水沢市長「東北自動車道ができたら水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう」(昭和36年11月15日)

昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。

水沢市長はこの時、東京・京都方面に出張中であったが、11月15日に帰庁した。

そして記者に語る所では「東京の東北自動車道促進大会では、現在の予定である昭和39年度調査終了、昭和40年度着手という計画を昭和38年度から実施着工できるように促進方策を出し関係方面に要請した」。

この時期、高速道路は日本のどこにも開通していなかった。
昭和38年7月に現在の名神高速道路にあたる栗東IC(滋賀県)~尼崎IC(兵庫県)が開通したのが始まりである。

ただし建設の途中ではあったようで、水沢市長は京都山科の現地をバスで視察し、95~100kmで走り振動も皆無であったことに驚いていた。

「東北自動車道が開通すれば水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう。インターチェンジは胆沢村か金ヶ崎が良いのではないか」

そのように夢を語っていた。

 

 


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