e釜石・遠野・上閉伊郡 7 9月 1952 興産相互銀行(現:北日本銀行)大槌支店新築完成!(昭和27年9月7日) 昭和27年9月7日の岩手日報の広告欄より。 興産相互銀行の大槌支店の新店舗が落成し営業を開始したという広告が出ている。 興産相互銀行とはのちの北日本相互銀行で、令和3年現在でいえば北日本銀行。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 5月 1952 岩手殖産銀行が創立20周年(昭和27年5月2日) 昭和27年5月2日の岩手新聞より。 広告欄には、岩手殖産銀行が創立10周年を迎えた事の挨拶広告が掲載されている。 現在でこそ「岩手銀行」となっている岩手殖産銀行であるが、昭和6年当時の金融恐慌から岩手県内の銀行が大同合併して誕生したものである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 8月 1951 保全経済会の盛岡支部は三戸町(本町通)にあった(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 保全経済会の支部は盛岡にもあった。 三戸町というので現在の本町通2〜3丁目にあったのだろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 7月 1951 3,000円もらったら金融機関へ!(昭和26年7月8日) 昭和26年7月8日の「夕刊いわて」より。 広告欄には、「私が今3,000円もらったら・・・」という広告記事になっている。 岩手銀行は「岩手殖産銀行」、北日本銀行に至っては「北日本相互銀行」「興産相互銀行」どころか「興産無尽」だった頃の話である。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 4月 1951 興産無尽肴町支店が開店(昭和26年4月11日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 興産無尽の肴町支店が11日に開店するという。 興産無尽は後の北日本相互銀行で、現在は北日本銀行。 … 続きを読む
m県外・参考 21 3月 1951 弘前無尽では「宝来定期預金」を募集中(昭和26年3月21日) 昭和26年3月21日の「夕刊いわて」より。 弘前無尽では「宝来定期預金」を募集している。 弘前無尽とは、後年のみちのく銀行のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 12月 1950 弘前無尽が増資新株式募集(昭和25年12月3日) 昭和25年12月3日の岩手新報より。 弘前無尽では増資して新株式を募集するという。 岩手県内の営業拠点は盛岡と福岡(二戸)にあったようであるが、「支店」ではなく「会場」と呼んでいた模様。 現在のみちのく銀行のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1950 弘前無尽「無尽契約30億円達成御礼!」(昭和25年12月1日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 弘前無尽では、無人契約30億円を達成したことに対するお礼広告を出している。 これは東北でも例を見ない快挙であったという。 (ちなみに、現在のみちのく銀行) また、「支店」ではなく「会場」と呼んでいたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 10月 1950 県営グランド宝くじ抽選会(昭和25年10月1日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 「県営グランド宝くじ抽選会」というのが10月1日に県公会堂で開催されるのだという。 これは岩手県が主催するのだそうで、受託しているのは日本勧業銀行。 後年も宝くじは第一勧銀が行っており、現在でもみずほ銀行が行っている。 この「県営グランド~」というものがどういう… 続きを読む
l全県 2 7月 1950 新しくできる「東北銀行」に寄せる県内各地の期待(S25.7.2岩手新報) 戦後地銀として盛岡に「東北銀行」が誕生する運びとなり、いよいよ大蔵省の認可も通った。 この東北銀行に対する県内の期待の程が伝わってくる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 富士銀行盛岡支店「強盗に来る?なら死ぬつもりで来いや」(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の新岩手日報より。 盛岡市呉服町にある富士銀行盛岡支店に、電話で「今から強盗に行く」と言う脅迫電話があったのだと言う。 これに対し、行員は「なら死ぬつもりで来い」と言ったのだと言う。 この脅迫電話は、一応警察に届けられた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 5 11月 1949 岩手新報八戸支社・久慈支局開設を祝う広告(昭和24年11月5日) 昭和24年11月5日の岩手新報より。 岩手新報では、八戸や久慈に支社や支局を開設したようで、それを祝う広告が各界から寄せられた。 警察署までの公共機関からも報告が寄せられているが、このような時、広告料は税金から出たのだろうか。 … 続きを読む
l全県 12 7月 1949 岩手県造林宝くじ当選番号表(昭和24年7月12日) 昭和24年7月12日の岩手新報より。 岩手県造林宝くじというのをやっていたようで、その当選番号表は右の通り。 請け負っていたのは当時の日本勧業銀行で、現在でも宝くじはその後身のみずほ銀行がやっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 7月 1949 岩手興産無尽の増資新株式募集(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報より。 岩手興産無尽は、増資新株式を募集している。 岩手興産無尽とは後年の北日本銀行のこと。 昭和26年に「相互銀行法」が制定される前、相互銀行は「無尽」だったのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1949 岩手興産無尽「みんなニコ 当たってニコ」(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 岩手興産無尽が広告を出しており「みんなニコ当たってニコ」と言う。 岩手興産無尽が興産相互銀行になるのはこの2年後の昭和26年10月のこと。 … 続きを読む
事件・犯罪・司法 26 1月 1948 【参考】帝銀事件 TBSスパークルの画像より。 岩手県には直接関係のないニュースではあるが、時代相を表す参考資料として。 ちなみに、このブログの管理人の祖父は郵便局に勤めていたが、この事件のニュースを聞き「うっかりお茶も飲めないな」と同僚と話していたいたという。 https://www.youtube.com/wat… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1945 宝くじのルーツは戦時中の「勝札」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 盛岡煙草販売組合では、「7月攻勢」の目標に、①アルミ貨回収、②勝札売り捌き を決定した。 ①アルミ貨回収というのは、当時の10銭以下の小銭がアルミニウムでできていたところ、戦闘機の製造にアルミニウムが不足していたので貨幣は錫で製造することとし、アルミニウムの小銭は… 続きを読む
l全県 8 12月 1943 岩手興産無尽も「貯蓄必成」「米英撃滅」(S18.12.8岩手日報) 昭和16年に太平洋戦争が始まって3年目を迎えようとしていた。 それで岩手興産無尽(現:北日本銀行)も気合の入った手書き広告。 それに加えてラジオ番組欄も。… 続きを読む
l全県 20 1月 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む
l全県 16 1月 1942 大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日) 昭和17年1月16日の岩手日報より。 大政翼賛会のマークも高らかに献納を呼び掛けている。 「一億のどよめく勝鬨にあけた皇紀二千六百二年」とあるが、これは前年12月8日の真珠湾攻撃のことだろうか。 「この戦果に酔ってはいけない」とはいうものの、すでに諸々の配給は滞り始めていたのである。 むしろ「戦果に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1936 岩手県内主要企業の株価(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 この当時の岩手県内の主要な企業の株価が並んでいる。 当時の金融機関は「盛岡銀行」「九十銀行」「岩手無尽」の時代。 また、川口荷札(現:川口印刷)也岩手軽便鉄道などもある。 ちなみに、盛岡の小人町通りとは盛岡バスセンターとわんこそば東屋本店の間の通り。 … 続きを読む
l全県 8 2月 1935 凶作だった東北6県でなぜか郵便貯金の総額が増加 昭和10年2月8日の読売新聞より。 前年は東北6県は凶作であった。 しかし、仙台貯金支局で発表したところによると、昭和10年1月末現在の貯金額は160,837,346円(+2,154,451円)、人員は2,948,913人(+17,500人)であったという。 もともと東北地方の貯金は貧弱であったとこ… 続きを読む
l全県 1 1月 1931 県内各企業の年始広告(S6.1.1) 岩手県内各企業の年始広告。 岩手軽便鉄道は花巻町に本社があった。 当時の岩手銀行はのちにこの第九十銀行、第八十八銀行と合併し陸中銀行に、それが岩手殖産銀行に岩手貯蓄銀行ともども戦時合併し、現在の岩手銀行となる。 … 続きを読む
備考※1 24 10月 1929 【参考】世界恐慌・ブラックサーズデー 昭和4年10月24日、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落。 「ブラックサーズデー」。 https://www.youtube.com/watch?v=UMm_Y2N9Soo… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 岩手無尽の広告(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 岩手無尽の広告。 こんな自然の豊かな所に本店があったということだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 12月 1926 第九十銀行「多少ニ不拘御用命願ヒ候」(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 盛岡に本店があった第九十銀行の企業広告が出ている。 支店網は盛岡から北を中心に、青森県の八戸や田子まで展開されていたことを物語っている。 第九十銀行は後に岩手銀行となっている。 また、第九十銀行の本店であった建物は現在でも「もりおか啄木・賢治青春館」として現存し… 続きを読む