岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察

昭和30年11月29日の岩手日報より。

岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。

なんでも、一般大衆の国土建設意欲は素晴らしいものがあるのだという。
また、託児施設は完璧なもので両親は毎週日曜日に会いに来る程度で、子供の面倒を見る手間もなく仕事に専念できるのだという。

撫順では日本人戦犯の収容所も見てきたが、1時間の短い時間で日本人の収容生活を見ることができたという。

この収容所には1000人の戦犯がおり、大東町興田出身の戦犯はいたが、留守宅から手紙を託された普代村出身の戦犯と、盛岡市出身の戦犯は「そんな人知らないな・・・」ということだった。

30分という限られた時間の中で、監視員の目もあり思うように話せはしなかったが、「待遇もいいしこれといった不満も無い」ということだった。

また、岩手県出身者はほかに5~6名いるようだが、名前を指定しないと会わせてもらえず、面会の時には個人の名前と罪状を聞くことは許されていないのだという。

また、瀋陽の風洞機具廠の医務室には盛岡出身の夫婦がいたが、日本円にして4万円の金をもらっており生活が楽だというので、母親からは帰って来いと言われているが、しばらくこちらで頑張るつもりだということであった。

 

 

 


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