農業

わが町わが村「上閉伊郡金沢村」(昭和27年9月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

わが町わが村「上閉伊郡金沢村」(昭和27年9月18日)

昭和27年9月18日の岩手日報より。 手前が役場、左側が中学校、向かい側が診療所に小学校 「わが町わが村 戦後版」というシリーズ物の記事は、今回は上閉伊郡金沢村。 現在の大槌町金沢地区となる。 昭和9年の大凶作では犬や猫まで食い、ネズミまでいなくなったと全国紙に報じられた「日本一の貧村」であったとい…
岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日)

岩手県民はどのような理由で死ぬのか。 岩手大学農学部小柳達男氏が県内の地域別に死因の調査を行った。 米作地(水沢):10万人 死亡者・・・10万人中213.3人 脳溢血・・・同 38.3人 結核 ・・・ 同 24.4人 乳児栄養不良 ・・・ 同 22.3人 畑作地(福岡(二戸)):7万人 死亡者・・…
GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日)

敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。 そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発…
馬力大会で「農村タクシー」続々 a盛岡・岩手郡・紫波郡

馬力大会で「農村タクシー」続々

昭和27年9月16日の岩手日報より。 盛岡八幡宮の祭典が行われている時、近くの馬検場では県下馬力大会が開かれた。 農村からは「荷車タクシー」で押しかけたという。 各農家はもう収穫を待つだけの一休みの状態だった。 八幡宮の境内では、サーカス、女相撲、メリーゴーランド、民謡大会が開かれる盛況であったとい…
我が町わが村「世田米町」 k大船渡・陸前高田・気仙郡

我が町わが村「世田米町」

昭和27年9月13日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、今回は気仙郡世田米町。 後年の住田町となる。 この年に市制した隣の大船渡市は、国土総合開発による工業都市に指定され、農地が潰されることが予想されていた。 おそらくは陸前高田も同じような道を歩むだろう。 そうすれば、…
1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) b二戸・二戸郡

1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日)

昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の…
盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅で小荷物の中にヤミ米

昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。   終戦から6…
葛巻町で産業祭(昭和24年11月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

葛巻町で産業祭(昭和24年11月3日)

昭和24年11月3日の岩手新報より。 葛巻町では、秋の収穫を祝って11月1日から3日まで葛巻小学校で産業祭が開催され、雨の中を多くの人出で賑わったと言う。 ところで、葛巻町と言うのは馬淵川の源流域にあるので、二戸や一戸と同じ二戸郡にありそうなものであるが、実は、久慈や野田から塩を運ぶ野田街道の宿場町…
ブドーの実もたわわに揺れる(昭和24年9月1日) j生活

ブドーの実もたわわに揺れる(昭和24年9月1日)

昭和24年9月1日の岩手新報より。 「九月のこよみ」という、9月の予定を列挙した記事。 どこのブドー園かは不明であるが、ブドー(記事原文ママ)の実もたわわに揺れて実りの秋を迎えようとしている。 二百十日にはキッティ台風(記事原文ママ)が来て農家の厄日となりそうだ・・・と書いている。 そして、「サンマ…
赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日)

昭和23年7月14日の岩手新報の広告欄より。 赤川用水路の通水式が行われ、関係各村からもお祝い広告が出されている。 村役場が直接出してるだけでも岩手郡巻堀村、渋民村、大更村と、松尾鉱山のふもとの赤川を農業用水に使っている各村から出されていた。 ただし、この赤川用水路は松尾鉱山の垂れ流す酸性水で何年も…
県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日)

昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。      …
日詰の秋祭りが10年ぶりに復活(昭和21年9月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

日詰の秋祭りが10年ぶりに復活(昭和21年9月8日)

昭和21年9月8日の新岩手日報より。 日詰の秋祭りは10年ぶりに復活したのだと言う。 そして、さんさ踊り獅子舞や手踊りなどをにぎやかに繰り出したが、中でも人気があったのは鍛冶町各組から出た5つの樽神輿であったと言う。 紺の匂いも昔懐かしく、お揃いのハッピとねじりハチマキとわらじ姿でわっしょいわっしょ…
さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) l全県

さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日)

昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では…
新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 a盛岡・岩手郡・紫波郡

新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁

終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ…
東磐井郡の大日本婦人会員が傷痍軍人に蕨・ぜんまいを贈る(昭和19年8月1日) j東磐井郡

東磐井郡の大日本婦人会員が傷痍軍人に蕨・ぜんまいを贈る(昭和19年8月1日)

昭和19年8月1日の岩手日報より。 東磐井郡下の大原・興田・折壁・奥玉・大津保・田河津・猿沢・長坂・舞川・門崎・渋民の各村の大日本婦人会支部員は、ワラビやゼンマイを採取しこれを乾燥したものが150貫(562.5kg)に達したので、これを傷痍軍人の為に送ることにした。     &n…