h水沢・江刺・胆沢郡 18 9月 1953 市制を目指す水沢町が先行して市制した気仙沼市に学ぶ(S28.9.18胆江日日新聞) この時点で水沢市は発足しておらず胆沢郡水沢町だったが、先行して市制した気仙沼市に色々学ぼうと懇談会を開いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 油島信号場を駅に昇格してほしいと陳情運動(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 東北本線の油島信号場は、周辺町村により駅昇格運動が展開されており、地元負担額についても調整が付くことになった。 地元の油島村と、隣村の永井村・涌津村の各村長が9月7日に盛鉄局を訪れ陳情するという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 8月 1953 水沢町が市制したら人口46,500人(昭和28年8月18日) 昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 胆沢郡水沢町とその周辺の村々の合併と市制問題につき、8月7日に各町村の代表者により第1回準備員会を開いた。 そして16日には合同会議を開いた。 水沢と合併するのは小山村を除く1町6村であるとみられていた。 該当する町村の人口は以下の通り。 水沢市 18,92… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 5月 1953 講和記念に盛岡市長ほか各界からの挨拶(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 サンフランシスコ講和条約が発効して、日本は名実ともに独立国となった。 それを記念して、盛岡市長・盛岡市議会・盛岡鉄道管理局・青森営林局岩手連絡室・盛岡郵便局・稗貫郡町村会挨拶の名刺広告を出している。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 3月 1953 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 宮古市では、これまでジープを改装した車を公用車として使っていた。 しかし、戦争用の車だっただけに、乗り心地が悪く、独立した平和国家のお役所やふさわしくないと考えたようで、90万円を叩いて、47年型フォードを1台を買い込んだ。 また、この時期の宮古市は、港湾開… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 3月 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員を選挙で選んでいた時期があった(昭和27年10月4日) 昭和27年10月4日の岩手日報より。 「町も村も教育の総選挙」という見出しで写真記事が掲載されている。 何の選挙かというと市町村の教育委員の選挙である。 戦後の民主化で、教育委員も選挙で選ぶことになった。 しかしこの制度には弊害もあったようで、教育の現場に政治が持ち込まれるということで… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 13 9月 1952 我が町わが村「世田米町」 昭和27年9月13日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、今回は気仙郡世田米町。 後年の住田町となる。 この年に市制した隣の大船渡市は、国土総合開発による工業都市に指定され、農地が潰されることが予想されていた。 おそらくは陸前高田も同じような道を歩むだろう。 そうすれば、… 続きを読む
g北上・和賀郡 11 9月 1952 黒沢尻町は都市計画で面目を一新(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)は戦時中は国産軽銀があったが、廃墟となっていた。 そこへ工場地帯が再び建設されるなど、復興の兆しを見せていた。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 9月 1952 大船渡市の立根支所・立根中学校が新築落成 昭和27年9月3日の岩手日報より。 4月に市制したばかりの大船渡市で、立根支所(旧立根村役場)と立根中学校の校舎が完成し、完成記念式典が挙行された。 … 続きを読む
l全県 3 9月 1952 市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 「昭和の大合併」の少し前、教育委員を選挙で選んでいたころ、各町村の教育委員会を維持運営するのもかなりの負担だったようだ。 それで、教育委員会は県にやってもらおう、という考えも一部にはあったようだが、それには根強い反対があった。 &nbs… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 5月 1952 岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日) 昭和27年5月6日の岩手新聞より。 岩泉町は、この年町制30周年を迎えたと言う。 上では、町内の各事業所が名刺広告を出している。 まだ国鉄岩泉線が開業していなかった頃なので、岩泉への足は国鉄バスであり、国鉄バス岩泉営業所が広告を出している。 また、県北バスの本社があった頃で、岩泉町内に路線がないにも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 「婦人の職場を明るくしましょう」と叫んでいる県庁のお膝元にブラック企業(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 この時期、県では「婦人の生活を明るくしましょう」と女性の働く職場の労働環境の向上を各職場に呼びかけていた。 そんな最中に、極めつけのブラック企業が県庁の中にあったのである。 それは県職員生活協同組合。 組合長以下7人の職員がいて、うち5人は女性。 その5人… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 女子師範の跡地が花壇に(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 県庁前にあった岩手女子師範学校は、学制改革で岩手大学(上田)に統合され、跡地は荒れ地になっていたが、県職員によって花畑になっているという。 … 続きを読む
l全県 24 4月 1951 各町村長の顔ぶれ(S26.4.24夕刊いわて) 昭和26年4月24日付の夕刊いわてを眺めていると、昭和の大合併という大きなうねりが押し寄せる直前の、岩手県がまだ数多くの小さな町村で構成されていた頃の熱気が伝わってきます。紙面の上半分を埋め尽くす町村長選挙の当選者一覧は、まさに地方自治の細かな鼓動を記録した貴重な史料です。今では市の一部となった懐か… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 4月 1951 盛岡市議会選挙の結果(S26.4.24夕刊いわて) 昭和26年4月24日の夕刊いわてを眺めていると、戦後復興期の盛岡が持っていた熱気と、現代とは異なる街の輪郭が浮かび上がってきます。この記事の一面を飾るのは新人20名が進出したという市議選の開票速報で、当時の市民の政治に対する並々ならぬ関心が伝わってきます。投票率が85パーセントを超えている点からも、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1951 自由党から共産党まで県議が呉越同舟で釣り(昭和26年4月1日) 昭和26年4月1日の「夕刊いわて」より。 この年の4月1日は日曜日。 日ごろは舌戦をたたかわせている各党の県議も呉越同舟で船に乗って釣りとしゃれこんでいる。 民主党(自民党になる前)の最高委員長や自由党の幹事長、社会党議員や共産党議員まで仲良く釣りを楽しんでいるようだった。 これは高松の池かどこか?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡・桜山更生市場の土地問題 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 桜山神社周辺の「東大通り」のあたりは、戦後の引揚者による更生市場となっていた。 盛岡市では、これを新たにコンクリート建てのデパートにする案を持っていた。 それで、地主に用地買収交渉をしていたが、25年11月の時点で地主側はそれに代わる土地を要求、盛岡市側もそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡市長選挙に南部家の末裔が立候補?(昭和26年3月8日) 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 この日が、夕刊いわての創刊号であったが、トップ記事は盛岡市長選挙。 なんと、南部家の末裔が立候補するのではないかと言う記事。 … 続きを読む
l全県 31 1月 1951 教科書の無料配布が難航(S26.1.31岩手新報) この年から小中学校の教科書か無料になったという。 しかし、その教科書を配布する市町村の予算ぐりがなされた訳ではなく、予定通りの配布ができないのではないかというニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 12月 1950 ララ物資にお礼のポストカード(昭和25年12月2日) 昭和25年12月2日の岩手新報より。 戦後の、アメリカ唐のララ物資は、岩手県内の厚生施設など各所に配られていたが、岩手県厚生課は、それに対するお礼としてポストカードを配ることにした。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 11月 1950 早くやってほしい施設15傑(昭和25年11月30日) 昭和25年11月30日の岩手新報より。 岩手新報では「早くやってほしい施設」に関して投票をやっていたようだ。 そして11月30日現在の15傑が出たのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 10月 1950 国鉄加賀山総裁が盛鉄局長室で会見「山田線復旧はどうなる?」(昭和25年10月9日) 国鉄の加賀山之雄総裁は昭和25年10月9日10:58、盛岡駅到着の列車で釜石線開通行事のために盛岡に来る。 昭和25年10月10日岩手日報より 9日11時からは、盛岡鉄道管理局長室で記者会見に応じた。 山田線復旧計画に変わりはない。治山治水工事の実態を理解してから。 26年度予算には計上するには至っ… 続きを読む
l全県 2 7月 1950 ハエ取り週間で伝染病を予防しましょう!(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県の衛生当局ではハエ取り週間を設け伝染病の予防にこれ努めている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 盛岡は5年後こうなる(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の岩手新報より。 岩手県観光協会では「盛岡の5年後の将来像」を描いている。 そして、これを国分憲吉知事に提出したのだという。 女子師範の跡地に5階建ての県庁を建設。 現在の県庁には盛岡市役所を移す。 市役所と旧警察練習所は取り壊して緑地帯に。 公会堂はホールを3階に。 その周辺を… 続きを読む