工場では運転手を初任給12000円で募集!(昭和36年11月14日) 昭和36年11月14日の胆江日日新聞より。 水沢市内の藁工品工場では運転手を募集している。 店員が6000円程度であるのに対し、運転手だと12000円であるという。 運転免許がいかに高給への花道であったかを物語っている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 13 11月 1961 水沢家畜市場の馬市場案内(昭和36年11月13日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢家畜市場では11月13日~14日の間、秋の馬市場を行うという。 農作業にはまだまだ馬力を必要としていた時期であった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 水沢の初冬の風物詩・大根のハゼかけ(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 胆江地方では大根が収穫され、ハゼに掛けられている。 現在でも、検索すれば「大根のはざかけ」で出てくる。 ちなみに写真は水沢市常盤にて撮影したものであるとか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 朝鮮から岩手に東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を探しに来たが…(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 朝鮮では3年後に予定されている東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を、馬産地である岩手まで探しに来たのだという。 記事では「朝鮮」とあるだけで、北なのか南なのかはここからは読み取れない。 まだ日韓国交正常化(昭和40年)前で、韓国は「南朝鮮」とも呼んでいた時… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 水沢の材木店の初任給は6000~8000円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢職業安定所を通して、材木店が求人広告を出している。 初任給は6000~8000円であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 水沢のカバン店の女子店員の初任給は6500円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 盛田カバン店の水沢店では女子従業員を募集している。 初任給は6500円であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 11月 1961 盛田カバン店が水沢店開店大売出し(昭和36年11月10日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞の広告欄より。 盛岡や八戸に店舗を展開していた盛田カバン店が水沢店を出すことにしたという。 それで開店大売出しである。 そういえば盛田カバン店というと盛岡でも大通に店舗があったが、平成になってから閉店してしまった。 しかし、令和となった現在でも盛田カ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 11月 1961 全国学力テスト阻止闘争で岩教祖胆沢支部ではついに警察対策(昭和36年11月10日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 岩教祖は日教組の支部の中でもかなり戦闘的な組合として知られる。 昭和30年代は全国学力テスト阻止闘争で、地方公務員の争議件を争点に紛争を繰り広げ話題を呼んでいた時期である。 この10月26日にも、学テ阻止闘争で地方公務員法違反で組合幹部が家宅捜索を受けてい… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 11月 1961 水沢・みその東映で「モスラ」公開!(昭和36年11月1日) 昭和36年11月1日の胆江日日新聞より。 話題となっていた怪獣映画「モスラ」が水沢でも上映されることとなった。 場所はみその東映。 東映と名の付く映画館であったが東宝の映画も上映するようであった。 東京での初公開は昭和36年7月30日。 3か月のタイムラグであった。 &n… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 11月 1961 「岩高」といえば盛岡では岩手高校、胆江では岩谷堂高校(昭和36年11月1日) 昭和36年11月1日の胆江日日新聞より。 見出しは「岩高文化祭 三日多彩に」とある。 ここでいう「岩高」とは、江刺にある岩谷堂高校のこと。 決して盛岡にある岩手高校のことではない。 ともあれ、内容としては以下の通りだったようである。 農業部会場 (3日~5日)郵趣展、幻灯会、茶の湯、被服食物館、演劇… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 11月 1961 水沢・江刺の映画プレイガイド(昭和36年11月1日) 昭和36年11月1日の胆江日日新聞より。 水沢市内や江刺市内の映画館のプレイガイドが掲載されている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 7月 1961 釜石・国際劇場で「宮本武蔵」「花と嵐とギャング」「特ダネ30時間危険な恋人」を公開(昭和36年7月27日) 昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石の国際機場では「宮本武蔵」「花と嵐とギャング」「特ダネ30時間危険な恋人」を公開する。 「宮本武蔵」は、昭和36年5月25日公開の東映映画。主演は中村錦之助。 「花と嵐とギャング」は、昭和36年6月23日公開のニュー東映映画。主演は高倉健・小宮光江。 「… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 7月 1961 釜石市内の自動車販売店から暑中見舞い広告(S36.7.27岩手東海新聞) 岩手東海新聞に掲載された釜石市内の自動車系会社から暑中見舞い広告。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 7月 1961 釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日) 昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。 昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・ ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。 (強調部分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 7月 1961 釜石・シネマセンターで「ベン・ハー」公開!(昭和36年7月26日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞より。 米MGMの超大作であり、昭和34年のアカデミー賞で史上最多部門の受賞をした「ベン・ハー」(原題:Ben-Hur)が釜石のシネマセンターで公開される。 ちなみに日本での初公開は昭和35年4月1日。 超大作であるだけに、7月26日~8月30日のロードショーであっ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 7月 1961 名物にうまいものあり!釜石名物いかせんべい(昭和36年7月26日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 虎月という菓子舗のいかせんべいを宣伝している。 「名物にうまいものあり」というコピーは、その時点で「名物にうまいものなし」という表現が既に浸透していたということを示しているのではないだろうか。 いずれ、釜石市内では以下の店で買えましたよ、ということら… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 7月 1961 釜石・錦館では「わが恋の旅路」「愛と炎と」「七人の挑戦者」を公開!(昭和36年7月26日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石・錦館では「わが恋の旅路」「愛と炎と」「七人の挑戦者」を公開する。 「わが恋の旅路」は昭和36年5月16日初公開の松竹映画で、川津祐介、岩下志麻などが出演。 「愛と炎と」は昭和36年6月17日初公開の東宝映画で、原作は石原慎太郎、出演は三橋達也、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 7月 1961 内陸から釜石に海浜学校続々(S36.7.26岩手東海新聞) 内陸の小学校から釜石などに臨海学校に来るのは恒例だったようで、この記事では北上市立二子小学校の6年生120人。大迫町立内川目小学校60人が来ていたようだ。 ちなみに、内川目小学校は2021年の閉校時の全校児童は14名であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1961 スーダンの鉄道レールを釜石製鉄所で!(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所を経営する富士製鉄と八幡製鉄は、アフリカのスーダン国鉄の16,000トンの国際競争入札に応札し、8月下旬にはスーダン国鉄の総裁が来日するという。 この7月には、日本政府はスーダンに在外公館を設け、招聘していたのだ。 スーダンは昭和31年1月1日にイ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 7月 1961 釜石市の財政は釜石製鉄所しだい(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石市の予算当局は、地方交付税の査定のため盛岡の県庁に出ていた。 地方交付税は、合併(S30.4.1甲子村、鵜住居村、栗橋村、唐丹村)による特例期間が切れて不交付団体になるが、全国市議会議長会や全国市長会の折衝で激変緩和措置が取られることとなった。 それ以上… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1961 大槌で宝塚少女歌劇団が公演!?(昭和36年7月25日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 宝塚少女歌劇が7月25日に大槌映画劇場で「実演」したらしい。 何組が来てどんな演目だったかはここでは書いていないが、こんな地方までドサ回りしないといけなかったのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1961 釜石のうなぎ、大槌の映画案内(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 昭和36年の土用の丑の日である7月31日を控え、釜石市内のうなぎ屋も広告に余念がない。 また、大槌町内の映画館は7月26日から「処刑前夜」「旗本愚連隊」を上映するという。 オールナイトは「屋根」。 「処刑前夜」は昭和36年2月18日初公開の日活映画で… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石で運転免許の出張試験(昭和36年7月24日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞より。 7月24日から、釜石市須賀の埋立地で、自動車運転免許の実技試験が行われた。 盛岡以外の出張試験は、盛岡に試験場ができてから無くなっていたというが、釜石市内の関係者の運動で7月と11月にやることになったのだという。 これで、盛岡で2泊しなくても済むと好評で、5… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石の高校生バイトは事務系が人気で缶詰工場は敬遠(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏休みになるとバイトのシーズンだったようだが、事務系は埋まって缶詰工場は人気が低かったと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 夏を謳歌する釜石(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏真っ盛りで、鵜住居中学校では野外炊事大会、小佐野中学校では水泳大会が行われていた。 また、根浜海岸でも人出で賑わっていたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 オットセイ密漁事件で逮捕された大槌の漁船の機関士に釈放嘆願(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 大槌でオットセイ密漁事件で6人が逮捕されたうち、漁船の機関士を釈放してほしいと漁業関係者から釈放嘆願が上がっている。 これは、最盛期に入っているイカ釣り漁船の機関士であり、この機関士がいないと乗組員10名やその家族の生活圏が脅かされるからである。 大槌漁協の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 ご愛顧三十年、皆様の釜石信用金庫です(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石信用金庫はこの時点で創業して30年が経過しており、中心街の只越に本店があり、支店は製鉄所の社宅がある中妻、大船渡に行く途中にあり気仙郡ながら昭和30年に釜石市と合併された唐丹村に支店、釜石駅から大渡橋を渡ってすぐの大渡町に出張所があったようである… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 東海道新幹線のレールは釜石製鉄所でも作っていた(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 昭和39年に開業が予定されている東海道新幹線のレールは、富士製鉄釜石製鉄所にも注文が来ていた。 そのための価格交渉が国鉄と行われており、国鉄側は国際価格並みを強く希望。 製鉄所側は材質の向上や型の切り替えもあり値上げ意向と食い違っていた。 国鉄側は、年内の7… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石・第一劇場で「眠れる森の美女」「最後の一人まで」公開(昭和36年7月24日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石・第一劇場では7月24日~28日まで「眠れる森の美女」と「最後の一人まで」を公開した。 「眠れる森の美女」(原題:Sleeping Beauty)はディズニーのアニメーション映画。 当時の表現を借りれば「ディズニイの長編漫画映画」であろうか。 日… 続きを読む