鉄道・軌道

山田線が陸中山田まで開通(S10.11.17岩手日報) d宮古・下閉伊郡

山田線が陸中山田まで開通(S10.11.17岩手日報)

【歴史秘話】昭和10年11月17日、三陸に激震!山田線「宮古〜陸中山田」開通のあの日 今回ご紹介するのは、今から約90年前の昭和10年(1935年)11月17日付の「岩手日報」です。 黄ばんだ紙面から飛び出してくるのは、三陸沿岸の歴史を塗り替えた山田線(宮古〜陸中山田間)開通の熱狂的なニュースです。…
大船渡線全通(S10.9.30岩手日報) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡線全通(S10.9.30岩手日報)

【昭和の記憶】1935年、大船渡線ついに全通!「晴天に轟く讃歌」に沸いたあの日 こんにちは。今日は、郷土の歴史を物語る大変貴重な資料をご紹介します。 Screenshot 今から約90年前の昭和10年(1935年)9月30日付の「岩手日報」。そこには、前日の9月29日に大船渡線の「大船渡〜盛」間が開…
大船渡線全通に沸き立つ一関(S10.9.29岩手日報) i一関・西磐井郡

大船渡線全通に沸き立つ一関(S10.9.29岩手日報)

【郷土の記憶】昭和10年9月29日、大船渡線がついに全通!一関・盛が歓喜に包まれた日 岩手の鉄道史において、決して忘れてはならない記念日があります。 今から約90年前の昭和10年(1935年)9月29日。この日、大船渡線の最後の一区間である大船渡〜盛間が開通し、ついに一関から盛までが一本のレールで結…
山田線が宮古まで開通(S9.11.6岩手日報) d宮古・下閉伊郡

山田線が宮古まで開通(S9.11.6岩手日報)

【歴史秘話】昭和9年11月6日、三陸に歓喜の汽笛が響いた日 ―― 山田線「宮古開通」の熱狂 こんにちは。本日は、私の手元にある非常に貴重な資料をご紹介します。 Screenshot 今から約90年前、昭和9年(1934年)11月6日の「岩手日報」の紙面です。そこには、盛岡と宮古が鉄路で結ばれた瞬間の…
矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報)

昭和9年9月1日の岩手日報を開くと、そこには当時の矢巾地域が誇った圧倒的な活気と、世界を見据えた壮大な物語が記録されています。 徳田信用組合と、不動村・煙山村が経営する矢幅信用組合が共同で進めてきた県下一の巨大倉庫が、この日ついに業務を開始しました。この大事業は本春3月から着工されたもので、収穫期を…
山田線開通祝賀ムードの川井村(S8.11.3岩手日報) d宮古・下閉伊郡

山田線開通祝賀ムードの川井村(S8.11.3岩手日報)

――昭和8年、鉄路が村の「距離感」を変える 昭和8年(1933年)11月3日付の岩手日報に、当時の川井村が山田線の延伸をどれほど待ち望んでいたかを伝える記事が載っている。見出しは「山田線に待望の川井村地方の人々」。沿線の人々が、まさに“線路が来る日”を指折り数えている空気が伝わってくる内容だ。 Sc…
花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日) f花巻・稗貫郡

花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日)

昭和7年7月3日の読売新聞より。 7月1日の夜、東北本線の花巻付近で男女が轢死する人身事故があった。 どうやら遺留品を見てみると、二高(旧制。現在の東北大学教養部)の生徒とその恋人らしい。 仙台からも二高の生徒主事がやってきて確認に来たところ「間違いない」ということになった。 ところが、その二高生の…
盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工(S6.9.12岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工(S6.9.12岩手日報)

昭和6年9月12日の岩手日報によれば、盛岡鉄道工場で建設が進められていた車輪・仕上職場が、いよいよ完成間近となった。着工は同年4月24日で、約7か月の工期を経て12月1日からの作業開始が予定されている。 この新しい職場では、客車や貨車の車輪交換、洗浄といった整備作業が行われることになる。写真には、工…
盛岡〜青森でC51超特急の試運転(S6.1.14岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡〜青森でC51超特急の試運転(S6.1.14岩手日報)

  昭和初期の「超特急」計画!盛岡〜青森を3時間半で駆け抜けた試運転の記録 みなさん、こんにちは。今日は、1931年(昭和6年)1月14日付の「岩手日報」に掲載された、鉄道史における非常に興味深いニュースをご紹介します。 Screenshot 今から95年も前、東北の鉄路で「超特急」の実現…
県内各企業の年始広告(S6.1.1岩手日報) l全県

県内各企業の年始広告(S6.1.1岩手日報)

昭和6年元日、岩手日報に掲載された県内企業の年始広告には、当時の岩手経済界の様相がよく現れている。 中でも目を引くのが「岩手軽便鉄道株式会社」の広告である。同社は花巻町に本社を構え、花巻から遠野を経て仙人峠へと至るナローゲージ(軌間762mm)の地方鉄道を運営していた。後年、国鉄に買収されて「釜石線…
花巻電鉄でボギー車運転のため交換停留場の有効長延長工事(S5.3.28岩手日報) f花巻・稗貫郡

花巻電鉄でボギー車運転のため交換停留場の有効長延長工事(S5.3.28岩手日報)

昭和5年3月28日の岩手日報より。 花巻温泉への足として知られた花巻電鉄では、春の湯治シーズンに向けて輸送力の増強が図られていた。 記事によれば、花巻電鉄では3両連結のボギー車(台車付き大型車両)を導入し、これを運行する計画である。そのため、交換停留場(列車同士の行き違いを行う場所)の有効長を延長す…
八戸線が全通し久慈で開通式を盛大に挙行(S5.3.27岩手日報) c久慈・九戸郡

八戸線が全通し久慈で開通式を盛大に挙行(S5.3.27岩手日報)

昭和5年3月27日の『岩手日報』は、前日に行われた八戸線・陸中八木〜久慈間の開通を大きく報じている。この区間の開業によって、八戸線はついに全通し、青森県の八戸と岩手県の久慈が鉄道で結ばれることとなった。記事では、開通までに実に10年を要したこと、総工費が500万円にも上ったこと、そして地域住民の強い…
苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(S4.9.5岩手日報) g北上・和賀郡

苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(S4.9.5岩手日報)

昭和4年9月4日の明け方、黒沢尻駅(現在の北上市)に到着した盛岡行きの貨物列車に、場違いな姿の若者が一人混じっていました。これに気づいた駅員は不審に思い、青年を派出所に引き渡しました。 調べてみると、この青年は沿岸・田老村(現在の宮古市田老地区)出身の18歳。東京へ出て苦学しようと志して上京したもの…
山田線の上米内〜区界が開通(S3.9.26岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山田線の上米内〜区界が開通(S3.9.26岩手日報)

【鉄道史の1ページ】昭和3年、山田線が「北上山地」を越えた日。岩手日報から読み解く開通の熱狂 こんにちは。今回は、地域の歴史を物語る大変貴重な史料をご紹介します。 今から約100年前、昭和3年(1928年)9月26日付の「岩手日報」です。 Screenshot 一面に躍るのは、「上米内―区界間 鉄道…
大船渡線千厩〜折壁開業祝賀式典(S3.9.2岩手日報) j東磐井郡

大船渡線千厩〜折壁開業祝賀式典(S3.9.2岩手日報)

昭和3年9月2日、大船渡線の千厩〜折壁間が晴れて開業し、折壁駅では盛大な祝賀式典が執り行われた。待望の鉄道延伸に沿線各地から多数の人々が集まり、地元の希望と熱気に包まれた一日となった。 しかし、この鉄道開通の背景には、単なる土木工事だけでは語れぬ政治的駆け引きがあった。 大正期当初、大船渡線の計画で…
山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(S3.9.1岩手日報) d宮古・下閉伊郡

山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(S3.9.1岩手日報)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 当時の山田線は、盛岡から上米内までしか開通していなかった。しかし、その路線名が示すように、いずれは山田町、さらには釜石方面まで延伸する構想が存在していた。 この時点では、上米内からさらに区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間には7つの停車場(駅)が設置され…
サンマの季節の貨物列車 d宮古・下閉伊郡

サンマの季節の貨物列車

微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい…
入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報より。 この日の盛岡駅は、朝から見送り客でごった返していた。向かう先は、弘前の歩兵連隊。現役兵として入営する若者たちを見送るため、家族や友人たちがホームに詰めかけていた。 写真に写るのはその一幕。列車の窓越しに帽子を振る者、最後の言葉を交わそうとする者、それをただ黙って見つ…
盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日)

昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと…
貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報に、盛岡駅構内で発生した痛ましい鉄道事故が報じられています。 事故が起きたのは、盛岡駅の北側に位置する貨物列車の入換線でのことでした。まだ19歳という若さの連結手が、10両編成の貨車に飛び乗ろうとした際、厳寒の気候が災いし、足を滑らせて線路上に転倒してしまいました。不運なこ…