備考※1 1月 16日 1986 【参考】JC青年の船(S61.1.16中日ニュース) この年は国際平和年であったという。 https://youtu.be/f9NSQgYN6AM?si=D5lHpA63MWGrQMOK… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 5月 7日 1967 せっかくオーストラリアの女流作家に大船渡を案内したのに(昭和42年5月7日) 昭和42年5月7日の読売新聞岩手版にあった話。 前年の8月23日、オーストラリアのナンシー・ヘレンという作家が取材旅行で大船渡を訪れたので、国鉄大船渡駅の駅員(35歳)とタクシーの運転手(26歳)は、休日を返上してまで大船渡の農漁村を案内した。 彼女はその親切に感激し、「こんどオーストラリアにいらっ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1966 釜石の人が見たベトナム美人(昭和41年3月4日) 昭和41年3月4日の岩手東海新聞より。 釜石の人がベトナムに行ったようだ。 この時期はまさにベトナム戦争の真っ最中で、韓国が「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」と数々の師団をベトナムに送り込み始めた時期でもある。 この白土さんという人は、新聞記者か何かだろうか。 具体的に戦争に関する記述は無いが、女… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 4日 1964 釜石の人が中国・広州に行ってきた(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石の人が中国に行ってきたようで、広州に行ってきた印象を語っている。 ちなみに当時は中華人民共和国との国交は無く、国交があった「中国」は中華民国つまり台湾の方。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1963 釜石港に外国船ラッシュ(昭和38年9月7日) 昭和38年9月7日の岩手東海新聞より。 釜石港は、外国船のラッシュで賑わい、黒人の船員が上陸したことまで話題になっていたと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 4日 1962 釜石ユネスコ協会で英会話教室(S37.7.4岩手東海新聞) 釜石ユネスコ協会では、市内の教会で英会話教室を行った。 人気は上々であったと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 21日 1960 釜石市長が訪欧に旅立つ(S35.9.21岩手東海新聞) イスラエルのテルアビブで開催されるという国際市長会議に、日本の市長代表で釜石市の鈴木東民市長が行くことになったという。 それで釜石駅で盛大にお見送り。 ディーゼルカーは準急色のキハ55だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 21日 1960 釜石で中国文化産業展(S35.9.21岩手東海新聞) 釜石で、中国文化産業展が開催された。 観客の中には「中国の社会主義の発展には目を見張るものがある」と言わしめる者まであり盛況だったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1960 盛岡の建設業者が南ベトナムで合弁会社設立(昭和35年3月1日) 昭和35年3月1日の岩手日報より。 盛岡の建設業者が、南ベトナムの豊富な森林資源に着目し、合弁会社を設立するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 27日 1959 日ソ協会釜石支部の設立式(昭和34年6月27日) 昭和34年6月25日の岩手東海新聞より。 日ソ協会釜石支部が設立されるというが、自民党も社会党も共産党も名を連ねている。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 17日 1957 久慈市の山内市長が北京へ出発(昭和32年10月17日) 昭和32年10月19日のデーリー東北より。 北日本港湾都市市長団の三役として、中共の北京市の招きで10月23日に羽田国際空港から香港経由で旅立つ久慈市の山内市長は、10月17日13時市役所前から市長専用車で市役所前を出発した。 市長は「1ヵ月の間、を留守にしますが、皆さん元気で勤めをお願いします。戦… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 15日 1957 久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日) 昭和32年10月17日のデーリー東北より。 北京市長の招きで、「北日本港湾都市市長団」の三役として久慈市長も中国に行くこととなった。 それに対して、10月15日、市役所別館にて壮行会が150人を集めて行われた。 市長は「漁業、水産物の交易とコルホーズが中国ではどのようになっているかを見極めたい。また… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 中国青年団は盛岡を見てハオハオの連発(S32.4.20岩手日報) 中国友好青年団は、全国を見て歩いていたが、盛岡に来て岩手大学の温室を見たり、わんこそばを食べたりしてハオハオの連発であったと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 中共から来た青年団がわんこそばに大喜び 昭和32年4月20日の読売新聞岩手版より。 中華人民共和国(当時は国交なし)から青年代表団5名が来日していたが、4月18日には青森から盛岡に来て繋温泉で宿泊。 翌19日には岩手大学農学部を見学し、阿部知事の招待に応じわんこそばで昼食会を行った。 この日の午後には県青年協会との交歓会に出席。 その後一… 続きを読む
m県外・参考 3月 4日 1953 海外への客船の便はこれだけあった(昭和28年3月4日) 昭和28年3月4日の読売新聞岩手版の広告欄より。 岩手県内のニュースとは関係なく、横浜や神戸などからの船便の出発情報であるが、かなりの便数が出ていたことがわかる。 まだブラジルへの移民も多い時期で、北米航路のみならずムンバイや南米などといった航路もある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1952 GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日) 敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。 そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 4日 1952 釜石立ち寄りの貨客船にアメリカの旅行団 昭和27年9月4日の岩手日報より。 2日朝に釜石に入港した「マーチン・ベェクス」(5484トン)からアメリカの12人の観光団が上陸、旧盆で賑わう釜石市内を観光した。 この船は、サンフランシスコを出帆しマグネシアクリンカー1000トンを荷揚げし、横浜に立ち寄ったのちにシンガポールへ行くという。 日本最… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1952 南部鉄瓶も「Made in Occupied Japan」(昭和27年9月3日) 昭和27年9月5日の岩手日報より。 後年「岩手県東京事務所」となる東京物産あっせん事務所に、アメリカはサンフランシスコの日系人から「南部鉄瓶50個」の依頼が舞い込んだ。 値段は東京渡しで700~2000円止まりという。 アメリカでは鉄瓶は日常使わず、飾り物にするのだという。 当時であれ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 2日 1950 ララ物資にお礼のポストカード(昭和25年12月2日) 昭和25年12月2日の岩手新報より。 戦後の、アメリカ唐のララ物資は、岩手県内の厚生施設など各所に配られていたが、岩手県厚生課は、それに対するお礼としてポストカードを配ることにした。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 2日 1950 日中友好協会岩手県支部結成(昭和25年2月2日) 昭和25年2月2日の新岩手日報より。 岩手2区選出の社会党議員・北山愛郎により日中友好協会岩手県支部が結成された。 この当時、日本と国交があったのは「国府」の方で、つまり中華民国の台湾の方。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 29日 1949 盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日) 昭和24年7月1日の岩手新報より。 盛岡市穀町(現在の南大通)に、子供たちにお金をまくアメリカ人少女が現れたという。 その少女は名前も名乗らずにどこかへ消えたのだという。 これに対しGHQの岩手軍政部では「アメリカではいつものこと」とコメントした。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 5月 3日 1949 金田一京助「ナニャドヤラはヘブライ語ではなく方言」(昭和24年5月3日) 昭和24年5月3日の新岩手日報より。 青森県の新郷村から岩手県の二戸郡にかけて、盆踊りで「ナニャドヤラ」(新聞の文中では「ニヤニヤトヤラー」)が歌われるが、これはヘブライ語由来ではなく、方言が添加したものであると言う金田一京助の学説を紹介した。 … 続きを読む
m県外・参考 3月 4日 1949 東京でアメリカの子供が「ヒナマツリ」を堪能(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 東京・渋谷区で、アメリカの子供達がひな祭りを堪能したというニュースが岩手でも報じられた。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 4月 29日 1936 大船渡に大きな船が渡ってきた(昭和11年4月29日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 大船渡の港に、世界的に有数のタンカーであるノールウェイドラフン号が着岸した。 このドラフン号は、12,000トンであると言う。 そして、4500トンの重油を日石タンクにあげた。 この巨大の船の入稿に、気仙郡の郡民の見物客は500人から600人に及んだと言う。 子供… 続きを読む
l全県 9月 11日 1931 中華民国の大水害に岩手県下でも義援金 昭和6年9月11日の岩手日報より。 1931年の中国における大水害は、Wikipedia日本語版にも項目が立っているほどである。 このことは当時の岩手県内でも話題になっており、岩手県社会課では1口1円以上で、9月25日まで義捐金を募ることとした。 岩手県庁だけではなく、愛国婦人会岩手県支部でも同様に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1928 ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) 家畜病理学の研究のためにドイツに留学していた盛岡高等農林学校の教授が、3年間の留学期間を終えて盛岡に帰って来たというニュース。… 続きを読む