i一関・西磐井郡 1 3月 1930 西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報) 昭和5年、岩手県内では海軍志願兵に対する徴募検査が各地で行われていた。そのうち西磐井郡では、一関小学校を会場として検査が実施され、多くの若者が海軍各部門への志願に臨んだ。 この検査で、当時の西磐井郡老松村(現在の一関市花泉町)出身の中村一男君が、少年航空兵に合格したことが報じられている。 少年航空兵… 続きを読む
l全県 1 3月 1930 少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) この年から、海軍では新たに「少年航空兵」の募集を始めることとなった。 「少年航空兵」とは、年少のうちから選抜・教育され、将来の海軍航空隊員として育成される制度である。身体的・精神的に健全で、かつ将来的に飛行機乗りや航空技術者としての資質を持つ者が対象とされた。 横須賀鎮守府管内での採用枠は40名とご… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 盛岡に「航空少年団」(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がいた。 当時の陸軍の根拠地であった観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)には、彼が自費で設けた「伊東飛行場」が存在していたという。個人で飛行場を持っていたという点で、当時としては相当な情熱と財力が感じられる。 (詳細は以下のブログ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1929 立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報) 昭和4年9月5日の岩手日報に掲載されたニュースによれば、立川飛行場所属の陸軍機が厨川村の雫石川河畔に不時着するという事故が発生した。 この陸軍機は弘前から立川へ戻る途中だったが、厨川村上空で何らかの事情により飛行を続けることが困難となり、最終的には雫石川の高圧電線に接触。そのまま川の河原に不時着した… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 9月 1929 川井と花巻で自動車事故(S4.9.5岩手日報) 昭和4年(1929年)9月3日、小国村で行われた早池峰神社の祭典に関連し、2件の自動車事故が報じられました。 ひとつは、小国村と江繋村の境界付近で発生した事故です。参詣者を満載したトラックに乗っていた34歳の男性が、酒に酔った勢いで走行中に突然車外へ飛び降りました。ちょうど後続していた車の進路に滑り… 続きを読む
g北上・和賀郡 5 9月 1929 苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(S4.9.5岩手日報) 昭和4年9月4日の明け方、黒沢尻駅(現在の北上市)に到着した盛岡行きの貨物列車に、場違いな姿の若者が一人混じっていました。これに気づいた駅員は不審に思い、青年を派出所に引き渡しました。 調べてみると、この青年は沿岸・田老村(現在の宮古市田老地区)出身の18歳。東京へ出て苦学しようと志して上京したもの… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1929 釜石で横行する船舶部品泥棒(S4.9.3岩手日報) 昭和4年9月3日の『岩手日報』より。 釜石市須賀海岸では、修繕のため陸揚げされていた漁船から、シャフトなどの機械部品が何者かによって盗まれるという事件が発生した。 実は、こうした漁船部品の盗難は、すでに昭和2年頃から相次いで発生していたという。とくに修理のために陸に引き上げてある漁船は、ほとんどが被… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1928 すべての自動車に赤と青の信号を(S3.9.5岩手日報) 昭和3年9月5日の『岩手日報』より。 この頃、岩手県内では自動車の数が急速に増加していた。しかし、当時の自動車には方向指示器がなく、交差点などで右左折する際には、運転手や助手が手を使って合図を送る、いわば「手信号」によって意思表示をしていた。昼間であればそれでも問題は少なかったが、夜間になると当然な… 続きを読む
j東磐井郡 2 9月 1928 大船渡線千厩〜折壁開業祝賀式典(S3.9.2岩手日報) 昭和3年9月2日、大船渡線の千厩〜折壁間が晴れて開業し、折壁駅では盛大な祝賀式典が執り行われた。待望の鉄道延伸に沿線各地から多数の人々が集まり、地元の希望と熱気に包まれた一日となった。 しかし、この鉄道開通の背景には、単なる土木工事だけでは語れぬ政治的駆け引きがあった。 大正期当初、大船渡線の計画で… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 9月 1928 山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(S3.9.1岩手日報) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 当時の山田線は、盛岡から上米内までしか開通していなかった。しかし、その路線名が示すように、いずれは山田町、さらには釜石方面まで延伸する構想が存在していた。 この時点では、上米内からさらに区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間には7つの停車場(駅)が設置され… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 4月 1928 全校児童の3分の1を落第させる小学校 昭和3年4月8日の東京朝日新聞より。 川井村小学校では全校210人の3分の1の70名を成績が悪いといって落第させたら父兄が怒って盛岡の県庁まで押しかけたのだという。 しかし学校側は「成績が悪いんだから仕方がない」の一点張り。 ・・・ところで、山田線はこの時点では上米内までしか開業してい… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 10月 1927 サンマの季節の貨物列車 微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 1月 1927 盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(S2.1.9岩手日報) 昭和2年1月、岩手日報は「盛岡~宮古間の冬季郵便逓送を自動車で継続すべく、逓信局と交渉中である」と報じた。実はこの区間、すでに大正14年からは「盛宮自動車」による郵便輸送が始まっていたが、冬場は例年通り積雪のため運休し、郵便物は駄馬によって雪道を越えて運ばれていたという。 この「雪道」とは、すなわち… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1927 入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報) 昭和2年1月8日の岩手日報より。 この日の盛岡駅は、朝から見送り客でごった返していた。向かう先は、弘前の歩兵連隊。現役兵として入営する若者たちを見送るため、家族や友人たちがホームに詰めかけていた。 写真に写るのはその一幕。列車の窓越しに帽子を振る者、最後の言葉を交わそうとする者、それをただ黙って見つ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1927 盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) 昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1927 貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報) 昭和2年1月8日の岩手日報に、盛岡駅構内で発生した痛ましい鉄道事故が報じられています。 事故が起きたのは、盛岡駅の北側に位置する貨物列車の入換線でのことでした。まだ19歳という若さの連結手が、10両編成の貨車に飛び乗ろうとした際、厳寒の気候が災いし、足を滑らせて線路上に転倒してしまいました。不運なこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 12月 1926 小運送合同政策に基づき北福岡~水沢間の小運送業者を合併します(S元.12.28岩手日報) 昭和元年12月28日付の岩手日報には、「資本合同で運送業を経営」と題された記事が掲載されている。この日は、東北本線の北福岡(現・二戸市)から水沢(現・奥州市)に至る区間、および橋場線・花輪線・横黒線沿線の小運送業者31名が、盛岡市清水町にあった老舗料亭「大清水多賀」に集い、合同経営に向けた協議を行っ… 続きを読む