a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 7月 1949 岩手興産無尽の増資新株式募集(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報より。 岩手興産無尽は、増資新株式を募集している。 岩手興産無尽とは後年の北日本銀行のこと。 昭和26年に「相互銀行法」が制定される前、相互銀行は「無尽」だったのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 7月 1949 盛岡・東宝第一劇場で「グッドバイ」公開(昭和24年7月4日) 昭和24年7月3日の岩手新報より。 翌7月4日には、盛岡の東宝第一劇場で「グッドバイ」を封切りすると言う。 「グッドバイ」は、言わずと知れた太宰治の未完の遺作であり、これを東宝が映画化することとしたのである。 初公開は昭和24年6月28日で、出演は高嶺秀子・若原雅夫・霧立のぼる等。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 7月 1949 イワテ特製胃散「何処でも評判!評判だ」(昭和24年7月3日) 昭和24年7月3日の岩手新報より。 岩手県製薬という製薬会社があったようで、9日分が50円、15日分んが80円であったという。 これが月給に比べてどのくらい妥当だったかは不明。 … 続きを読む
l全県 6 5月 1949 石鹸は登録しないと買えなかった(S24.5.6新岩手日報) この当時は石鹸も配給制で、買う店を登録しないと買えなかったようだ。 それで、買い店は農協の購買部にしてくださいという広告。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 6 5月 1949 お花見と湯治は花巻温泉郷で!(S24.5.6新岩手日報) 岩手の花見シーズンは5月だったようだ。 花巻温泉郷の花巻温泉・鉛温泉・台温泉も広告に余念がない。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 5月 1949 釜石の艦砲射撃被害の大重油タンクが復活(昭和24年5月6日) 昭和24年5月6日の新岩手日報より。 釜石の大石油タンクは、艦砲射撃で損傷したままとなっていたが、このほど復活したのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 5月 1949 盛岡・松屋デパートの屋上に児童遊園ができました!(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡の2大デパートの一角を占めていた肴町の松屋デパートが、屋上に児童遊園を開設したという🏬 子供の日を期して、気合が入っていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 5月 1949 新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡にあった官立の専門学校であった盛岡高等農林学校、盛岡高等工業学校、岩手師範学校は、学制改革により9月から新たに「岩手大学」として発足する予定であった。 その学生を募集するという広告である。 事務局は、専門学校としては最も歴史のある盛岡高農に置かれていた。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 5月 1949 盛岡劇場で豪華浪曲大会をやります!(昭和24年5月4日) 昭和24年5月4日の新岩手日報より。 盛岡劇場では、東西の有名どころを集めて、浪曲大会を行うと言う。 「東西の日本一」ということであるが、挙がっている名前が現在Wikipediaの単独項目になっているのは以下の通り。 広沢虎造(2代目) 玉川勝太郎 吉田奈良丸 酒井雲 天中軒雲月 立石弘志 → 天中… 続きを読む
g北上・和賀郡 2 5月 1949 県産業発展のため「クニカ石鹸」御愛用を!(昭和24年5月2日) 昭和24年5月2日の新岩手日報より。 広告欄には、「岩手県産業発展のために是非御愛用を!」と、「クニカ石鹸」という広告が出ている。 このメーカーの東北化学工業は、戦時中に黒沢尻にあった軍需企業「国産軽銀」の後身であった。 … 続きを読む
l全県 1 5月 1949 大蔵省「取引高税が改正になります!」(昭和24年5月1日) 昭和24年5月2日の新岩手日報より。 取引高税が5月1日から変わるというニュース。 「取引高税」とは、昭和23年に物品販売・銀行・製造業・運送業など39業種に課税された税金であり、現在の消費税の走りであるが、中立性を欠くこと、納税手続きが煩雑であることにより批判が強く、昭和24年限りで廃止になったも… 続きを読む
g北上・和賀郡 1 5月 1949 桜咲き誇る県南の名勝(S24.5.1新岩手日報) 県南の桜の名所は、この時が桜のシーズンだったようである。 北上の展勝地や、平泉中尊寺などはそのようだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 3月 1949 お魚の配給は岩手水産に登録を!(昭和24年3月15日) 昭和24年3月15日の岩手新報より。 広告欄には、お魚の配給を登録するよう広告がだされている。 内陸であれば鮮度の怪しいような赤身魚でも重宝されただろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 3月 1949 大槌港を修築してゆくゆくは「大槌市」に(S24.3.8岩手新報) 大槌港の修築計画があったようで、ゆくゆくは一大漁業基地として「大槌市」にしたいという構想があったようだ。 ちなみにこの時点で岩手県内で市制していたのは盛岡・釜石・宮古・一関の4市。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 3月 1949 盛岡税務署「税金滞納したら容赦なく公売します!」(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 税金を滞納すると、このよう容赦なく公売広告にかけられたようである。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4 3月 1949 ヤミ屋「儲からないので開拓農にさせてくれ」(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 この時期に、闇屋も生活が厳しかったようで、花巻にある稗貫地方事務所には、そんな闇屋から「助成金はいつでもいいので開拓農にさせてくれ」と言う申し出が相次いでいたのだと言う。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 3 3月 1949 北福岡駅が落成式(昭和24年3月3日) 昭和24年3月3日の岩手新報より。 後に新幹線の二戸駅となる北福岡駅は、この時期焼失していたようで、その新駅舎が落成することとなったようである。 それで、仙台鉄道局の幹部や、RTOの仙台事務局からも来賓が来て落成式を行うことになったようだ。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1949 岩手興産無尽「みんなニコ 当たってニコ」(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 岩手興産無尽が広告を出しており「みんなニコ当たってニコ」と言う。 岩手興産無尽が興産相互銀行になるのはこの2年後の昭和26年10月のこと。 … 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1949 国立仙台電波高等学校が開校します!(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 仙台の無線電信講習所が改組し、国立仙台電波高等学校になるという。 それで生徒を募集している。 … 続きを読む
l全県 29 9月 1948 岩手県「農家の皆さん!供米はお早めに!」(昭和23年9月29日) 昭和23年9月29日の岩手新報より。 この当時は米は配給制であり、闇米が流通しては摘発されていた時代である。 米の早期供出が行政によって奨励されていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 9月 1948 仙台からの水害御見舞い広告(昭和23年9月26日) 昭和23年9月26日の岩手新報より。 アイオン台風で水害を被った岩手県内の事業所に対し、仙台の会社が水害御見舞い広告。 昔から医者の世界はこうした付き合いが大切だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1948 マッチが自由販売になります!(昭和23年9月16日) 昭和23年9月21日の岩手新報の広告欄より。 9月16日からマッチが自由販売になるという。 そもそも、マッチは自由に販売できるものではなく、米のように配給制だったのである。 戦後しばらくたっても生活必需品として統制品となりつづけていた。 中には「闇マッチ」まで高値で売られたほどであるという。 しかし… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 9月 1948 釜石製鉄所の工員募集!(昭和23年9月16日) 昭和23年9月16日の岩手新報より。 釜石製鉄所では行員を募集している。 当時は財閥解体前なので「日本製鉄」。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 9月 1948 大船渡線を仙台管理部から盛岡管理部に移管なんて反対だ! 昭和23年9月14日の岩手新報より。 盛岡鉄道管理局が発足する昭和25年より以前は、東北の鉄道は仙台鉄道局の管轄であった。 その中でも「仙台管理部」「盛岡管理部」とあったのだが、大船渡線はこの時点では仙台管理部の管轄であった。 これを、盛岡管理部に移管しようという話になったのだが、沿線の市町村会がこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 9月 1948 盛岡の馬検場で自動車祭を開催します!(昭和23年9月14日) 昭和23年9月15日の岩手新報の広告欄より。 盛岡市馬検場にて、市内の各自動車販売店が集まって「自動車祭」を行うという。 トヨタ・いすゞ・日産共に、岩手県内の販売拠点はなぜか菜園にあった。 … 続きを読む