a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 4月 1951 盛岡市内各店の広告欄(S26.4.23夕刊いわて) 昭和26年4月23日発行の夕刊いわてを広げると、そこには終戦から数年が経ち、復興へと向かう盛岡の活気ある日常が鮮やかに描き出されています。 紙面の下部に並ぶ広告を眺めてみると、まず目に飛び込んでくるのは春を謳歌する力強い言葉です。肴町の「花王堂」は、春だサクラの装飾だと景気の良いコピーを掲げており、… 続きを読む
m県外・参考 14 4月 1951 輸出向けの「清酒の缶詰」(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 岩手で清酒の話題というので岩手川?酔仙?と思ったら神戸の灘だという。 まあ岩手県内のローカル新聞に掲載された話題ということでお許しいただきまして・・・ ともかくも灘では、輸出向けに「清酒の缶詰」を製造するという。 これまで技術的に不可能だったのは、缶の内部… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1951 盛岡・本町通「川清」の広告に見る衣料品の物価(昭和26年4月1日) 昭和26年4月1日の「夕刊いわて」の広告欄より。 盛岡市本町通の衣料品デパート「川清」の広告欄から、当時の衣料品の物価を見ることができるのではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 3月 1951 刑務所製品の靴や家具は安価でお勧め(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 刑務所内の作業場の労働力は安価であることから、家具や靴は盛岡市内で一番安く安サラリーマンにはお勧めだという記事。 ただし、革の割り当てが少なく「お客さん歓迎」とはいかないようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 3月 1951 大通は「新興繁華街」だった(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事の23回目は大通。 当時は、大通は「新興の繁華街」であり、老舗は何といっても川徳や松屋の二大デパートのある肴町であった。 大通の看板は、中劇・東宝第一劇場・中央ホールの映画館が集まっていることであり、この大通と中の橋通り… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1951 列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 3月 1951 盛岡市内各店舗の広告(S26.3.27夕刊いわて) 昭和26年3月27日の夕刊いわてを広げると、そこには当時の盛岡市民の暮らしを支えていた商店たちの活気ある息吹が閉じ込められています。 5つの広告が並ぶ中で特に目を引くのは、現在とは異なる街の風景です。タチバナ靴店には川徳前、京屋には川徳デパート向いという文字が刻まれています。当時の川徳は、昭和55年… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 3月 1951 盛岡繁盛記:肴町 昭和26年3月17日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事で、10回目は肴町。 今でこそアーケード街になっているが、当時はもちろん無い。 この記事の時点では、肴町は1丁目と2丁目に分かれていたのだという。 この後の記事の書きぶりでは、中の橋通りに面した方が1丁目で、奥の方が2丁… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡・桜山更生市場の土地問題 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 桜山神社周辺の「東大通り」のあたりは、戦後の引揚者による更生市場となっていた。 盛岡市では、これを新たにコンクリート建てのデパートにする案を持っていた。 それで、地主に用地買収交渉をしていたが、25年11月の時点で地主側はそれに代わる土地を要求、盛岡市側もそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡の本町に老舗は一つもなかった(昭和26年3月8日) 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 盛岡の各商店街を取材する囲み記事で、まず出たのは本町。 この当時、老舗と呼べる店は1つもなかったのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1951 盛岡・花巻米穀登録店当選御礼広告(昭和26年2月1日) 昭和26年2月1日の岩手新報より。 盛岡と花巻の、米穀登録店当選御礼広告が掲載されている。 当時は、当選しないと米屋になれなかったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 12月 1950 早くも年賀状や門松と正月ムード(昭和25年12月4日) 昭和25年12月4日の岩手新報より。 盛岡市内では早くも年賀状やら門松やらの正月ムードに入っていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 料飲街不況でキャバレーも食料品店に早変わり(S25.2.13新岩手日報) インフレなどで料飲店は不況だったようで、盛岡で数少ないキャバレーも食料品店に早変わりするという有様であったと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 2月 1950 岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日) 昭和25年2月12日の新岩手日報より。 岩手通商では、直営の「第一デパート」を盛岡市大通に開店し、ララ物資やユニセフ物資を取り扱うことにしたという。 ちなみに、倉庫のある「紙町」と言うのは、現在の上ノ橋の近くであるという。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 2月 1950 金詰まりで衣類の投げ売り(昭和25年2月6日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 この時期、金詰まりで市民の購買力も減退し、衣類も投げ売りせざるを得ない状況であったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 2月 1950 盛岡・松屋デパートで、決算前冬物大見切市(昭和25年2月3日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、冬物の大見切り市を行うという。 「補助切符不要」と言うのがなんとも時代である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1950 松屋デパートで決算期前の冬物一掃セール(昭和25年2月1日) 昭和25年2月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートで、決算期前の冬物一掃大売り出しを行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1950 川徳デパートで「大棚さらひ」(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 盛岡の川徳デパートでは、2月3〜5日にかけて「大棚さらひ」を行うという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1950 釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) 昭和25年1月14日付の岩手新報に掲載されたこの広告は、当時の釜石における味噌と醤油の小売店登録に関する挨拶文です。戦後の混乱期を経て、物資の流通を管理していた需給調整規則が改正されたことに伴い、改めて「指定店」として登録を受けた店主たちが連名で広告を出したものです。 文面からは、指定店としての誇り… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1950 川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報) 昭和25年1月12日付の新岩手日報には、戦後日本の混乱と庶民のたくましさを象徴するような、驚くべき光景が記録されています。その記事が伝えているのは、隠退蔵物資と呼ばれた旧日本軍などの横領物資が摘発され、市民に安く放出された際の異様なまでの熱狂です。隠退蔵物資は、本来ならば終戦直後に国民へ分配されるべ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 11月 1949 いすゞTX80御成約の方に京都奈良伊勢志摩の旅を!(昭和24年11月4日) 昭和24年11月4日の岩手新報より。 盛岡のいすゞ販売店では、トラック「TX80」の制約に至った人向けに、京都・奈良・伊勢志摩の旅をプレゼントすることとしたようだ。 この当時であれば、大口の運送業の事業主などではなかっただろうか。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 1 11月 1949 大船渡では引揚者が自力で更生市場(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 気仙郡大船渡町では、引揚者が町議会議員の協力を得て国からの援助を断って自力で公正市場を作り上げたのだと言う。 そしてその途上では、世間の冷笑があったのだと言う。 現代の観点からだと、ちょっと想像しにくい話なのだが、引揚者が自分たちで生活を更生しよう… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1949 盛岡・川徳で「五大産地銘仙の会」開催!(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 盛岡の川徳デパートで「五大産地銘仙の会」を開催する。 銘仙の五大産地とは、八王子・伊勢崎・足利・秩父・村山(武蔵村山)のことらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 7月 1949 お盆に向け提灯の売れ行きは上々(昭和24年7月10日) 昭和24年7月10日の岩手新報より。 お盆に向け盛岡市内の仏具店では、提灯の売れ行きが好調であるという。 この時期にお盆の準備ということは、新盆だったということだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 7月 1949 盛岡市内の肉屋「ロールハム100匁330円、ベーコン320円!」(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報より。 盛岡市内の肉屋の加工製品の価格。… 続きを読む
l全県 6 5月 1949 石鹸は登録しないと買えなかった(S24.5.6新岩手日報) 昭和24年5月の新岩手日報に掲載されたこの告知は、現代の私たちには想像もつかない「石鹸が貴重品だった時代」の記憶を鮮明に伝えています。当時、石鹸は今のようにドラッグストアで自由に買える日用品ではなく、政府の管理下で一人ひとりに割り当てられる配給品でした。 その最大の理由は、石鹸の主原料である牛脂やヤ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 5月 1949 盛岡・松屋デパートの屋上に児童遊園ができました!(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡の2大デパートの一角を占めていた肴町の松屋デパートが、屋上に児童遊園を開設したという🏬 子供の日を期して、気合が入っていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 3月 1949 お魚の配給は岩手水産に登録を!(昭和24年3月15日) 昭和24年3月15日の岩手新報より。 広告欄には、お魚の配給を登録するよう広告がだされている。 内陸であれば鮮度の怪しいような赤身魚でも重宝されただろうか。 … 続きを読む