鉄道・軌道

花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日) f花巻・稗貫郡

花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日)

昭和7年7月3日の読売新聞より。 7月1日の夜、東北本線の花巻付近で男女が轢死する人身事故があった。 どうやら遺留品を見てみると、二高(旧制。現在の東北大学教養部)の生徒とその恋人らしい。 仙台からも二高の生徒主事がやってきて確認に来たところ「間違いない」ということになった。 ところが、その二高生の…
八戸線が全通し久慈で開通式を盛大に挙行(昭和5年3月27日) c久慈・九戸郡

八戸線が全通し久慈で開通式を盛大に挙行(昭和5年3月27日)

昭和5年3月28日の岩手日報より。 八戸線の陸中八木~久慈間が3月27日に開通し、これでいよいよ八戸線は全通した。 久慈小学校では、岩手県側と青森県側の主だった人が出席して全通を喜んだ。 岩手県側 知事代理 県内務部長 第3旅団長 盛岡連隊区司令官 工兵第8大隊長 盛岡地方裁判所長 盛岡地方検事局検…
苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(昭和4年9月4日) g北上・和賀郡

苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(昭和4年9月4日)

昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月4日の明け方、黒沢尻駅に到着した盛岡行きの貨物列車の連結に、17歳から18歳の青年がいたので、黒沢尻駅員がそれを派出所に連れて行った。 そこで調べたところでは、沿岸は田老村の出身の18歳の青年であったと言う。 苦学するために上京したものの、理想と現実とはあまりに…
山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(昭和3年8月29日) d宮古・下閉伊郡

山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(昭和3年8月29日)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 当時、山田線は盛岡から上米内しか開通していなかった。 しかし、「山田線」と言う路線名にある通り、いずれは山田町を通って、釜石まで開業する予定ではあった。 この時点では、区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間は、7カ所の駅が開設される予定であった。 では、宮…
サンマの季節の貨物列車 d宮古・下閉伊郡

サンマの季節の貨物列車

微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい…
盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日)

昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと…
貨車の連結手は危険な仕事だった(昭和2年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

貨車の連結手は危険な仕事だった(昭和2年1月6日)

昭和2年1月8日の岩手日報より。 盛岡駅北側の貨物列車入換線で、貨車連結中の19歳の連結手は10両編成の貨車に飛び乗ろうとしたら、「寒気の為に」靴を滑らせて線路上に転倒し、悪いことにその貨車に引かれて両肩と顔面に重傷を負い人事不省で岩手病院に収容されたのだという。 このように、貨車の連結は特に危険な…