e釜石・遠野・上閉伊郡 7 9月 1963 釜石港に外国船ラッシュ(昭和38年9月7日) 昭和38年9月7日の岩手東海新聞より。 釜石港は、外国船のラッシュで賑わい、黒人の船員が上陸したことまで話題になっていたと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 9月 1963 一流メーカーの能率風呂や能率かまど!(昭和38年9月7日) 昭和38年9月7日の岩手東海新聞より。 釜石市内のタイル業者では、風呂やかまどなどの広告を出している。 当時は、電気炊飯器の普及率はまだまだで、かまどでご飯を炊く時代であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1963 岩手東部バス釜石営業所にライトバス導入(昭和38年9月5日) 昭和38年9月5日の岩手東海新聞より。 岩手東部バス釜石営業所では、7月から19人乗りのライトバスを3台入れて、小規模な貸切需要に応じている。 それまでは、60〜70人乗りの大型バスしかなく、20人程度の観光団体では手が出ないレベルの需要に応えるもの。 貸切料金は以下の通り。 根浜海岸 4400円(… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 9月 1963 江刺ではホップ収穫の最盛期(昭和38年9月5日) 昭和38年9月5日の岩手民声新聞より。 江刺ではビールの苦味の原料となるホップの収穫が最盛期を迎えている。 江刺でホップ栽培が始まったのは昭和31年であるという。 昭和38年現在で、栽培農家は346戸、40㌶にもなっていた。 前年は日照り続きで作柄が悪く15㌧前後であったが、この年は天候に恵まれ代豊… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1963 釜石製鉄所内43ヶ所に救急車到着地点表示(S38.9.5岩手東海新聞) 当時の釜石製鉄所は、救急車の到着地点が定かではなく、急患が発生しても、どこで救急車が止まればいいのかわからず、到着の遅延等発生したようだ。 それで、構内43カ所に「救急車到着地点」を定めて、その標識を作成したのであった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1963 一関市内の銭湯が入浴料を18円→24円に値上げさせてほしいと要望(昭和38年9月4日) 昭和38年9月4日の岩手報知より。 一関市内の銭湯は、燃料費や人件費の高騰から入浴料を大人18円から24円に値上げさせてほしいと一関市に要望した。 それまでは、大人18円、中人14円、小人7円、洗髪10円であったが、経営が成り立たないので大人24円程度に値上げしてほしいというものであった。 値上げ問… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1963 平泉町長島のリンゴは東京でも好評(昭和38年9月4日) 昭和38年9月4日の岩手報知より。 平泉町長島のリンゴ生産は、ここ数年で急激に成果をあげたのだと言う。 高級品種の「スターキング」「デリシャス」などは東京の中央市場でも好評を博しているのだと言う。 また、薬剤散布機の共同購入や、自動選果機による大量生産も功を奏しているのだと言う。 &n… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 9月 1963 一関銘菓こけし最中(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手報知より。 広告欄には銘菓こけし最中の広告が出ている。 一関というのは何かにつけ宮城っぽいとは思っていたがやはりここでも宮城。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 9月 1963 一関市内封切映画案内(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手報知より。 広告欄には一関市内の封切り映画案内が掲載されている。 新星劇場は成人映画館になっていた・・・?… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1963 いろいろと使い道の多い釜石小学校旧校舎(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石小学校は、昭和37年度に新しい校舎に移ったが、その後も釜石一中から独立した大平中学校の新校舎が完成するまで仮校舎として入居したり、県の合同庁舎新築に際して仮庁舎として使用されたりと言う経緯があった。 さぁこれから特別教室兼屋内体育館として旧校舎の跡地に建設… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1963 仙台の丸光が釜石に進出する話に商店街がショック(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 昭和34分に仙人道路が開通してから、釜石市内の経済界は、盛岡や仙台などの釜石市外の資本の進出に戦々恐々であった。 その状態に一段落したように見えたが、ここへきて、仙台の丸光デパートが釜石に進出すると言う話が具体化しているということがわかった。 計画では、地下1… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1963 いかなる悪臭も完全に除く便所は「エアーベンダー」!(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 「いかなる悪臭も完全に覗く」と自信満々の便所の広告。 当時の事なので、当然和式トイレである。 会社は仙台にあったようだが、釜石・遠野・宮古地区の代理店が釜石にあったようである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 9月 1963 一関信用金庫「信用金庫預金2兆円達成特別貯蓄月間」(昭和38年9月1日) 昭和38年9月1日の岩手報知より。 広告欄には一関信用金庫が「信用金庫預金2兆円達成特別貯蓄月間」の広告を出している。 別に一関信金が単独で2兆円を達成した分けではなく、全国の信用金庫で2兆円ということであろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 6月 1963 コンパーノは岩手ダイハツで! 昭和38年6月26日の岩手日報の広告欄より。 岩手ダイハツによるライトバン「コンパーノ」の広告。 岩手ダイハツは盛岡市平戸というので盛岡駅の近くにあったようである。 ナンバーを見る限り、軽ではなく普通自動車である。 … 続きを読む
l全県 29 5月 1963 便所はいかなる悪臭も完全に除く「エアーベンダー」で! 昭和38年5月29日の岩手日報の広告欄より。 当時の便所なので当然洋式でも水洗でもなくボットン便所である。 「いかなる悪臭も完全に除く」「便器底は水平なエアーカーテンにより悪臭は絶対上がりません」という相当な自信のほどである。 メーカーは「日本エアーベンダー」という会社で、東北では仙台市畳屋町に支店… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1963 盛岡体育館の江利チエミショウに御招待!(昭和38年4月5日) 昭和38年4月5日の岩手日報の広告欄より。 江利チエミショウが5月18~19日に盛岡体育館で開かれるという。 盛岡専門店会加盟の店で買い物をすれば抽選で13376名様を御招待、という内容である。 当時の江利チエミは高倉健と結婚し、新宿コマ劇場での座長公演を始めたという時期であった。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1963 内丸座で4/18公開予定の「ウエストサイド物語」前売券発売中(S38.4.1岩手日報) この年の4月18日に「ウエストサイド物語」が内丸座(後年のSY内丸)で公開というので前売券発売中という広告。 アメリカでの初公開は昭和36年10月18日、日本での初公開は昭和36年12月23日で、東北では初公開だったようだ。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 4月 1963 志戸平温泉にこども天国「有楽園」がオープンします! 昭和38年4月1日の岩手日報の広告欄より。 花巻の志戸平温泉に遊園地「有楽園」がオープンするというニュース。 豆電車、観覧車、飛行塔、豆自動車、モノレールなどがあるという。 オクトパス、キャタピラ、ダンプボートというのは何なのかはよく分からないが・・・ まだ志戸平温泉に花巻電鉄で行っていた頃。 &n… 続きを読む
l全県 30 3月 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 3月 1963 盛岡・松屋「全店春の大奉仕セール」(S38.3.29岩手日報) 盛岡の中ノ橋通りにあった松屋デパートでは、全店春の大奉仕セールを開催していた。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 1月 1963 「日本のチベット」の飯場で喧嘩殺人(S38.1.1) 昭和38年1月1日、岩手県岩泉町安家地区で新年交賀会が行われていた中、岩泉警察署安家駐在所の巡査が、国有林内の飯場で喧嘩があり負傷者がいるとの報告を受けた。地元消防団員や安家診療所の医師の協力を得て15キロ離れた現場に向かい、負傷者である33歳の男性が頭部外傷で重体であることを確認。四輪駆動車を手配… 続きを読む
m県外・参考 7 11月 1962 東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1962 再建案も軌道に乗らぬ松尾鉱山(昭和37年11月6日) 昭和37年11月6日の河北新報岩手版より。 「東洋一の硫黄鉱山」と言われていた松尾鉱山は、この時代になると、石油精製時の回収硫黄によって、わざわざ鉱山で掘る必要がない状態となっていた。 それで、10月中旬には希望退職を募り、従業員3500人の中1075人が退職を申し出たと言う。それで生産量も下降し、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 11月 1962 大槌中学校でサンマの缶詰実習(S37.11.2河北新報岩手版) 大槌中学校は産業教育が盛んだったようで、フォークリフトの運転やら何やらやっていたようだが、その一環としてサンマの缶詰実習と。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1962 貸切バスは4割の増収(S37.11.2河北新報岩手版) 貸切バスは前年比4割の増収でホクホク顔と。 写真は盛岡城跡の駐車場だそうで、バスはおそらく県南バス。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1962 新しい盛岡市役所の新庁舎では民生部の窓口で全て用がたせますよ!(昭和37年11月1日) 昭和37年11月1日の河北新報より。 「盛岡新庁舎拝見」というシリーズものの記事の第6回目。 民生部の窓口は、市民本位に立って全て用がたせるようにしたのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 10月 1962 大槌で大槌で牛のせり市(S37.10.3岩手東海新聞) 大槌町では、秋の恒例となる牛のせり市が開かれた。会場は町方の家畜保健所前と、金沢地区の農協前の2ヶ所。 Screenshot この日、出陳された牛はオス・メス合わせて150頭(それぞれ75頭ずつ)。会場には県内はもとより、隣県・宮城からも多くの買参人が訪れ、その数はおよそ500人にのぼったという。 … 続きを読む