e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 5日 1988 釜石製鉄所の合理化計画(S63.2.5) 新日鉄釜石製鉄所は、鉄鋼業界の合理化に伴い、鉄以外の分野への新事業展開を進めています。特に、キノコ栽培、ヘアセット商品、タンパク質食品「タンパッキー」など、多岐にわたる新事業に取り組んでおり、余剰人員の活用も目的としています。また、製鉄所内に飼料備蓄基地の建設も計画されており、輸入飼料の供給を見込ん… 続きを読む
m県外・参考 3月 23日 1973 【参考】水俣病裁判が熊本地裁で勝訴(S48.3.23中日ニュース) 「水俣奇病」から10年以上の戦い。 https://youtu.be/85-T0e-oHts … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 6日 1967 昭和42年の久慈市5大ニュース(昭和42年12月6日) 昭和42年12月9日のデーリー東北より。 久慈市は、市勢ニュースを公募していたが、応募総数が142通あり、12月6日の久慈市広報委員会で以下の通りに決まった。 2年連続豪雨災害 川崎製鉄久慈工場閉鎖 岩手国体の柔道会場に決定 久慈中学校や久慈高校の野球部が善戦 久慈市役所の機構改正 &… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 18日 1967 きれいになった釜鉄桟橋(昭和42年11月18日) 昭和42年11月18日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、荷役作業の能率向上と環境整備による災害防止の効果を狙い、桟橋改善工事を行っていた。 工事は、桟橋クレーンの延長と軌道改良に伴い舗装化に重点が置かれ、これまで一部ゴタゴタしていた荷役作業現場もスッキリして、気持ちよく働けると作業員から喜ばれた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1967 ブラザーミシンが釜石に沿岸サービスセンターをオープン(昭和42年11月4日) 昭和42年11月4日の岩手東海新聞より。 ブラザーは、釜石に「沿岸サービスセンター」をオープンするという。 場所は、釜石駅から大渡橋を渡ってすぐのところだった模様。 ところで橋上市場は「橋上マーケット」と呼んでおり、幹部社員は男子しか募集していなかった時代。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1967 釜石製鉄所幹部・内線一覧(昭和42年1月1日) 昭和42年1月1日の岩手東海新聞より。 新年の挨拶として、釜石製鉄所では幹部一覧を掲示していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1966 釜石製鉄所で品質管理月間(昭和41年11月1日) 昭和41年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、11月1日から1ヵ月間を昭和41年度の品質管理月間と定め「品質管理サークルで品質事故をなくそう、品質改善を推進しよう」というテーマで運動を展開していくことにした。 この時期、品質の向上こそが鉄鋼市場での重要なウェートを閉めており、品質の保証な… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 7日 1966 釜石製鉄所の第一高炉がいよいよ火入れ(昭和41年7月7日) 昭和41年7月6日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の第一高炉はいよいよ7月7日に火入れ式を行うと言う。 この時期の釜石製鉄所の従業員数は6300人いたと言う。 この高炉の改修は、国内の鉄鋼業界でも類を見ない工期52日間で達成し、無死亡記録を樹立したものであると言う。 この高炉は、鋳物用銑で需要量に見… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 5日 1966 釜石製鉄所にボーナスが出て小川体育館でも臨時デパート(S41.7.5岩手東海新聞) 釜石製鉄所にボーナスが出て、小川体育館に臨時でパートができたという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 4日 1966 いよいよ釜石製鉄所で夏のボーナス支給(S41.7.4岩手東海新聞) 釜石製鉄所でもいよいよ夏のボーナスが支給であるという。 このことは、釜石市内の商店にとっても大きな関心事項であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1966 驚きの近代設備を誇る東海製鉄(S41.7.1岩手東海新聞) 東海製鉄ができることにより、釜石から多くの人口流出が始まる。 そういう意味では「釜石の終わりの始まり」とも言えるニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 12日 1965 釜石はボーナス・サンデーで商店街や釜鉄購買部が大賑わい(昭和40年12月12日) 昭和40年12月12日の岩手東海新聞より。 釜石は12月12日、製鉄所でボーナスが出て初めての日曜日を迎え、商店街や釜石製鉄所の購買部は大賑わいになった。 商店街には慈善鍋も出た。 … 続きを読む
l全県 10月 18日 1965 リッカーの家電事業進出による大量募集!(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 リッカーミシンが家電事業に進出することにより、社員をしんきぼしゅうすることになった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 13日 1965 運行終了した釜石の「社線」の機関車が1両保存されることに(昭和40年10月13日) 昭和40年10月13日の岩手日報より。 釜石鉱山から釜石製鉄所まで、鉄鉱石を運んできたいわゆる「社線」は、今年の3月28日に運行を終了した。 これまで熱心に撤去運動を進めてきたとは言え、釜石の発展に尽くしてきた事は確かで、機関車を保存することになった。 製鉄所側もこれを了承し、1台の機関車を、釜石市… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 釜石製鉄所で異動のあった3課長はみな東大卒(S40.7.1岩手東海新聞) 釜石製鉄所で人事異動があり、秘書課長兼人事課長(39歳)、整員課長(37歳)、労働課長心得(35歳)はみな東大卒だった。 そして顔写真入りで紹介された時代。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 釜石製鉄所構内で安全パレード(昭和40年7月1日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の構内では、雷雨の中を作業安全パレードが行われたようである。 どうも手前のマイクロバスは、県南バスから借りてきたような色にも思えるが、ナンバーが白なので自家用だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 9大電機メーカーが釜石で説明会!(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 9大電機メーカーが釜石で説明会を行うという。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 4月 2日 1965 誘致した工場の子弟は越境入学させる問題(S40.4.2岩手日報) 北上市はパルプ工場を誘致できたは良かった。 しかし、それは北上市と金ヶ崎町の中間地点だった。 なおかつ、社宅は金ヶ崎町側にあった。 従業員組合は、子弟を北上市側の学校に通わせることを要求する。 なんとそれが通ってしまっていたのだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1965 「釜鉄タワー」の建設始まる(昭和40年3月2日) 昭和40年3月2日の岩手東海新聞より。 当時の釜石のシンボルと言えば、釜石製鉄所の5本煙突であったが、その他に、転炉を建設するために駅前にタワーを建設することになったのである。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 4日 1964 釜石から東海製鉄に2300人が転出(s39.9.5岩手東海新聞) この時期、釜石から東海製鉄への転出が相次いでいた。 この時は2300人だったという。 これが釜石の「終わりの始まり」。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1964 いよいよ東海製鉄の一高炉火入れへ(S39.9.3岩手東海新聞) 東洋一と言われたビッグプロジェクトの東海製鉄の一高炉の火入れが9月5日に迫っていた。 釜石製鉄所からは700人の従業員が転出していたという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 2日 1964 釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞) 釜石では、昭和25年の時点で釜石線が釜石鉱山からの「社線」に並行して開業していたが、釜石鉱山からの鉄鉱石輸送がすぐに釜石線に移行したわけではなかった。 そして、自動車が増えてからは道路交通の邪魔となっていた。 しかし、やっとのことで撤去の運びとなりそれに向けた工事が進んでいた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 25日 1964 釜石で技能オリンピック(昭和39年6月25日) 昭和39年6月25日の岩手東海新聞より。 釜石職業訓練協会では「技能オリンピック」を開催するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 5日 1964 釜石製鉄所の溶接用の鋼材にもJISマークを認可(昭和39年6月5日) 昭和39年6月5日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の重要製品として、線材とともにSM材(溶接構造用圧延鋼材)があった。 これを高級化し、品質の研究改善が行われ、ついには通産省からJIS表示の正式認可を受けたのだと言う。 SM材は、特に溶接性に優れており、船舶造船や建築プランとや橋梁や車両など幅広く使… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 1日 1964 釜石・鈴子温水プールが解体開始(昭和39年6月1日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 一時期は「東北唯一の温水プール」として、冬季水泳大会も行われた釜石製鉄所の鈴子プールが、6月1日から解体を始めた。 鈴子プールは、三鬼隆が昭和11年に防火用の貯水池として作ったのが始まりであり、それまでプールのなかった釜石市のために、プールとして釜石市民に開放… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 31日 1964 釜石製鉄所の大運動会(昭和39年5月31日) 昭和39年6月1日の岩手東海新聞より。 毎年恒例の釜石製鉄所の大運動会は、5月31日に釜石製鉄所松倉グランドで開催された。 県南バスのストで開催が危ぶまれたが、ストが回避され、各社宅から多くの人が集まって、爆笑と共に各競技が進行された。 &nb… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 7日 1964 釜石駅から「蛍の光」で東海製鉄へ33人が転出(S39.2.7岩手東海新聞) この年の2月1日、釜石から最初の東海製鉄への転出車が送られたが、今度は第2陣の33名が転出。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 5日 1964 釜石の人口が減って8万人台になります!(昭和39年2月5日) 昭和39年2月5日の岩手東海新聞より。 東海製鉄への転出の影響で、釜石市の人口が8万人台に減るという。 それは大ニュースであった。 … 続きを読む