昭和46年5月27日の岩手日報の広告より。 「明28日封切」として、「猫」「ベニス協奏曲」が洋画専門館・中央ホールで公開する旨の広告が出されている。 「猫」(原題:Eye Of The Cat)は、1969年米ユニバーサル映画による「もし、猫が人間を襲ったら・・・」というショック映画で、日本初公開は…
昭和42年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石大映では「殺しのテクニック」「ゴーストタウンの決闘」を公開する。 「殺しのテクニック」(原題:Technica Di Un Dmicidio)は昭和41年のイタリア映画で、日本での初公開は昭和41年7月2日。 出演はロバート・ウェバー、フランコ・ネロ、ジャ…
昭和39年6月15日の岩手東海新聞より。 釜石・国際劇場では「北京の55日」「ガンホーク」公開する。 「北京の55日」(原題:55 days at Peking)は昭和38年5月29日のアメリカ映画で、日本での初公開は昭和38年10月19日。義和団事変の頃のアメリカ軍について。 「ガンホーク」(原題…
昭和36年12月20日の胆江日日新聞より。 水沢のSYロマンス劇場では「世界の夜」と「危険な関係」を公開する。 「世界の夜」(原題:IL MONDO DI NOTTE)はイタリア映画で日本初公開は昭和36年7月18日。 「危険な関係」(原題:Les Liaisons Dangereuses)はフラン…
昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場では「悲愁」と「ひと夏の情事」を公開する。 「悲愁」(原題:Beloved Infidel)は昭和34年米20世紀フォックス制作で、日本での初公開は昭和35年4月27日。 「ひと夏の情事」(原題:Une Fille pour L'ete)は昭和3…
昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石の第一劇場では「カルタゴ」と「旅路はるか」のイタリア映画2本を上映中であった。 「カルタゴ」(原題:Cartagine in Fiamme)は、日本での初公開は昭和35年5月26日。 「旅路はるか」(原題:L'UOMO DAI CALZONI CORTI …
昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 世はまさに映画の全盛期。 特に正月は各社とも新作映画の封切りをぶつけて来る書き入れ時であった。 盛岡中劇は洋画で「北々西に進路を取れ」(原題:North by NorthWest)と「それはキッスで始まった」(原題:It Started with a Kiss…