i一関・西磐井郡 3 9月 1963 一関銘菓こけし最中(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手報知より。 広告欄には銘菓こけし最中の広告が出ている。 一関というのは何かにつけ宮城っぽいとは思っていたがやはりここでも宮城。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 9月 1963 一関市内封切映画案内(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手報知より。 広告欄には一関市内の封切り映画案内が掲載されている。 新星劇場は成人映画館になっていた・・・?… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1963 いろいろと使い道の多い釜石小学校旧校舎(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石小学校は、昭和37年度に新しい校舎に移ったが、その後も釜石一中から独立した大平中学校の新校舎が完成するまで仮校舎として入居したり、県の合同庁舎新築に際して仮庁舎として使用されたりと言う経緯があった。 さぁこれから特別教室兼屋内体育館として旧校舎の跡地に建設… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1963 仙台の丸光が釜石に進出する話に商店街がショック(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 昭和34分に仙人道路が開通してから、釜石市内の経済界は、盛岡や仙台などの釜石市外の資本の進出に戦々恐々であった。 その状態に一段落したように見えたが、ここへきて、仙台の丸光デパートが釜石に進出すると言う話が具体化しているということがわかった。 計画では、地下1… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1963 いかなる悪臭も完全に除く便所は「エアーベンダー」!(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 「いかなる悪臭も完全に覗く」と自信満々の便所の広告。 当時の事なので、当然和式トイレである。 会社は仙台にあったようだが、釜石・遠野・宮古地区の代理店が釜石にあったようである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 9月 1963 一関信用金庫「信用金庫預金2兆円達成特別貯蓄月間」(昭和38年9月1日) 昭和38年9月1日の岩手報知より。 広告欄には一関信用金庫が「信用金庫預金2兆円達成特別貯蓄月間」の広告を出している。 別に一関信金が単独で2兆円を達成した分けではなく、全国の信用金庫で2兆円ということであろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 6月 1963 コンパーノは岩手ダイハツで! 昭和38年6月26日の岩手日報の広告欄より。 岩手ダイハツによるライトバン「コンパーノ」の広告。 岩手ダイハツは盛岡市平戸というので盛岡駅の近くにあったようである。 ナンバーを見る限り、軽ではなく普通自動車である。 … 続きを読む
l全県 29 5月 1963 便所はいかなる悪臭も完全に除く「エアーベンダー」で! 昭和38年5月29日の岩手日報の広告欄より。 当時の便所なので当然洋式でも水洗でもなくボットン便所である。 「いかなる悪臭も完全に除く」「便器底は水平なエアーカーテンにより悪臭は絶対上がりません」という相当な自信のほどである。 メーカーは「日本エアーベンダー」という会社で、東北では仙台市畳屋町に支店… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1963 盛岡体育館の江利チエミショウに御招待!(昭和38年4月5日) 昭和38年4月5日の岩手日報の広告欄より。 江利チエミショウが5月18~19日に盛岡体育館で開かれるという。 盛岡専門店会加盟の店で買い物をすれば抽選で13376名様を御招待、という内容である。 当時の江利チエミは高倉健と結婚し、新宿コマ劇場での座長公演を始めたという時期であった。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1963 内丸座で4/18公開予定の「ウエストサイド物語」前売券発売中(S38.4.1岩手日報) この年の4月18日に「ウエストサイド物語」が内丸座(後年のSY内丸)で公開というので前売券発売中という広告。 アメリカでの初公開は昭和36年10月18日、日本での初公開は昭和36年12月23日で、東北では初公開だったようだ。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 4月 1963 志戸平温泉にこども天国「有楽園」がオープンします! 昭和38年4月1日の岩手日報の広告欄より。 花巻の志戸平温泉に遊園地「有楽園」がオープンするというニュース。 豆電車、観覧車、飛行塔、豆自動車、モノレールなどがあるという。 オクトパス、キャタピラ、ダンプボートというのは何なのかはよく分からないが・・・ まだ志戸平温泉に花巻電鉄で行っていた頃。 &n… 続きを読む
l全県 30 3月 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 3月 1963 盛岡・松屋「全店春の大奉仕セール」(S38.3.29岩手日報) 盛岡の中ノ橋通りにあった松屋デパートでは、全店春の大奉仕セールを開催していた。… 続きを読む
m県外・参考 7 11月 1962 東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1962 再建案も軌道に乗らぬ松尾鉱山(昭和37年11月6日) 昭和37年11月6日の河北新報岩手版より。 「東洋一の硫黄鉱山」と言われていた松尾鉱山は、この時代になると、石油精製時の回収硫黄によって、わざわざ鉱山で掘る必要がない状態となっていた。 それで、10月中旬には希望退職を募り、従業員3500人の中1075人が退職を申し出たと言う。それで生産量も下降し、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 11月 1962 大槌中学校でサンマの缶詰実習(S37.11.2河北新報岩手版) 大槌中学校は産業教育が盛んだったようで、フォークリフトの運転やら何やらやっていたようだが、その一環としてサンマの缶詰実習と。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1962 貸切バスは4割の増収(S37.11.2河北新報岩手版) 貸切バスは前年比4割の増収でホクホク顔と。 写真は盛岡城跡の駐車場だそうで、バスはおそらく県南バス。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1962 新しい盛岡市役所の新庁舎では民生部の窓口で全て用がたせますよ!(昭和37年11月1日) 昭和37年11月1日の河北新報より。 「盛岡新庁舎拝見」というシリーズものの記事の第6回目。 民生部の窓口は、市民本位に立って全て用がたせるようにしたのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1962 釜石製鉄所クラブ女子従業員募集(昭和37年10月2日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、クラブでは働く女子従業員を募集するという。 クラブとは福利厚生施設のことだろうか。 未婚で住み込みが条件であるという。 今ならば問題になっている条件ではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 10月 1962 岩手東海新聞社員が釜石製鉄所を見学(昭和37年10月1日) 昭和37年10月1日の岩手東海新聞より。 岩手東海新聞社の社員が釜石製鉄所を見学したという。 この当時、まだ釜石には9万人の人口がいた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 9月 1962 釜石電報電話局「市外電話料金が変わります!」(昭和37年9月30日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局は、市外電話の料金が変わる旨の広告を出していた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 9月 1962 須川温泉道路の愛称募集(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 この10月に、秘境・須川温泉に太平洋側と日本海側からアクセスする須川道路が開業しようとしていた。 これに際し、一関市ではこの須川道路の愛称を募集することにした。 後援は一関商工会議所・岩手県南バスなど。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 7月 1962 盛岡・川徳デパートで夏のご贈答品フェア(昭和37年7月28日) 昭和37年7月28日の岩手東海新聞より。 盛岡の川徳デパートが夏のお中元商戦で広告を出している。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 7月 1962 病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1962 釜石の鰻屋「7月26日は土用の丑ですよ!」(昭和37年7月25日) 昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。 翌7月26日は土用の丑なので鰻屋も広告に力が入る。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1962 釜石製鉄所構内で姿を消す蒸気機関車(昭和37年7月25日) 昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。 この時期、日本の鉄鋼業界は、経済不況によって合理化足踏み状態になっていたのだと言う。 そのような中でも、釜石製鉄所の構内を走る鉄道路線は、蒸気汽関車からディーゼルに変わっていた。 釜石製鉄所に初めてディーゼル機関車が導入されたのは、昭和30年10月の事なのだ… 続きを読む