釜石製鉄所構内で姿を消す蒸気機関車(昭和37年7月25日)

昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。

この時期、日本の鉄鋼業界は、経済不況によって合理化足踏み状態になっていたのだと言う。

そのような中でも、釜石製鉄所の構内を走る鉄道路線は、蒸気汽関車からディーゼルに変わっていた。

釜石製鉄所に初めてディーゼル機関車が導入されたのは、昭和30年10月の事なのだと言う。

それ以降、昭和32年に2台、昭和33年7台、昭和34年に7台、昭和35年に9台、昭和36年に17台と増えてきたのだと言う。

これに対し、蒸気汽関車は昭和32年に28台、昭和33年に26台、昭和34年に23台、昭和35年に22台で、昭和36年15台と減っていたと言う。

出力としては、蒸気機関車だと20トン貨車の牽引能力15台で、ディーゼル機関車だと、20トン貨車13台、30トン貨車4台と作業効率がぐんと上がってるのだと言う。

しかし、全部置き換えができるかというと、鉄鋼不況により難しいと言う。

 

 


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