a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1950 松屋デパートで決算期前の冬物一掃セール(昭和25年2月1日) 昭和25年2月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートで、決算期前の冬物一掃大売り出しを行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1950 川徳デパートで「大棚さらひ」(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 盛岡の川徳デパートでは、2月3〜5日にかけて「大棚さらひ」を行うという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 14日 1950 釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) この当時は、味噌や醤油は登録した店でないと売れなかったらしい。 ということで、その登録した店舗による新聞紙上でのご挨拶。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 11日 1950 盛岡で隠退蔵物資の大売り出し(昭和25年1月11日) 昭和25年1月12日の新岩手日報より。 盛岡市内では、1月11日に隠退蔵物資の大売り出しが行われたと言う。 それから、主婦が違う目を皿のようにして探し回っているわけだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 4日 1949 いすゞTX80御成約の方に京都奈良伊勢志摩の旅を!(昭和24年11月4日) 昭和24年11月4日の岩手新報より。 盛岡のいすゞ販売店では、トラック「TX80」の制約に至った人向けに、京都・奈良・伊勢志摩の旅をプレゼントすることとしたようだ。 この当時であれば、大口の運送業の事業主などではなかっただろうか。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 11月 1日 1949 大船渡では引揚者が自力で更生市場(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 気仙郡大船渡町では、引揚者が町議会議員の協力を得て国からの援助を断って自力で公正市場を作り上げたのだと言う。 そしてその途上では、世間の冷笑があったのだと言う。 現代の観点からだと、ちょっと想像しにくい話なのだが、引揚者が自分たちで生活を更生しよう… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1949 盛岡・川徳で「五大産地銘仙の会」開催!(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 盛岡の川徳デパートで「五大産地銘仙の会」を開催する。 銘仙の五大産地とは、八王子・伊勢崎・足利・秩父・村山(武蔵村山)のことらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 10日 1949 お盆に向け提灯の売れ行きは上々(昭和24年7月10日) 昭和24年7月10日の岩手新報より。 お盆に向け盛岡市内の仏具店では、提灯の売れ行きが好調であるという。 この時期にお盆の準備ということは、新盆だったということだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 6日 1949 盛岡市内の肉屋「ロールハム100匁330円、ベーコン320円!」(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報より。 盛岡市内の肉屋の加工製品の価格。… 続きを読む
l全県 5月 6日 1949 石鹸は登録しないと買えなかった(S24.5.6新岩手日報) この当時は石鹸も配給制で、買う店を登録しないと買えなかったようだ。 それで、買い店は農協の購買部にしてくださいという広告。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 盛岡・松屋デパートの屋上に児童遊園ができました!(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡の2大デパートの一角を占めていた肴町の松屋デパートが、屋上に児童遊園を開設したという🏬 子供の日を期して、気合が入っていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 15日 1949 お魚の配給は岩手水産に登録を!(昭和24年3月15日) 昭和24年3月15日の岩手新報より。 広告欄には、お魚の配給を登録するよう広告がだされている。 内陸であれば鮮度の怪しいような赤身魚でも重宝されただろうか。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 3月 4日 1949 ヤミ屋「儲からないので開拓農にさせてくれ」(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 この時期に、闇屋も生活が厳しかったようで、花巻にある稗貫地方事務所には、そんな闇屋から「助成金はいつでもいいので開拓農にさせてくれ」と言う申し出が相次いでいたのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 3日 1947 沼宮内で北岩手古衣商同業組合の交換会(昭和22年12月3日) 昭和22年12月3日の新岩手日報より。 沼宮内で北岩手古衣商同業組合の交換会を開催するという。 古着に根強い需要があったということだろう。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 24日 1947 和賀地区衣料品登録店立候補者名簿(昭和22年9月24日) 昭和22年9月24日の新岩手日報より。 和賀地区(北上周辺)の衣料品登録店立候補者名簿であるという。 立候補というからには投票などがあったのだろうか。 … 続きを読む
l全県 9月 2日 1947 ドラム缶風呂は1,180円(S22.9.2新岩手日報) 広告欄より。 ドラム缶風呂が売っていて、1,180円であったという。 ちなみに、昭和22年当時の東京都職員の平均給与が3,542円であった時代。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 5日 1947 岩手県食酢統制組合・岩手県農機統制組合の解散公告(昭和22年4月5日) 昭和22年4月5日の岩手日報より。 戦時中の物価統制組合であった「岩手県食酢統制組合」と「岩手県農機統制組合」が解散公告を出している。 戦後2年が経過しようとしており、戦争遂行のために物価統制する必要が無くなり、活動実態がなくなっていた所、法人を解散していなかったので登記上も正式に解散しよう・・・と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 2日 1943 川徳デパートで皇軍感謝の華道展(昭和18年12月2日) 昭和18年12月2日の新岩手日報より。 昭和16年12月8日の真珠湾攻撃で始まった大東亜戦争も、これで3年目。 川徳デパートでは、その皇軍感謝と銘打った華道展を行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1943 盛岡・肴町の熊長が赤松3000石を献納(S18.12.1新岩手日報) 戦時美談。 盛岡・肴町の熊長が軍に赤松の立木を3000石献納したと当局を感激させている。 ちなみに熊長は令和5年現在でも盛業中。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1941 松屋デパートで冬物や毛糸の特配(S16.11.2新岩手日報) 広告欄より。 盛岡の松屋デパートでは、冬物や毛糸の特配があったという。 衣料品まで配給の時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 31日 1941 盛岡ではもっきり酒も公定価格(昭和16年10月31日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 盛岡では居酒屋のもっきり酒の適正配給を図るために「第二盛岡飲食店組合」が結成され、10月31日の夜に結成総会が開かれた。 盛岡警察署長と盛岡税務署長が顧問となった。 そしてもっきり酒の公定価格を以下のように定めた。 1合 上等 25銭 1合 並等 22銭 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 18日 1939 自称坊主が自費出版「生きる力」を刑務所官舎で押し売りして御用(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 7月18日の午前中、盛岡少年刑務所の官舎で、ヘルメットに法衣姿の自称坊主が、「生きる力」という自費出版を押し売りして歩き、官舎の主婦たちはそれぞれの旦那である所の刑務所看守に連絡してすぐに御用になったという。 この自称坊主は高知県幡多郡出身の男で、盛岡少年刑務所… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1939 松屋デパートで日本人形講習会(S14.7.1岩手日報) 盛岡・松屋デパートで7月5〜7日に、日本人形講習会を行うという。 愛国婦人会も後援として参加していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1939 川徳も松屋も夏物大売り出し(S14.7.1新岩手日報) この時期、まだ夏は始まったばっかりであり、川徳と松屋の二大百貨店も夏物大売り出しで忙しかったようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1938 戦前期の松屋デパートのフロア構成? 昭和13年4月20日の岩手日報の広告より。 「戦捷お花見大売出し」という松屋デパートの広告なのだが、この時期だと戦時協力色を打ち出さないと娯楽も商売もやりにくかったのだろうか。 また、松屋デパートの各階の案内?と思われる意匠となっている。 地下ではモロゾフのチョコレートなんて売ってたんだね。 &nb… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1938 釜石にはびこる鉄屑泥棒 昭和13年3月4日の岩手日報より。 「鉄の都」として軍事的にも重要な位置にあった釜石であったが。釜石製鉄所構内から鉄屑や鉄製品を盗み出す少年窃盗団が検挙されたという。 この少年たちが自白しただけでも75件。200円前後であったというが、この手の被害が増加しており、警察では全滅の為に努力していくとして… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1936 川徳でトンビやマントなど防寒用具大売出し!(昭和11年11月1日) 昭和11年11月1日の岩手日報より。 川徳では防寒用具の大売出しを行うという、 トンビやマントなどというのが時代である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1936 川徳は肴町、松屋は中ノ橋(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 盛岡では2大百貨店となっていた川徳は中元セール、松屋は夏物一掃セールを行なっていた。 ところで、この両店、現在のホットライン肴町を挟んで向かい側に位置していたのだが、川徳は「肴町」、松屋は「中ノ橋」と表現している。 &nb… 続きを読む