航空機

【参考】日航ジャンボ機墜落事故 事故

【参考】日航ジャンボ機墜落事故

昭和60年8月12日。 個人的には小学校の夏休みで、ぼんやりとテレビを見ていた。 お婆さんが線路をトボトボ歩いていたら突然、「日航機がレーダーから消える」というニュース速報が入ってきた。 「レーダーから消える」という文面に、言い知れぬ不気味さを感じたものだった。 翌日のニュースは、この事故一色になっ…
全日空雫石事故で自衛官に厳しい判決(S50.3.1) a盛岡・岩手郡・紫波郡

全日空雫石事故で自衛官に厳しい判決(S50.3.1)

1971年に発生した全日空機と自衛隊機の空中衝突事故について、1975年3月1日に盛岡地裁で判決が言い渡されました。この事故では全日空機に乗っていた162人が死亡し、被告の航空自衛隊員・隈太茂津一尉と市川良美二曹が業務上過失致死で起訴されました。裁判では、事故の責任が自衛隊側か全日空側にあるのかが争…
花巻市議会で花巻空港拡張反対陳情が不採択(S47.8.29) f花巻・稗貫郡

花巻市議会で花巻空港拡張反対陳情が不採択(S47.8.29)

花巻空港拡張計画は、利用客の増加と高速交通時代への対応を目的としていますが、地元住民の強い反対により難航しています。昭和47年、県と市議会の審査が行われ、県は拡張整備費用を計上し計画を進める姿勢を示しました。しかし、地元住民は騒音や地域の伝統が損なわれることを懸念し、反対同盟会を結成して空港拡張に強…
日通観光釜石支店「花巻空港から東京・伊豆・箱根旅行団!」(昭和41年3月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

日通観光釜石支店「花巻空港から東京・伊豆・箱根旅行団!」(昭和41年3月2日)

  昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 日通観光釜石支店と岩手東海新聞は合同で、東京・伊豆・箱根への旅行団を募集していた。 花巻空港はこの広告記事の2年前の昭和39年に開港している。 費用は総額で19,600円であった。 現在であれば、10万円以上の額になるだろうか。 岩手〜東京の移動…
羽田~花巻にYS11が就航し、八戸便と分離します!(昭和41年2月1日) f花巻・稗貫郡

羽田~花巻にYS11が就航し、八戸便と分離します!(昭和41年2月1日)

昭和41年1月14日の岩手日報より。 羽田~花巻は、これまで八戸便の途中寄港という形を取っていたが、利用客が増えたことにより2月1日から羽田~花巻と羽田~八戸を分離することに。 そして、花巻便の機材をコンベア240からYS11に変更し、八戸便の機材はコンベア240にするという。 ダイヤは以下の通り。…
東京〜八戸〜札幌の定期便が就航 m県外・参考

東京〜八戸〜札幌の定期便が就航

昭和38年6月20日、北日本航空が東京〜八戸〜札幌の定期便を開設。 機材はコンベア240で、ダイヤは以下の通りであったという。 札幌8:30〜八戸9:40〜羽田12:00 羽田13:00〜八戸15:00〜羽田16:30 当日の八戸空港は、札幌市長から八戸市長へのメッセージ公開や、ミス八戸による郷土玩…
国内航空路が再開し、岩手でも飛行機旅行をする人が増える(昭和27年9月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国内航空路が再開し、岩手でも飛行機旅行をする人が増える(昭和27年9月7日)

敗戦による軍事技術の禁止により、日本の航空路も一切禁じられていたところ、昭和26年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便として羽田~伊丹~福岡が復活、その後11月1日に羽田~三沢~千歳が復活した。 盛岡市内では交通公社で飛行機の切符を買うことができたのだが、まったく売れなかった。 昭和27年に…
三陸大津波に対する東京での動向 e釜石・遠野・上閉伊郡

三陸大津波に対する東京での動向

昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨…
盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日)

昭和5年3月1日の岩手日報より。 昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がおり、当時の陸軍の根拠地である観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)に「伊東飛行場」という飛行場を個人で持っていたという。 (詳細は以下のブログにも詳しい) この伊東氏が、市内中心部の仁王・内丸・日影門・本町の10~18歳の少年1…