じぇじぇじぇ!高校の潜水科の設備充実してけろ!(昭和36年12月4日)

昭和36年12月4日のデーリー東北より。

種市町は、久慈高校種市分校潜水科の施設の充実に力を注いでいたが、なにぶんにも町だけの予算では難しいので、町や学校や潜水協会などの関係機関が一丸となって県議会に予算の増額を陳情することになった。

久慈高校種市分校に潜水科ができたのは、昭和27年のことであり、町内の製粉工場を改造して更新したのである。

しかし、その製粉工場であった校舎は、老朽化しており修理の連続である。

そしてまた、潜水科は火薬やアセチレンの実習も行っている。この事情もなく、野外で行っているのが実情であった。

それまでは、それでも良かったのだが、この年になり「高気圧障害防止規則」が制定され、この規則を満たしていないと言うことになり、どうしても施設を完成させなさいなければいけなかったのである。

 

 

 

 


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