a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 3月 1972 盛岡市内で徒歩ラリー IBCアーカイブの旅より。 盛岡駅を出発点として「徒歩ラリー」が行われた模様。 「3.12ラリー」とあるので3月12日なのだろう。この日は日曜日であった。 盛岡駅や東大通りなど、見覚えのある懐かしい風景がいろいろある。 https://www.youtube.com/watch?v=DPatuVin… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 11月 1967 一関・キューピー移動交通公園の開設から早1年(昭和42年11月6日) 昭和42年11月6日の岩手報知より。 一関の交通移動教室「キューピー公園」を昭和41年11月23日に誕生して、早1年を迎えることになったと言う。 この1年間で開催した日数は90日、利用した人数は60,000人を数えると言う。 キューピー公園は、自動信号機はもとより、横断歩道、見通しの悪い場所、鉄道踏… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 11月 1967 一関・キューピー移動交通公園に新たな施設完備(昭和42年11月4日) 昭和42年11月4日の岩手報知より。 11月1日から3日にかけて、交通安全展示会が行われたが、この開催期間中の同乗見学や交通教室利用者は約30,000人であったと言う。 ここで使われた見通しの悪い道路、鉄道踏切用の機関車模型や軌道は今をキューピー移動交通公園に加えられ、学校、幼稚園、遊園地などを巡回… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 5月 1967 私費で橋を架ける善行 釜石(昭和42年5月11日) 昭和42年5月11日の岩手日報より。 釜石市向定内で製材所を経営する男性が、バス停のある野田まで甲子川を渡るのに不便であると、私費で架橋して4年、向定内の住民を喜ばせているというニュース。 見た感じ、ありがたい橋なのではあろうが欄干もなく通るのには勇気が要る。 西日本の山間部にあるような「沈下橋」の… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10 9月 1963 山田派出所に新しい交通標識の教材(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 山田町の宮古警察署山田派出所には、新しい交通標識の見本用教材が届いた。 これで、町民に交通標識を知ってもらおうと言うものである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 大渡小学校で釜石で初めての集団登校(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡小学校の鈴子地区(釜石駅周辺)で。釜石で初めてとなる「集団登校」を始めることにしたという。 問題となっていたのは鈴子地区から釜石駅に行くのに必ず大渡橋を通らないといけないということであるが、これが釜石で一番交通量の多い場所であるということであった… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 17 9月 1959 統計図表コンクールの知事賞は気仙小学校の「姉歯橋の交通調査」 昭和34年9月17日岩手日報より。 県統計協会により小・中学生の統計図表コンクールが開かれ、応募75点のうち、小学生の部の知事賞は陸前高田・気仙小3年1組の「姉歯橋の交通調査」であったという。 姉歯橋は当時は国道45号線で陸前高田から気仙沼方面に出る時は必ず通る橋であったようである。 自家用車を「ト… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 31 8月 1954 上閉伊郡上郷村に「もぐり橋」竣工(昭和29年8月31日) 昭和29年8月31日の読売新聞岩手版より。 上閉伊郡上郷村平倉地内の早瀬川にコンクリートのもぐり橋「本宮橋」が完成した。 幅2メートル、長さ112メートルで、欄干も無く冠水すれば通行止めになってしまうが、木橋より安上がりであるという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 11月 1953 一関・磐井橋で増加する車馬の通行(昭和28年11月1日) 昭和28年11月1日の岩手日日より。 一関土木事務所では、磐井橋の交通量を調査していたが、車馬の通行は日に日に増加しており、1分間に5台と言う時もあったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1952 あまりに雑すぎる広告地図(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市内の洋品店の広告のようだが、余りに地図が雑すぎて最初どこだか分からなかった。 特に盛岡駅との位置関係。 盛岡郵便局(現在のブラザおでっての位置)がなければ分からなかったのではないだろうか。 盛岡駅前の、開運橋の通りをまっすぐ行けば... まず七十七銀… 続きを読む
l全県 1 11月 1949 全国交通安全週間が始まります!人は右、車は左ですよ!(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 11月1日から全国交通安全週間が始まるという。 「人は右、車は左」の対面交通を盛んに喧伝していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 11月 1941 盛岡郊外・釜石街道にかかる簗川橋が復旧完成! 昭和13年の水害で流失した県道盛岡釜石線の簗川橋が昭和16年11月28日に復旧完成した。 現在の盛岡市内から東安庭や乙部へ向かう方のあの橋である。… 続きを読む
m県外・参考 9 8月 1939 鉄道省「不要不急の旅行は止めましょう!…でも健康の為に徒歩旅行はしましょう」(昭和14年8月9日) 昭和14年8月11日の岩手日報より。 かねて、鉄道省では「不要不急の旅行は止めましょう!」と呼び掛けてきた。 それは、軍需輸送の為に貨物を優先するためである。 ・・・が、運動をしないことで青年たちの健康に差し障っている事も問題とされていたようである。 それで、「青年徒歩旅行コース」として全国に30か… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 冬が去り、水がぬるんできたが、それと同時に盛岡の道はぬかるみでめちゃくちゃになっていた。 当時は、舗装していない道路がほとんどであった。 最もひどいのは、加賀野、天神町、上田、木伏、仙北町方面であったと言う。 この当時、水道工事も進んでおり、水道管の埋設工事のため… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 9月 1931 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り竣工 昭和6年9月1日の岩手日報より。 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り完成し、9月20日頃祝賀会を行うという。 大まかに言えば水沢と江刺を結ぶ道路上に架けられたのだが、実際には胆沢郡佐倉河村と江刺群愛宕村ということになる。 祝賀会の会場は愛宕村にするべきか、岩谷堂町(昭和33年に江刺市が発足する際の中心… 続きを読む