a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 7月 1950 アキラ式完全除草器(昭和25年7月5日) 昭和25年7月5日の岩手新報より。 「アキラ式完全除草器」というのがあったようで、盛岡と水沢で一手に売っていたようだ。 … 続きを読む
l全県 2 7月 1950 ハエ取り週間で伝染病を予防しましょう!(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県の衛生当局ではハエ取り週間を設け伝染病の予防にこれ努めている。 … 続きを読む
l全県 2 7月 1950 新しくできる「東北銀行」に寄せる県内各地の期待(S25.7.2岩手新報) 昭和25年7月2日の岩手新報の紙面を埋め尽くす熱狂的な記述からは、当時の岩手県民が東北銀行の設立にいかに大きな希望を託していたかが痛いほど伝わってきます。終戦から5年が経過したこの時期、日本経済はドッジ・ラインによる強烈な引き締め政策の渦中にあり、深刻な現金不足とデフレが地方の隅々まで襲っていました… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 7月 1950 国立公園候補地!夏の浄土ヶ浜観光案内(昭和25年7月1日) 昭和25年7月1日の岩手新報より。 宮古の浄土ヶ浜は国立公園候補地だったようで、観光案内が大々的に出されている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1950 釜石線の土倉トンネルが完成(S25.7.1岩手新報) この時期、釜石線の工事が進んでいるところであったが、陸中大橋〜上有住の土倉トンネルが開通し、路線の敷設を待つばかりとなった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 2月 1950 農村の衣食住学校「セツルメント」(S25.2.14新岩手日報) 県内各地で農村女性の衣食住学校「セツルメント」が開催されていた。 その中の一つ、紫波郡赤石村のセツルメントについて触れている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 料飲街不況でキャバレーも食料品店に早変わり(S25.2.13新岩手日報) インフレなどで料飲店は不況だったようで、盛岡で数少ないキャバレーも食料品店に早変わりするという有様であったと。… 続きを読む
l全県 12 2月 1950 岩手県公会堂で供米早期完遂感謝祭(S25.2.12新岩手日報) 当時は食糧管理制度が完全に国営化されており、供米は義務のようなものだった。 こうして早期完遂すれば感謝もされたのだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 2月 1950 岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日) 昭和25年2月12日の新岩手日報より。 岩手通商では、直営の「第一デパート」を盛岡市大通に開店し、ララ物資やユニセフ物資を取り扱うことにしたという。 ちなみに、倉庫のある「紙町」と言うのは、現在の上ノ橋の近くであるという。 &nb… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 2月 1950 輸出品として期待される江刺郡黒石村の寒天(S25.2.10新岩手日報) 江刺郡黒石村(現在の奥州市水沢黒石)では寒天生産が盛んだったようで、輸出資源としても期待されていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 2月 1950 金詰まりで衣類の投げ売り(昭和25年2月6日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 この時期、金詰まりで市民の購買力も減退し、衣類も投げ売りせざるを得ない状況であったという。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4 2月 1950 花巻の人「緬羊を飼いましょう!」(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 花巻の人が「緬羊を飼いましょう」と勧める広告を出している。 宮沢姓であるが、宮沢賢治との関係は不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 2月 1950 盛岡・松屋デパートで、決算前冬物大見切市(昭和25年2月3日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、冬物の大見切り市を行うという。 「補助切符不要」と言うのがなんとも時代である。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 2月 1950 日中友好協会岩手県支部結成(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 岩手2区選出の社会党議員・北山愛郎により日中友好協会岩手県支部が結成された。 この当時、日本と国交があったのは「国府」の方で、つまり中華民国の台湾の方。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1950 松屋デパートで決算期前の冬物一掃セール(昭和25年2月1日) 昭和25年2月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートで、決算期前の冬物一掃大売り出しを行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1950 盛岡市内の小売店「煉醤油特配しますよ!」(昭和25年2月1日) 昭和25年2月1日の新岩手日報より。 広告欄には「煉醤油特配」という知らせがあるが、しかし「煉醤油」とは? 醤油がコンデンスミルク(加糖練乳)みたいになってるということ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1950 川徳デパートで「大棚さらひ」(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 盛岡の川徳デパートでは、2月3〜5日にかけて「大棚さらひ」を行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1950 県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日) 昭和25年2月1日の岩手日報より。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1950 釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) 昭和25年1月14日付の岩手新報に掲載されたこの広告は、当時の釜石における味噌と醤油の小売店登録に関する挨拶文です。戦後の混乱期を経て、物資の流通を管理していた需給調整規則が改正されたことに伴い、改めて「指定店」として登録を受けた店主たちが連名で広告を出したものです。 文面からは、指定店としての誇り… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(S25.1.14岩手新報) 昭和25年1月14日の岩手新報に掲載されたこの公告は、現代の私たちにとっては当たり前の存在である病院給食が、実はGHQ主導による医療改革の大きな転換点であったことを物語っています。 当時の日本では、入院患者の食事は家族が付き添って調理したり外部から持ち込んだりする自炊制度が一般的でした。しかし、この… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 盛岡は5年後こうなる(S25.1.14岩手新報) 昭和25年1月14日の岩手新報の紙面を眺めていると、終戦からわずか5年という激動の時代に、当時の盛岡の人々が抱いていた熱い情熱がダイレクトに伝わってきます。 Screenshot 紙面の中央を飾る県都五年後の夢という言葉には、戦後の混乱を乗り越え、新しい都市を自分たちの手で築き上げようとする強い意志… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 富士銀行盛岡支店「強盗に来る?なら死ぬつもりで来いや」(S25.1.14岩手新報) 昭和25年1月14日付の岩手新報を広げると、戦後間もない時代の熱量と殺伐とした空気が混ざり合った、驚くような事件が目に飛び込んできます。 紙面の中心を飾るのは、盛岡市紺屋町にある富士銀行盛岡支店に掛かってきた1本の怪電話です。前日の午前11時頃、若い関東弁の男から今夜6時30分頃に強盗に行くから十分… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 1月 1950 繋温泉曙町料亭組合の広告(昭和25年1月13日) 昭和25年1月13日の岩手新報より。 繋温泉曙町料亭組合の広告。 繋温泉にわざわざ「曙町」と入れているということは、他にも町があったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1950 川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報) 昭和25年1月12日付の新岩手日報には、戦後日本の混乱と庶民のたくましさを象徴するような、驚くべき光景が記録されています。その記事が伝えているのは、隠退蔵物資と呼ばれた旧日本軍などの横領物資が摘発され、市民に安く放出された際の異様なまでの熱狂です。隠退蔵物資は、本来ならば終戦直後に国民へ分配されるべ… 続きを読む