e釜石・遠野・上閉伊郡 18 9月 1963 大槌青果市場に釜石分場がオープンします(昭和38年9月18日) 昭和38年9月18日の岩手東海新聞より。 大槌青果市場では、釜石分場をオープンするという。 青果取引の中心は、釜石ではなく大槌だったようである。 また、現在世界遺産となっている橋野高炉のあるあたりでは、集配もしてくれるという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 16 9月 1963 江刺市役所で胆江地区保健婦研究発表大会(昭和38年9月16日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 9月16日、江刺市役所ホールで第3回胆江地区保健婦研究発表大会が行われる。 そして代表者が県大会に出場するのだという。 発表は以下の4名。 農家と非農家の乳児発育と環境衛生 部落組織と環境衛生 未熟児訪問をかえりみて 保健婦業務とその限界 いず… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 9月 1963 県立六原農場で果樹園に豚を放牧する試み(昭和38年9月12日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 金ケ崎町の県立六原農場では、新しい試みとして肉用豚を果樹園に放牧するという。 果樹園に放牧することで、豚は雑草や落ちたリンゴを食べてくれる。そして広々とした運動場にもなる。 出したウンコはそのまま下肥になる。 雨が降れば自分で物陰に隠れる。 このような試みを… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 9月 1963 二百十日も二百二十日も無事に過ぎ、まずは豊作か(昭和38年9月12日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 農家の厄日といえば何といっても「二百十日」。 立春から約210目の9月初頭は、せっかく黄金色に実った稲を台風が根こそぎ持っていくという、農民が最も恐れる期間であった。 しかし胆江地方では二百十日を無事に過ぎ、二百二十日も何事もなく、豊作が予想された。 &nb… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 9月 1963 江刺・愛宕農協では豊作貧乏を防ぐために玉ねぎ7000箱を出荷せず倉庫に貯蔵(昭和38年9月12日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 江刺市の愛宕農協では、豊作貧乏を防ぐために価格調整をして敢えて出荷せず、玉ねぎ7000箱を倉庫に貯蔵することとした。 9月4日現在で3000箱を出荷したが、価格は1箱1000~1300円で高値で取引されていた。 得にこの年は主産地が不作で驚異的高値が予想され… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 9月 1963 江刺ではホップ収穫の最盛期(昭和38年9月5日) 昭和38年9月5日の岩手民声新聞より。 江刺ではビールの苦味の原料となるホップの収穫が最盛期を迎えている。 江刺でホップ栽培が始まったのは昭和31年であるという。 昭和38年現在で、栽培農家は346戸、40㌶にもなっていた。 前年は日照り続きで作柄が悪く15㌧前後であったが、この年は天候に恵まれ代豊… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1963 平泉町長島のリンゴは東京でも好評(昭和38年9月4日) 昭和38年9月4日の岩手報知より。 平泉町長島のリンゴ生産は、ここ数年で急激に成果をあげたのだと言う。 高級品種の「スターキング」「デリシャス」などは東京の中央市場でも好評を博しているのだと言う。 また、薬剤散布機の共同購入や、自動選果機による大量生産も功を奏しているのだと言う。 &n… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 7月 1962 病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8 4月 1962 水沢市内の田圃から宋銭が大量に出土(S37.4.8胆江日日新聞) 昭和37年4月8日付の胆江日日新聞は、水沢市佐倉河で起きた思いがけない出来事を伝えている。 春の農作業として、水田の底土を低くする作業を進めていたところ、土の中から大量の古銭が見つかったという。 Screenshot 鍬を入れるたびに現れたのは、銅色にくすんだ古い銭貨だった。発見者は農家の人で、私的… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 4月 1962 昭和36年度の水沢建設事務所管内の農地改良事業は3.6億円(S37.4.7胆江日日新聞) 昭和37年4月7日付の胆江日日新聞は、建設省水沢建設事務所が昭和36年度の土地改良事業を取りまとめたことを報じている。記事の見出しが強調する通り、この年度は事業費・内容ともに、近年まれに見る規模であった。 Screenshot その背景にあったのが、戦後農地改革の結果として生じた農地の細分化である。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 1月 1962 江刺で社会党議員「自民党は徒党政治だ!農家は集団化すべきだ!」(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺市で社会党の北山愛郎議員、千田正議員を読んで講演会をしたという。 ただ「農家は共同化が必要」「資本主義から社会主義へ」と、令和の現代では考えられないような発言。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 1月 1962 釜石の缶詰工場が休閑期に遠野のとうもろこしを加工(S37.1.8岩手日報) 釜石の缶詰工場が休閑期に遠野のとうもろこしを加工するという、「水産釜石」と「農業遠野」を結ぶ試みが行われた。 … 続きを読む
l全県 4 1月 1962 農村を明るくしたテレビ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報より。 昭和33年に岩手県内でもテレビは本放送を開始して、農村にもテレビが普及するようになっていた。 その結果、生活が明るくなり、陰口なども減ったのだと言う。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 24 11月 1961 金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 東北本線の金ヶ崎駅は貨物の取り扱いを廃止する予定であるという。 これに対し、江刺市長と金ヶ崎町長は廃止反対の陳情を盛鉄局に対して行うという。 しかし、盛鉄局としては貨物集約の方針は全国的なものであり、計画の変更は困難であるという。 駅前の稲瀬農協(江刺市)… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 23 11月 1961 地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 水沢競馬上の土地所有者達で結成する土地擁護組合は、競馬場の走路の変換と、耕地への地目変換措置を要望していた。 水沢市は赤字再建団体(記事原文ママ)であったところ、黒字が近くなり競馬に頼らなくても財政が健全化するだろうというはらからだった。 しかし水沢市にし… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 11月 1961 水沢で一年ねぎの初出荷(昭和36年11月15日) 昭和36年11月15日の胆江日日新聞より。 水沢市や水沢農協などでは、農家の収益を上げるために従来の二年ねぎから一年ねぎに切り替えるように指導していた。 その初出荷が行われた。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 13 11月 1961 水沢家畜市場の馬市場案内(昭和36年11月13日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢家畜市場では11月13日~14日の間、秋の馬市場を行うという。 農作業にはまだまだ馬力を必要としていた時期であった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 水沢の初冬の風物詩・大根のハゼかけ(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 胆江地方では大根が収穫され、ハゼに掛けられている。 現在でも、検索すれば「大根のはざかけ」で出てくる。 ちなみに写真は水沢市常盤にて撮影したものであるとか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 9月 1960 大槌で恒例の馬市開催(S35.9.23岩手東海新聞) 大槌町では馬市が恒例であったという。 トラクターが発達する前は、農耕には欠かせない動力であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石青果市場の市況(S35.9.5岩手東海新聞) 釜石青果市場の市況は、以下のようになっていた。 きゅうりは栗林から、大根やキャベツは遠野から届いていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1960 釜石は史上最高の豊作(昭和36年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 写真記事であるが「1291万㌧ーー史上最高の豊作」と書いてあるが、それが釜石市内でのことなのか、はたまたこの写真を写した釜石市甲子町のことなのかまでは判然としない。 農家の厄日である二百十日も過ぎて、稲穂は重そうに頭を垂れている。 子供達はクルマトンボと戯れて… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1960 釜石かつぎ屋事情(S35.9.1岩手東海新聞) 「釜石残酷物語」としてシリーズものになっていた、釜石の下層生活の一端を物語る話。 この頃の担ぎ屋は、遠野あたりの農村地帯から来ていたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 7月 1960 一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 一関市大平開拓地から、南米パラグアイに行く3世帯17名の送別会が中里農協会議室で開かれた。 送別会には一関市長、一関市農林課長、市内各農業組合長、開拓連盟支部長など60人が集まった。 移民団の代表からは「このような盛大な送別会を開いていただいて感謝にたえません。パ… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 13 1月 1960 気仙地方では麦踏みが始まる(昭和35年1月13日) 昭和35年1月13日の岩手日報より。 記事中の記述をそのまま借りれば「雪を知らない気仙地方ではもう麦ふみが始まった」。 麦踏みというのは、麦の新芽の段階で踏圧することで、耐寒性を高めるのだという。 令和の現在、気仙地方で麦の生産が盛んであるという印象はない。 JA大船渡のホームページに… 続きを読む
g北上・和賀郡 2 12月 1959 北上で東北最後の馬市(昭和34年12月2日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 このシーズンでは東北で最後に開催される北上の馬市は、北上市馬検場で北海道産馬1000頭を集めて開催された。 まだ農耕や移動には馬力が必要だった時代である。 北上(黒沢尻)の馬市は、東北で最後の「おせり」として、関東や関西からも集まるにぎやかなものであったという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 6月 1959 作業用一輪車は7000円前後(昭和34年6月12日) 昭和34年6月12日の岩手民声新聞より。 広告欄には、江刺市内の業者による作業用一輪車の広告が載っている。 当時の一輪車の価格は、大体7000円前後だったようである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 3月 1959 一関職安管内の北海道農夫出稼ぎ希望者は求人の半分以下の応募(昭和34年3月30日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 北海道季節農業労務者は一関公共職業安定所で150人の求人に対し、半分以下の70人しか集まらなかったという。 この70人は、4月2日と4日に北海道に向けて出発するという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1959 盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ… 続きを読む