d宮古・下閉伊郡 23 4月 1956 北洋サケ・マス独航船が釜石や宮古を出発(S31.4.23岩手日報) この時期、ソ連が北洋漁業に関して制限を設けるなど、北洋漁業は緊迫した情勢になっていた。 そのような中を、釜石港や宮古港からサケ・マスの独航船が次々と悲壮な覚悟で出発をしていった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 21 4月 1956 県内の漁港からカムチャッカへの北洋独航船出発(S31.4.21岩手日報) 日ソ漁業交渉の方向性がわからない時期であったが、カムチャッカの沖合へ北洋独航船が県内の漁港からも出発。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 4月 1956 川徳デパート「グンゼ春のフルファッション宣伝即売会」(S31.4.21岩手日報) 肴町にあった川徳デパートは昭和31年に建設されたが、この時は建設中で教育会館の隣あたりで借り営業を行っていたようだ。 また、花見のシーズンでもあり、花見商戦でも忙しかった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1956 盛岡・川徳デパートでは金土日で衣料品特売!(昭和31年4月20日) 昭和31年4月20日の岩手日報より。 盛岡・肴町の川徳デパートでは金土日で衣料品を特売するもよう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1956 ラジオ岩手は「春のIBC祭」(昭和31年4月20日) 昭和31年4月20日の岩手日報より。 ラジオ岩手では「春のIBC祭」を開催し、50万円が当たるクイズもするという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1956 盛岡・松屋デパートでは五月人形大売出し!服地大処分!(昭和31年4月20日) 昭和31年4月20日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、五月人形を売り出して服地を処分するという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 3月 1956 両磐地方では葉タバコの種まきが最盛期(昭和31年3月25日) 昭和31年3月25日の河北新報岩手版より。 葉タバコの産地である県南の一関・両磐地方では葉タバコの種まきの最盛期に入った。 増反計画が順調に進みまた品質改善の努力もあり、この地方だけですでに1700町歩、売り上げは7億円近くなっていたと言う。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 22 3月 1956 宮古の閉伊川河口は干潮時は船が横倒し(昭和31年3月22日) 昭和31年3月22日の河北新報岩手版より。 宮古市築地通りの閉伊川河口の漁船係留場は、閉伊川から流入する土砂のために、年々水深が浅くなり、干潮時になれば係留中の漁船が度々横倒しになると言う危険な状態となっていた。 この辺は、常に出漁前後の漁船数十隻が係留されている場所だった。 この付近は、昭和23年… 続きを読む
m県外・参考 22 3月 1956 NHK仙台放送局でテレビ放送開始!テレビを買いましょう(昭和31年3月22日) 昭和31年3月22日の河北新報岩手版より。 NHK仙台放送局でテレビ放送を開始したことにより、テレビの商戦が激しくなってきたようだ。 ただし、岩手県内でどれだけ視聴できたかは不明。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 17 3月 1956 牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日) 昭和31年3月17日の河北新報岩手版より。 宮古港から巡航船で30分のところにある宮越白浜部落は、75世帯、人口750名の小さな漁村である。 ここにある白浜小学校には、78名の児童が通っているが、漁業の不振から部落自体の経済自体がひどくなり、600円から1000円の教科書代すら捻出できない状況であっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 3月 1956 各地で初午行事(昭和31年3月16日) 昭和31年3月17日河北新報岩手版より。 3月16日は、旧暦で初午にあたり、各地では火防祭などが行われた。 「初午」と言うのは、稲荷信仰に基づくものと言われ、豊作祈願をすることが多いと言う。 また、「初午が早い年は火事が多い」と言う俗信があるようで、消防団の出初め式や、火防祭を行うところもあると言う… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 12 2月 1956 宮古の公益質屋は残念な大繁盛(昭和31年2月12日) 昭和31年2月12日の河北新報岩手版より。 宮古市の公益質屋は、この時期、悲しいことに大繁盛していた。 お客様は、漁閑期に入った零細漁民や日雇い労働者であった。 また、秋のスルメ漁の不漁もこのことに輪をかけた。 質草は、服が多かったと言う。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 9 2月 1956 大船渡で「軽貫炭」撲滅のために抜き打ち検査(昭和31年2月9日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 この当時、俵の中身をわざと軽く細工して出荷する「軽貫炭」と言うのが問題になっていたようである。 つまり「かさ増し」と言うことであろう。 また、貫目スレスレのものを出荷する業者もあったのだと言う。 このことは、大消費地である京浜地区で不評を買っており、岩手の木… 続きを読む
m県外・参考 9 2月 1956 仙台・丸光で旧正月の大売出し(昭和31年2月9日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 いかに大都会仙台でも旧正月の方がお祝いだったようである。 当時の物価にも注目。 … 続きを読む
m県外・参考 9 2月 1956 仙台・長崎屋のカステラ(昭和31年2月9日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 岩手版ではあるのだが広告欄は仙台ばかり。 これは仙台市東三番丁の長崎屋のカステラ。 個人的に汽車絵が可愛いので、Twitterアイコンにすることにした。 … 続きを読む
m県外・参考 7 2月 1956 仙台三越では旧正月の大売り出し(昭和31年2月7日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 岩手版とは言っても、河北新報なので広告欄は仙台のものとなっている。 仙台三越では、旧正月の大売り出しをやると言う。 旧正月が生活に根付いてるあたり、東北地方は同郷国であると言う印象が深い。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 2月 1956 盛岡の商家女中による殺人放火事件(昭和31年2月7日) 昭和31年2月の7日に日が変わった2時頃のこと。 擬宝珠で有名な下ノ橋のすぐ近くの鷹匠小路にある広壮な商家が火事になっている! あまりに火の回りが早く、とても消すことはできなかった。 それでも隣の自転車店に類焼しただけで、大火には至らなかった。 その商家からは、女将と高校生の次男が遺体で発見された。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 2月 1956 釜石駅前に観光案内所が完成(昭和31年2月6日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 釜石観光協会では、釜石駅前に観光案内所を公費20万円で建築し、6日から店開きした。 事務所は広さ3坪で、釜石市の名産品を陳列して販売したり、観光地や旅館や事業所等の案内のために、専任の案内ガールが2名常駐しているのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 2月 1956 紫波郡では天然氷切り出しの最盛期(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 紫波郡は天然氷の産地であったが、その積み出しに大忙しであった。 ただ、三陸地方が不漁であること、人造氷に押されて苦しかったようではある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石製鉄所の運動部がトレーニング開始(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 岩手県の実業団スポーツの雄と言うと、なんといっても釜石製鉄所だった。 その釜石製鉄所の各運動部がトレーニングを開始することとなった。 水泳では、鈴子に温水プールがあった。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 2 2月 1956 久慈や八戸の行商は新しいディーゼルカーに統制して乗りましょう(S31.2.2デーリー東北) 昭和31年3月から、八戸線には新しいディーゼルカーが導入されることとなった。 これは10系気動車であるが、称号規程改正以前なので「四五〇〇〇型」となっている。 それで、行商組合では「統制して乗車しましょう」と取り決めたのであった。… 続きを読む
l全県 1 2月 1956 木炭は減産で高値続く(S31.2.1デーリー東北) 木炭は収穫の減少もあり減産で、高値が続いていたようだ。 デーリー東北であるが盛岡市場の市況も書いているので。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 27 1月 1956 軽米町が「モデル林業町」に指定(昭和31年1月27日) 昭和31年1月27日のデーリー東北より。 昭和の大合併の前、九戸郡小軽米村の6000町歩は「モデル林業村」として指定を受けていた。 これが昭和30年1月1日、晴山村とともに軽米町に合併してから、「町」として「モデル林業町」として県の指定を受けることになった。 これは、町としてははじめてのことであった… 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 1月 1956 久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) 昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ… 続きを読む
l全県 23 1月 1956 東北六県の貯金額は過去にない増加(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 仙台からのニュースで、東北郵政局管内の貯金額はどこでも過去にない増加であることが報じられている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 1月 1956 水沢の横町は「大通り」に改称(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 水沢の商店街である横町(よこまち)は、「大通り」に名称変更することにした。 そしてネオンアーチ完成記念の大売り出しを、この1月22日から2月5日まで行うことにした。 そもそも改称した理由は「横町」が「よこちょう」と読まれ、商売上不利であったからだという。 … 続きを読む