農業

二百十日も二百二十日も無事に過ぎ、まずは豊作か(昭和38年9月12日) h水沢・江刺・胆沢郡

二百十日も二百二十日も無事に過ぎ、まずは豊作か(昭和38年9月12日)

昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 農家の厄日といえば何といっても「二百十日」。 立春から約210目の9月初頭は、せっかく黄金色に実った稲を台風が根こそぎ持っていくという、農民が最も恐れる期間であった。 しかし胆江地方では二百十日を無事に過ぎ、二百二十日も何事もなく、豊作が予想された。 &nb…
江刺・愛宕農協では豊作貧乏を防ぐために玉ねぎ7000箱を出荷せず倉庫に貯蔵(昭和38年9月12日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺・愛宕農協では豊作貧乏を防ぐために玉ねぎ7000箱を出荷せず倉庫に貯蔵(昭和38年9月12日)

昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 江刺市の愛宕農協では、豊作貧乏を防ぐために価格調整をして敢えて出荷せず、玉ねぎ7000箱を倉庫に貯蔵することとした。 9月4日現在で3000箱を出荷したが、価格は1箱1000~1300円で高値で取引されていた。 得にこの年は主産地が不作で驚異的高値が予想され…
江刺ではホップ収穫の最盛期(昭和38年9月5日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺ではホップ収穫の最盛期(昭和38年9月5日)

昭和38年9月5日の岩手民声新聞より。 江刺ではビールの苦味の原料となるホップの収穫が最盛期を迎えている。 江刺でホップ栽培が始まったのは昭和31年であるという。 昭和38年現在で、栽培農家は346戸、40㌶にもなっていた。 前年は日照り続きで作柄が悪く15㌧前後であったが、この年は天候に恵まれ代豊…
平泉町長島のリンゴは東京でも好評(昭和38年9月4日) i一関・西磐井郡

平泉町長島のリンゴは東京でも好評(昭和38年9月4日)

昭和38年9月4日の岩手報知より。 平泉町長島のリンゴ生産は、ここ数年で急激に成果をあげたのだと言う。 高級品種の「スターキング」「デリシャス」などは東京の中央市場でも好評を博しているのだと言う。 また、薬剤散布機の共同購入や、自動選果機による大量生産も功を奏しているのだと言う。   &n…
病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) h水沢・江刺・胆沢郡

病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日)

昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して…
金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日) h水沢・江刺・胆沢郡

金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日)

昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 東北本線の金ヶ崎駅は貨物の取り扱いを廃止する予定であるという。 これに対し、江刺市長と金ヶ崎町長は廃止反対の陳情を盛鉄局に対して行うという。 しかし、盛鉄局としては貨物集約の方針は全国的なものであり、計画の変更は困難であるという。 駅前の稲瀬農協(江刺市)…
地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日) h水沢・江刺・胆沢郡

地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日)

昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 水沢競馬上の土地所有者達で結成する土地擁護組合は、競馬場の走路の変換と、耕地への地目変換措置を要望していた。 水沢市は赤字再建団体(記事原文ママ)であったところ、黒字が近くなり競馬に頼らなくても財政が健全化するだろうというはらからだった。 しかし水沢市にし…
釜石は史上最高の豊作(昭和36年9月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石は史上最高の豊作(昭和36年9月3日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 写真記事であるが「1291万㌧ーー史上最高の豊作」と書いてあるが、それが釜石市内でのことなのか、はたまたこの写真を写した釜石市甲子町のことなのかまでは判然としない。 農家の厄日である二百十日も過ぎて、稲穂は重そうに頭を垂れている。 子供達はクルマトンボと戯れて…
一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日) i一関・西磐井郡

一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日)

昭和35年7月9日の岩手報知より。 一関市大平開拓地から、南米パラグアイに行く3世帯17名の送別会が中里農協会議室で開かれた。 送別会には一関市長、一関市農林課長、市内各農業組合長、開拓連盟支部長など60人が集まった。 移民団の代表からは「このような盛大な送別会を開いていただいて感謝にたえません。パ…
気仙地方では麦踏みが始まる(昭和35年1月13日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

気仙地方では麦踏みが始まる(昭和35年1月13日)

昭和35年1月13日の岩手日報より。 記事中の記述をそのまま借りれば「雪を知らない気仙地方ではもう麦ふみが始まった」。 麦踏みというのは、麦の新芽の段階で踏圧することで、耐寒性を高めるのだという。   令和の現在、気仙地方で麦の生産が盛んであるという印象はない。 JA大船渡のホームページに…
北上で東北最後の馬市(昭和34年12月2日) g北上・和賀郡

北上で東北最後の馬市(昭和34年12月2日)

昭和34年12月2日の岩手日報より。 このシーズンでは東北で最後に開催される北上の馬市は、北上市馬検場で北海道産馬1000頭を集めて開催された。 まだ農耕や移動には馬力が必要だった時代である。 北上(黒沢尻)の馬市は、東北で最後の「おせり」として、関東や関西からも集まるにぎやかなものであったという。…
盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日)

昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ…