b経済・産業

釜石職業安定所には失業保険受給者の群れ(昭和36年3月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石職業安定所には失業保険受給者の群れ(昭和36年3月1日)

昭和36年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所には、求人申し込みが殺到していたが、失業保険のほうも相変わらず受給者が多かった。 支給日である毎週水曜日は、待合室から道路まで失業者の群れがひしめいていた。 冬になると、操業休止する事業所が多く、そこから失業する労働者が出るのであった。 2月の場…
津軽石川の川開きは大漁(昭和36年1月4日) d宮古・下閉伊郡

津軽石川の川開きは大漁(昭和36年1月4日)

昭和36年1月6日の岩手東海新聞より。 宮古の正月の風物詩である津軽石川の川開きは、1月4日に行われた。 全国から、2000人の観光客が集まったと言う。 また、河原に特設された「鮭汁」「はらっ子うどん」の売店に飛び込んで舌鼓を打つ観光客も多かった。 中には、鮭取りの上手な犬を連れて川に入るものもいた…
釜石でも初荷を出荷(昭和36年1月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石でも初荷を出荷(昭和36年1月2日)

昭和36年1月4日の岩手東海新聞より。 昭和36年の正月は、岩手県沿岸部では穏やかな天候だったようである。 1月2日には、初売り・初荷で車は市内の大通りを走りにぎわった。 釜石化成産業では、雪国の人たちが冬を越す練炭を積んだトラックが釜石ビル前を出発し、仙人道路を通ってないでくれ向かった。 &nbs…
釜石港から南洋へのマグロ延縄船が出港(昭和35年9月5日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港から南洋へのマグロ延縄船が出港(昭和35年9月5日)

昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 9月3日のサンマ漁解禁で、サンマ船は北洋にむけて出港して行った。 残るはマグロ漁船で、9月5日には南洋にむけて出発して行った。 サンマ船とは違い、出港時はテープが飛び交う「別れの風景」。 それもそのはずで、南洋でのマグロ漁は早くて1航海数週間、長ければ3ヶ月以…
釜石市只越町「らばうる」(昭和35年9月5日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市只越町「らばうる」(昭和35年9月5日)

昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 広告欄に「喫茶とお食事 らばうる」という広告が出ている。   個人的には、子供の頃(昭和50年代後半)「らばうる」と言えば橋上市場にあり、ミニカーなどおもちゃが売っていた記憶がある。 そして食堂の機能も確かにあったような気がする。 それと同じ店かどう…
釜石の編物人形教室は生徒募集中(昭和35年9月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の編物人形教室は生徒募集中(昭和35年9月3日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 広告欄では、釜石市大只越町の編物人形教室が生徒さん募集の広告を出している。 そういえば釜石の青葉通りの近くに「明峰幼稚園」というのがあったのは覚えている。 たしかお寺に付属した幼稚園だった。   その明峰幼稚園であるが、釜石出身の方のブログによれば、…
釜石は史上最高の豊作(昭和36年9月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石は史上最高の豊作(昭和36年9月3日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 写真記事であるが「1291万㌧ーー史上最高の豊作」と書いてあるが、それが釜石市内でのことなのか、はたまたこの写真を写した釜石市甲子町のことなのかまでは判然としない。 農家の厄日である二百十日も過ぎて、稲穂は重そうに頭を垂れている。 子供達はクルマトンボと戯れて…
釜石小学校が新校舎に生まれ変わる(昭和35年9月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石小学校が新校舎に生まれ変わる(昭和35年9月3日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 明治6年に開校した釜石小学校は、この時点では明治37年、日露戦争が開戦した年に建築された築57年の校舎であった。 それを新しく鉄筋コンクリートに改築するというのである。 近く、PTAにより校舎とのお別れ会が開かれるのだという。    …
五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日) e釜石・遠野・上閉伊郡

五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日)

昭和35年9月1日の岩手東海新聞より。 五葉山の大松登山口に木材運搬用のケーブルがある。 ここで釜石市松倉の若者数人が乗って遊んでいた。 そうしたら機械が故障してしまい、乗っていた2人は戻れなくなってしまったのだ。 眼下には谷川が渦を巻いて流れている。 もう飛び降りるしかない?でも命の保障は無い。 …
一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日) i一関・西磐井郡

一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日)

昭和35年7月9日の岩手報知より。 一関市大平開拓地から、南米パラグアイに行く3世帯17名の送別会が中里農協会議室で開かれた。 送別会には一関市長、一関市農林課長、市内各農業組合長、開拓連盟支部長など60人が集まった。 移民団の代表からは「このような盛大な送別会を開いていただいて感謝にたえません。パ…