a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1933 松屋の決算大売出し!(昭和8年2月1日) 昭和8年2月1日の岩手日報より。 松屋で決算大売出しをやるという広告を1面トップで扱っている。 昭和初期の岩手日報はたまにこんなのがあった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1932 岩手軽便鉄道では木炭の出荷が激増(昭和7年11月1日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 岩手軽便鉄道貨物課の調べでは、この年の上半期(昭和7年4〜9月)の貨物の動きは右の表の通りであると明かした。 特に木炭は激増しており、東京方面で買い手がついたのだという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 26日 1932 江刺市内の食料品店でビスケット祭り(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 江刺市内の食料品店でビスケット祭りがあるという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 19日 1932 お洗濯はライオン石鹸を!(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 ライオン石鹸の総代理店であるという江刺市内の店舗が広告を出している。 北上や八戸にも支店があるらしい。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 10日 1932 石黒知事が県北の凶作地を視察(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにしたのである。 知事は、二戸警察署長の案内で、馬橇に乗って小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かった。 谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけたが返事がない。 それでもに二戸署長の案内で奥に入ると、中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 10日 1932 上等うさぎ肉400瓦13銭!(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡市内の肉屋では上等うさぎ肉が400<ruby><rb>瓦</rb><rp>(</rp><rt>グラム</rt><rp>)</rp></ruby&g… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 10日 1932 盛岡〜日詰の乗合自動車の冬ダイヤ(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡〜日詰のバスは「佐藤自動車部」という事業者が運営していたようだ。 戦時合併で「岩手中央バス」が発足するのは昭和18年のこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1932 盛岡・村定蓄音機部「世界一のビクター蓄音機を65円で!」(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 広告欄には、村定蓄音機部がビクター蓄音機の広告を出している。 「輸入当時なら150〜160円のビクター蓄音機も時代の進歩でわずか65円に!」 ちなみに、この記事を書いている令和4年現在、村定楽器店は盛岡市材木町で盛業中である。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1932 断然斯界の権威!飯塚洋服店(昭和7年1月5日) 昭和7年1月5日の岩手日報より。 広告欄には盛岡市内丸の飯塚洋服店の広告がある。 「断然斯界の権威!優れた技術!優良なる生地!」 こんな大時代的な惹句こそが昭和初期である。 ところで、飯塚洋服店とは後年のイイヅカでショッピング〜のイイヅカ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 4日 1932 松屋デパートで初売御礼大売り出し(昭和7年1月4日) 昭和7年1月4日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、初売り御礼大売り出しを行うという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 20日 1931 盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工 昭和6年9月20日の岩手日報より。 4月24日に着工した盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場は近く完成の見込みであり、12月1日から作業を開始するという。 完成すれば、客貨車の車輪の交換や洗浄などが行われるという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 11日 1931 水沢の牛乳搾取業者(原文ママ)が安上がりな消毒殺菌装置を開発 昭和6年9月11日の岩手日報より。 胆沢郡水沢町の牛乳搾取業者(原文ママ)が、従来の汽火熱式の牛乳消毒殺菌器に替えて、昔のかまどを応用した安上がりな殺菌器を発明したのだという。 汽火熱式の殺菌器は300円かかるが、かまど式の殺菌器であれば、3斗で150円程度だという。 そして燃料も半減できるのだとい… 続きを読む
l全県 9月 6日 1931 岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(昭和6年9月6日) 昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の岩手日報の1面トップはなぜか「キング」の広告。 どこの新聞もこのようなことはあったのだろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 4日 1931 水沢〜岩谷堂のバス時刻表(昭和6年9月4日) 昭和6年9月4日の岩手日報より。 水沢〜岩谷堂のバス時刻表が掲載してある。 当時は「胆江自動車」と「水岩自動車」が共同運行していたようだ。 … 続きを読む
m県外・参考 9月 1日 1931 農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日) 一年の節目の一つに「二百十日」というのがある。 これは、立春から数えて210日目のことを言い、毎年9月1日がこれに当たる。 この日は昔から台風がよく来ると言われており、せっかく育ててきた稲が台風で被害に遭うか遭わないかという重大な瀬戸際でもあったから、農家にとっては非常な一大事でもあった。 そこで、… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 1日 1931 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り竣工 昭和6年9月1日の岩手日報より。 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り完成し、9月20日頃祝賀会を行うという。 大まかに言えば水沢と江刺を結ぶ道路上に架けられたのだが、実際には胆沢郡佐倉河村と江刺群愛宕村ということになる。 祝賀会の会場は愛宕村にするべきか、岩谷堂町(昭和33年に江刺市が発足する際の中心… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 5日 1930 星チェーンストア岩手・青森県連合大会を開催します(昭和5年3月5日) 昭和5年3月1日の岩手日報の広告欄より。 来る3月5日に、岩手県公会堂で岩手・青森県連合星チェーンストア大会を開催するという。 この「星チェーンストア」こそは星製薬による日本で初めてのチェーンストアであり、その創業者星一は、SF作家星新一の父親でもある。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 1日 1930 宮古ではカツオ漁船が全滅の危機(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 令和の今でこそ宮古港はサンマなどで知られるが、この当時の記事の書きぶりによれば「宮古港漁業家が唯一の生命とする鰹漁」とある。 カツオというと高知や枕崎など、南の方の魚というイメージが強いが、実際に水揚げ日本一の漁港は気仙沼港であったり、県内でも今なお岩手日報で大船渡… 続きを読む
備考※1 10月 24日 1929 【参考】世界恐慌・ブラックサーズデー 昭和4年10月24日、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落。 「ブラックサーズデー」。 https://www.youtube.com/watch?v=UMm_Y2N9Soo… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 5日 1929 「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。 そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。 原始共産主義的な形態の村。 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1929 仙北町裏田んぼでイナゴ取り(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 1枚切りの写真記事ではあるのだが、盛岡市仙北町うらの田んぼで稲をとっている風景である。 「仙北町裏田圃」とはどのあたりになるだろうか。 現在国道4号線が走っている東仙北あたりになるのか、はたまた線路沿いあるいは線路から西の西仙北になるかだろうか。 &n… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1929 釜石で横行する船舶部品泥棒(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 改修のため須賀海岸に引き上げてあった漁船が、シャフト等の機械が何者かに窃取されていた。 実は、この手の漁船の部品の盗難は昭和2年ごろから頻繁に行われていたようで、このように引き上げてある漁船はほとんどがその盗難にかかっていたと言う程であった。 ひどいものになると、鋭… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1929 二百十日は無事に過ぎる(昭和4年9月2日) 昭和4年9月2日の岩手日報より。 台風の当たり日であり、農家にとっては1年の実りを根こそぎ持っていかれる恐れのある農家の厄日「二百十日」も、今年は無事にすぎたようである。 写真は盛岡市梨木町の田んぼのようである。見事に稲が実っている。 岩手県立農事試験場の夏作定期調査によれば、この年の稲作は、大暑後… 続きを読む
l全県 9月 1日 1929 震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) 9月1日は関東大震災の日として記憶されることとなった。 また、立春から数えて210日の二百十日は、台風の特異日でもあり、農家には恐れられていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 31日 1929 紫波郡・気仙郡の度量衡取締主任が岩手日報本社見学(昭和4年8月31日) 昭和4年9月1日の岩手日報より。 紫波郡と気仙郡の度量衡取締主任40名は岩手日報の本社を見学した。 度量衡と言う事は、秤の精度とかに関することであろうか。 いずれにしろ、町村役場では重要な仕事であったようだ。 … 続きを読む