a政治・軍事

釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日)

釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。 当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。 これが、この年以降…
軽米町が「モデル林業町」に指定(昭和31年1月27日) c久慈・九戸郡

軽米町が「モデル林業町」に指定(昭和31年1月27日)

昭和31年1月27日のデーリー東北より。 昭和の大合併の前、九戸郡小軽米村の6000町歩は「モデル林業村」として指定を受けていた。 これが昭和30年1月1日、晴山村とともに軽米町に合併してから、「町」として「モデル林業町」として県の指定を受けることになった。 これは、町としてははじめてのことであった…
盛岡市議会文教委員会「河南地区に小学校を新設しましょう」(昭和31年1月27日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市議会文教委員会「河南地区に小学校を新設しましょう」(昭和31年1月27日)

昭和31年1月29日の岩手日報より。 盛岡市議会文教常任委員会が1月27日に開かれた。 河南地区に小学校を新設する陳情が上がっており、これは昭和31年度は財源措置の見通しが立たず、昭和32年度から年次計画で建築するということでこれを採択したという。 その他の議題は以下の通り。 市内全小中学校に映写機…
岩手東部バス大船渡営業所で火災(昭和31年1月24日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

岩手東部バス大船渡営業所で火災(昭和31年1月24日)

昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 1月24日の正午過ぎ、大船渡市の須崎橋にあった岩手東部バスの大船渡営業所で火災があり、35坪を焼いた。 ストーブの傍らのガソリンに引火したものらしい。 ただし昼間で発見は早く、モルタル建築で火が外部に漏れず、炎症を免れ、書類は外に持ち出していたことは不幸中…
水沢の横町は「大通り」に改称(昭和31年1月22日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢の横町は「大通り」に改称(昭和31年1月22日)

昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 水沢の商店街である横町(よこまち)は、「大通り」に名称変更することにした。 そしてネオンアーチ完成記念の大売り出しを、この1月22日から2月5日まで行うことにした。 そもそも改称した理由は「横町」が「よこちょう」と読まれ、商売上不利であったからだという。 …
「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日)

昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 この当時、風俗営業法では料飲店の営業時間は深夜11時までと決まっていたようだった。 警察も年末年始や花見のシーズンぐらいはとお目こぼししていたところが、この時期になると不景気風が吹き始めたせいか、時間を守らないのが常態化していた。 これではうるさくて近隣の…
久慈港も予算獲得合戦に参入(昭和31年1月19日) c久慈・九戸郡

久慈港も予算獲得合戦に参入(昭和31年1月19日)

昭和31年1月21日のデイリー東北より。 太平洋の荒波に面する久慈港は、漁船の難破事故が多かった。 そこで、堀込式の港にすることで、この状況を解消しようと言う計画があった。しかし、予算がないことにはどうにもならない。 同じような港湾整備の要求は、全国から43の港から上がっていた。 しかし、そのような…
久慈市の目抜き通りが面目一新(昭和31年1月16日) c久慈・九戸郡

久慈市の目抜き通りが面目一新(昭和31年1月16日)

昭和31年1月16日のデーリー東北より。 1月10日、久慈市計画委員会が行われ、保留していた市街地幹線道路の区画整理の実施大綱を決定した。 久慈駅前からまっすぐ現在の新町通りまで幅20メートルで広くだけなのでこの地帯の立ち退きが必要 新町通りも幅20メートルで片側の家屋は若干立ち退きが必要 東部新町…
種市町八木港に「消えない導灯」を(昭和31年1月12日) c久慈・九戸郡

種市町八木港に「消えない導灯」を(昭和31年1月12日)

昭和31年1月12日のデーリー東北より。 種市町の八木港では、導灯(航路標識)が消えていたために、前年11月に漁船の遭難事故も発生していた。 そこで、第二管区海上保安本部灯台部では、この導灯を消えないものにする工事をしていた。 また、種市町が昭和29年から陳情運動を行っていた「八木灯台」は予算的に難…
遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日) e釜石・遠野・上閉伊郡

遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日)

昭和30年12月27日の岩手日報より。 後年、あんべ光俊の「遠野物語」で〽月夜の晩の福泉寺~と歌われた遠野市の福泉寺では、戦没者供養と戦災復興を祈願して、信者3000人の手により平和大観音像が慈眼寺の山頂に建立されることとなった。 高さは43尺(13メートル)であり、台座も含めると実に54尺(16.…
大船渡に国立病院誘致計画(昭和31年1月8日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡に国立病院誘致計画(昭和31年1月8日)

昭和34年1月8日の河北新報岩手版より。 大船渡市では全国の都市に先駆けて、国保の10割給付を行っていたという。 つまり毎年の国保料を支払っていれば無料で医者にかかれるということ? ・・・それはともかく、そのような状態でもあり大船渡市の財政は危機にさらされていた。 それで大船渡市立の病院が建設できず…
カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日)

昭和31年1月7日の岩手日報より。 この頃、オートバイにカップルで乗って、女性の方は横乗りで事故を起こすことが多かったようである。 そこで警察は取り締まりに乗り出すことにした。 警察は「捕まりたくなかったら女性もズボンをお召しになってまたがって乗ってください!」と。   ちなみに、どちらも…
樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日) l全県

樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日)

昭和31年1月7日の岩手日報より。 終戦して10年以上が経過した。 しかし樺太への預金が残っているなど、いろいろな問題が残っていたようである。 それで、北海道拓殖銀行では「樺太に預金があった人は拓銀の各支店に申し出てください」と広告を出している。 確かに、盛岡市内だと青山町には樺太からの引き上げ者が…
盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日)

昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡警察署では、風俗営業法によるキャバレーの飲食時間を内偵していた。 風俗営業法では、キャバレーは11時が営業時間になっていたのである。 そして、1月6日23:30を期して、3班に分かれて盛岡市内の「ハレム」「フロリダ」「レンボー」を急襲して、証拠写真の撮影などを…
いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) l全県

いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日)

昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?…
久慈地方「ヒエではなくお米を常食できるように開田工事をしましょう!」(昭和30年12月25日) c久慈・九戸郡

久慈地方「ヒエではなくお米を常食できるように開田工事をしましょう!」(昭和30年12月25日)

昭和30年12月25日の岩手日報より。 九戸地方では、ヒエではなくお米を常食できるよう開田工事を進めているという。 長内土地改良区では、来年の田植え時期を目標に用水路の掘削工事を進めているという。 しかし、岩盤が固いところもあり爆破が主な作業となっているという。 これによって見込まれる米の増産量は6…
宮古市役所「吏員ども!お前らにボーナス払ったら年越しできなくなるぞ!滞納税金取り立てて来い!」(昭和30年12月21日) d宮古・下閉伊郡

宮古市役所「吏員ども!お前らにボーナス払ったら年越しできなくなるぞ!滞納税金取り立てて来い!」(昭和30年12月21日)

昭和30年12月21日の岩手日報より。 宮古市では市役所吏員に冬のボーナスを支払ったら年末の諸々の支払いができなくなるという。 そこへ来て、過年度分の市税滞納が3700万円、昭和30年度も3200万円がまだ納付されないままだという。 そこで12月16日~27日を「納税強化期間」と位置づけ、全吏員に市…
昭和の大合併で津軽石村を編入した宮古市「私有林の半額払下げなんて引き継いでません」(昭和30年12月20日) d宮古・下閉伊郡

昭和の大合併で津軽石村を編入した宮古市「私有林の半額払下げなんて引き継いでません」(昭和30年12月20日)

昭和30年12月20日の岩手日報より。 この年の4月1日、宮古市は周辺の花輪村・崎山村・重茂村と共に津軽石村を合併した。 「昭和の大合併」である。 この中で、津軽石村では村有林を営林署払下げ価格の半額で地元部落民に払下げるように村議会で議決していた。 これが昭和30年4月1日の合併で「市有林」となっ…
岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察

昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 …
火災に無防備な老朽県庁 a盛岡・岩手郡・紫波郡

火災に無防備な老朽県庁

昭和30年11月18日の岩手日報より。 明治36年(1903年)に建てられた県庁 この当時の岩手県庁は、明治36年11月に完成し、築53年であった。 53年もやってればそれは書類だって増える。 つもりに積もった書類に、火災報知機も無く火災のリスクは非常に高い状態となっていた。 そこで、火災シーズンを…