a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1984 岩手県内のサラ金規制法適用第1号(S59.1.5) サラ金(消費者金融)による被害が増加し、自殺や家庭崩壊が相次いだことを受け、昭和58年にサラ金規制のための二法が施行されました。この法律は悪質な取り立てを抑制し、被害を防ぐことを目的としていましたが、施行後も多くの人が厳しい取り立てに苦しんでおり、自殺者が増加するなど深刻な事態が続いています。 特に… 続きを読む
m県外・参考 2月 18日 1977 【参考】まだ質屋がポピュラーだった(S52.2.18中日ニュース) この頃は、まだ質屋というものが身近だったようだ。 東京都内にて。 https://youtu.be/d6zpDLVNO6w … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 11日 1970 県立図書館前の花(昭和45年11月11日) 昭和45年11月11日、東北銀行の開業20周年を記念して、東北銀行本店前でもある県立図書館前に花時計が設置される。 幼い頃(昭和50年代前半)の個人的な思い出として、盛岡の東大通からサンビルにかけてのあたりの情景としてこの花時計は記憶に残っている。 https://youtu.be/YT_UF5m8… 続きを読む
事件・犯罪・司法 12月 10日 1968 【参考】東京・府中市で三億円事件(昭和43年12月10日) 結局犯人は見つからず、昭和50年に時効。 https://youtu.be/77PVWiBV_eM… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 18日 1967 盛岡・川徳デパート「春物大売り出し!」(昭和42年3月18日) 昭和42年3月18日の岩手東海新聞より。 盛岡の川徳デパートでは、春物を大売り出しすると言う。 … 続きを読む
l全県 7月 1日 1966 興産相互銀行が「北日本相互銀行」に改称(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 興産相互銀行は、この7月1日より、「北日本相互銀行」と解消することになった。 現在の北日本銀行である。… 続きを読む
l全県 3月 2日 1966 新しい興産相互銀行のマークです(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 興産相互銀行の新しいマークをお披露目。 北日本相互銀行になってからも使用してたはず。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 18日 1965 盛岡の南大通に弘前相互銀行の支店が開店(昭和40年10月18日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 弘前相互銀行の南大通支店が、10月18日に営業を開始した。 弘前相互銀行とは、現在のみちのく銀行のこと。 「弘前相互無尽」の頃から、岩手県内で積極的に営業を繰り広げていた。 令和4年現在、みちのく銀行で岩手県内にある支店は、盛岡支店と久慈支店のみになっている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 11日 1963 興産相互銀行釜石支店で日銀歳入代理店業務開始!(昭和38年9月11日) 昭和38年9月11日の岩手東海新聞より。 興産相互銀行釜石支店では、日本銀行の歳入代理店業務を開始するという。 このことで、各種税金の納入が窓口でできるようになる。 ちなみに、興産相互銀行とは北日本銀行のこと。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 1日 1963 一関信用金庫「信用金庫預金2兆円達成特別貯蓄月間」(昭和38年9月1日) 昭和38年9月1日の岩手報知より。 広告欄には一関信用金庫が「信用金庫預金2兆円達成特別貯蓄月間」の広告を出している。 別に一関信金が単独で2兆円を達成した分けではなく、全国の信用金庫で2兆円ということであろう。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 ご愛顧三十年、皆様の釜石信用金庫です(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石信用金庫はこの時点で創業して30年が経過しており、中心街の只越に本店があり、支店は製鉄所の社宅がある中妻、大船渡に行く途中にあり気仙郡ながら昭和30年に釜石市と合併された唐丹村に支店、釜石駅から大渡橋を渡ってすぐの大渡町に出張所があったようである… 続きを読む
m県外・参考 1月 1日 1960 日興証券仙台支店「繁栄の1960年 マネービルを始めましょう!」(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 日興証券仙台支店が「マネービルを始めましょう」と広告を打っている。 マネービル… なんだか懐かしい響きである。 少なくとも昭和50年代中頃まではこんなコピーを見ていた覚えはある。 ところで、他の広告が七十七銀行だったり三色最中だったり、仙台の企業のものばかりだ… 続きを読む
j東磐井郡 9月 17日 1959 興産相互銀行摺沢支店の新店舗オープン 昭和34年9月17日の岩手日報より。 東磐井郡大東町の興産相互銀行の摺沢支店の新店舗がオープンした。 新店舗は木造モルタルで2階建て。 昭和26年に興産無尽会社が興産相互銀行として発足し、これが北日本相互銀行となるのは昭和41年のこととなる。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 22日 1959 釜石信用金庫「あなたのお金で工場が動き、店が賑う」(昭和34年5月22日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石信用金庫が広告を出しているが、コピーは「あなたのお金で工場が動き、店が賑う」。 まあまさにその通りではあるんだけど・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 信用金庫の職員が一家3人殺して逃亡(昭和33年4月18日) 昭和33年4月18日に日が変わった丑三つ時。 盛岡市の寺町である新馬町の長屋から、住人の主婦の悲鳴が上がった。 「誰か来てーーーッ!」 何事かと思って眠りを破られた長屋の住人が集まってくる。 「どうしました?」 「何でもないんです」 ああ、そういえばここには19歳の養子がいたんだった。 喧嘩でもした… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2月 12日 1956 宮古の公益質屋は残念な大繁盛(昭和31年2月12日) 昭和31年2月12日の河北新報岩手版より。 宮古市の公益質屋は、この時期、悲しいことに大繁盛していた。 お客様は、漁閑期に入った零細漁民や日雇い労働者であった。 また、秋のスルメ漁の不漁もこのことに輪をかけた。 質草は、服が多かったと言う。 … 続きを読む
l全県 1月 23日 1956 東北六県の貯金額は過去にない増加(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 仙台からのニュースで、東北郵政局管内の貯金額はどこでも過去にない増加であることが報じられている。 … 続きを読む
l全県 1月 7日 1956 樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 終戦して10年以上が経過した。 しかし樺太への預金が残っているなど、いろいろな問題が残っていたようである。 それで、北海道拓殖銀行では「樺太に預金があった人は拓銀の各支店に申し出てください」と広告を出している。 確かに、盛岡市内だと青山町には樺太からの引き上げ者が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 22日 1955 借金取り立ての「暴力会社」摘発 昭和30年11月22日の岩手日報より。 盛岡警察署は、盛岡市内で暴力的に債務取り立てを行っていた暴力会社を摘発した。 これは、中小企業が年末の不況で債権回収できないところに付け込んで取り立てを代行すると称し、債務者に暴力的に押しかけるというものであった。 そして「人に言ったらお礼参りしてやるからな!… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 12日 1954 岩手殖産銀行宮古支店でギャング事件(昭和29年4月12日) 昭和29年4月12日は低気圧が本州を北上し、全国的に大雨となっていた。 そんな日の夕方4時過ぎ、岩手殖産銀行宮古支店では、公金取扱指定金融機関となっている宮古市の金庫から現金を持ってくる作業を行う25歳の職員がまだ帰ってこない。 まさか現金を持ち逃げするような男でもないはずだ。 そう思って雨の中、周… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 6日 1954 岩手県経済連の女子事務員に新しい事務服 昭和29年3月6日の岩手日報より。 ある程度以上の年齢であれば「岩手県経済連」と言えば「農協」のことであると分かることと思う。 社会人野球でも強豪であった。 当時は盛岡の呉服町(現在の中の橋の近くの第九十銀行跡のあたり)にあった。 その岩手県経済連で、女子事務員に新しい事務服というニュースである。 … 続きを読む
l全県 3月 3日 1954 農協貯金の東西横綱は湯口村と湯本村 昭和29年3月3日の岩手日報より。 県内の農協の貯金高番付が県信連によってまとめられた。 【東方】(単位:千円) 横綱 稗貫郡湯口村 101,908 大関 紫波郡志和村 97,367 関脇 紫波郡徳田村 89,744 小結 紫波郡飯岡村 69,543 前頭筆頭 江刺郡稲瀬村 前頭2枚目 稗貫郡宮野目… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12月 1日 1953 岩手県内では花巻・黒沢尻・水沢・摺沢に支店網を展開する会社?(S28.12.1岩手日報) 東京に本社のある「大和相互投資金庫」という会社があり、岩手県内では花巻・黒沢尻(北上)・水沢・摺沢(大東町)にあるという。 当時市制していた盛岡・釜石・宮古・一関・大船渡には全く支店が無い。 事業内容もよく分からないが、支店網展開がもっとよくわからない・・・ … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 20日 1953 保全経済会旋風、水沢だけでも同業15社(S28.11.20胆江日日新聞) この時期、「保全経済会」が話題をにぎわせていた。 ただし、似たような業態の会社はいくらでもあり、水沢だけでも同業者が15社いたと言う。 それらに、大丈夫だったのかどうかアンケートを取ってみたようだ。 ちなみに、この頃、胆江日日新聞は、大型化の最中であり、この日は大型だったので、紙面が4分の1しか取れ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 2日 1953 優良こども銀行に胆沢(水沢)管内から8校を推薦(昭和28年10月2日) 昭和28年10月2日の胆江日日新聞より。 「こども銀行」とはいっても、紙幣のおもちゃではなかったようで、小学校児童の貯蓄を奨励する運動であったようだ。 昭和28年度の優良こども銀行表彰は11月19日に東京で大蔵大臣や日銀総裁により表彰が行われることになったが、岩手県知事や岩手県貯蓄推進委員会は、胆沢… 続きを読む
l全県 9月 11日 1952 収穫の秋にあの手この手の貯蓄合戦(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 秋は農家の収穫や秋漁の水揚げで現金が多く飛び回り、各金融機関では、貯蓄の誘致に懸命であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1952 興産相互銀行(現:北日本銀行)大槌支店新築完成!(昭和27年9月7日) 昭和27年9月7日の岩手日報の広告欄より。 興産相互銀行の大槌支店の新店舗が落成し営業を開始したという広告が出ている。 興産相互銀行とはのちの北日本相互銀行で、令和3年現在でいえば北日本銀行。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 2日 1952 岩手殖産銀行が創立20周年(昭和27年5月2日) 昭和27年5月2日の岩手新聞より。 広告欄には、岩手殖産銀行が創立10周年を迎えた事の挨拶広告が掲載されている。 現在でこそ「岩手銀行」となっている岩手殖産銀行であるが、昭和6年当時の金融恐慌から岩手県内の銀行が大同合併して誕生したものである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 5日 1951 保全経済会の盛岡支部は三戸町(本町通)にあった(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 保全経済会の支部は盛岡にもあった。 三戸町というので現在の本町通2〜3丁目にあったのだろう。… 続きを読む