a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1956 IBC歌うこども大会は大盛況(S31.4.23岩手日報) 4月22日に岩手県公会堂で行われた、「IBC歌うこども大会」は大盛況だったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 21日 1956 ラジオ岩手「春のIBCまつり 歌うこども大会」(S31.4.21岩手日報) ラジオ岩手(現在のIBC岩手放送)では、「春のIBC祭り 歌うこども大会」を22日に岩手県公会堂で行うという。 写真の3人のうち、近藤圭子・伴久美子は、ウィキペディアにも単独項目があるほど有名な童謡歌手。 … 続きを読む
m県外・参考 1月 14日 1956 「ハハのんきだね」石田一松のガン闘病に同僚芸人が助け合い運動(昭和31年1月14日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 岩手県には関係ないニュースではあるが、岩手日報で報じられていたので。 「ハハのんきだね~」で知られる石田一松は、この年の1月11日に胃ガンで逝去している。 戦後すぐは代議士に当選して活躍していたが、長年のヒロポン中毒で体はボロボロであったという。 ガンが発見され… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1956 松島トモ子が岩手県公会堂に来ます(昭和31年1月7日) 昭和31年1月6日の岩手日報より。 松島トモ子が岩手県公会堂で公演をするという。 この時松島トモ子は10歳。 子役として忙しい時期であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 29日 1955 大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日) 昭和30年11月29日の岩手日報より。 昭和9年は伝説的な凶作であった。 秋になっても稲は青立ちのまま実らず、娘を売る農家が続出。 それで東京はじめ全国からの支援が集まったのである。 そして21年後の昭和30年、稲は史上まれにみる豊作となり、また県内有数の酪農地帯となり、あの凶作の時の恩に報いる時が… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 24日 1955 浪曲界の大御所・梅中軒鶯童・園子が一関に来ます!(昭和30年6月24日) 昭和30年6月21日の岩手日日より。 浪曲界の大御所である梅中軒鶯童・園子が一関に来るという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 22日 1953 すわらじ劇団が水沢で公演します!(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 京都に拠点を置くすわらじ劇団が水沢で公演。 入場料は大人120円であるという。 このすわらじ劇団、2020年にコロナ禍のために解散してしまった。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 29日 1953 一関に田端義夫が来てなつかしのメロデーを歌います!(S28.8.29岩手日日) 一関に田端義夫(バタやん)が来るという。 そして「なつかしのメロデー」やら新曲やらを歌いますと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 26日 1953 田端義夫が一関のファンに挨拶(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日の広告欄より。 「バタやん」こと田端義男が「一関のファンの皆様へ」とあいさつしている。 どうも前年12月に一関でコンサートの予定が、急遽「歌くらべ青春三銃士」(松竹)への出演が決まり出演できなくなったらしい。 それでこの年の9月5日に一関映劇に出演することになったのだと… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 26日 1953 東映スターが一関に来ます!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 そもそもどこの映画館か書いていないのだが、東映系の映画館といえばどこかはすぐに分かったのだろうか。 また、東映スターやニューフェース(原文では「ニユーフヱス」)が挨拶に来るというのだが、西條鮎子・森和子・沖鏡子・宇佐美栄子・川村勘平共にこの記事を書いている令和4… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1953 江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 この当時の食糧管理制度にあっては、米はすべて国が管理していると言う建前だったので、各農村では、割り当て量を全て国に収めることが求められていた。 そしてまた、ヤミに流さず、よくぞ国に収めて下さいましたと何かのインセンティブを与えなければいけなかったのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 10日 1951 美空ひばりが岩手県公会堂で東北地方初公演!(昭和26年8月10日) 昭和26年8月1日の「夕刊いわて」より。 美空ひばりが東北地方で初めて、岩手県公会堂で公演を行うのだという。 それは突如決まったことのようだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 9日 1951 東京大歌舞伎が盛岡劇場でお盆特別大興行!(昭和26年8月9日) 昭和26年8月1日の「夕刊いわて」より。 東京大歌舞伎が盛岡劇場で興行を行うという。 前売券は三百五十円とのこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 7日 1951 8月10日に天才歌手・美空ひばり一行が来盛します!(昭和26年8月7日) 昭和26年8月7日の「夕刊いわて」より。 美空ひばり一行が盛岡に来るのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 20日 1951 5歳当時の松島トモ子が岩手県公会堂で出演していた(昭和26年6月20日) 昭和26年6月21日の「夕刊いわて」より。 6月20日、岩手県公会堂では石井漠の門下の子供達がバレエの公演をした。 この中に「天才豆バレリーナ」として5歳のころの松島トモ子がいたのである。 ライオンに噛まれるかれこれ35年前の話。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 女子プロ野球「マルキン・シスターズ」が盛岡に来ますよ!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 女子プロ野球の「マルキン・シスターズ」が、17日に盛岡に来るという。 そして盛岡駅の裏にあった盛鉄球場で、市内の名士による野球チーム「名士軍」と、マルキン醤油岩手支店のチームと試合をするのだという。 一行は、17日の朝9時半に盛岡に到着した後、10時から大… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 20日 1951 盛岡劇場でエノケンが公演(昭和26年5月20日) 昭和26年5月19日の「夕刊いわて」の広告欄より。 「東京よりエノケン来盛!」というコピーで榎本健一が盛岡で講演を行うことを知らせている。 場所は盛岡劇場であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 28日 1951 岡晴夫が岩手県公会堂に来ます!!!(昭和26年4月28日) 昭和26年4月27日の「夕刊いわて」より。 昭和20年代を代表する歌手である岡晴夫が盛岡に来るという。 スケジュールは4月28日から2日間、岩手県公会堂にて。 岡晴夫の人気は非常なもので、大阪では夜の公演が終わると、翌日の昼の公演を待つ客の列が宿まで延びていた等の伝説がある。 しかし、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 28日 1950 東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日) 昭和25年9月27日の岩手日報の広告欄より。 「女団十郎来る!」と題して、東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同一座が盛岡と水沢で公演する旨を広告している。 スケジュールとしては、9月27日は盛岡劇場、翌9月28日が水沢劇場。 まず「沢村茂美次」というのが、調べてもあまり情報が出てこ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 5日 1949 県南各地で豪華東西浪曲大会(S24.5.5新岩手日報) 広告欄より。 県南の各地で「豪華東西浪曲大会」が開催されるという。 ちなみに黒沢尻(北上)や石鳥谷まで「県南」に入れるかどうかは議論が分かれるが、岩手県南バスの路線がなかったのは、この中では石鳥谷町のみ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 4日 1949 盛岡劇場で豪華浪曲大会をやります!(昭和24年5月4日) 昭和24年5月4日の新岩手日報より。 盛岡劇場では、東西の有名どころを集めて、浪曲大会を行うと言う。 「東西の日本一」ということであるが、挙がっている名前が現在Wikipediaの単独項目になっているのは以下の通り。 広沢虎造(2代目) 玉川勝太郎 吉田奈良丸 酒井雲 天中軒雲月 立石弘志 → 天中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 14日 1948 盛岡・第一映画劇場で「エノケンのホームラン王」封切(昭和23年9月14日) 昭和23年9月12日の岩手新報より。 9月14日に第一映劇で「エノケンのホームラン王」を封切するという。 第一映劇で上映しているので東宝の作品で初公開は昭和23年9月7日。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 9日 1947 松本幸四郎一座が花巻に来ます!(昭和22年9月9日) 昭和22年9月3日の新岩手日報より。 松本幸四郎一座が花巻で公演をするという。 ちなみに「松本幸四郎」とは言っても松たか子の父は9代目で、ここに出ているのは7代目。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 14日 1946 盛岡・国民劇場に藤原義江が来ます!(昭和21年7月14日) 昭和21年7月11日の岩手日報より。 盛岡の国民劇場にテノール歌手の藤原義江が来ると言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 12日 1945 盛岡・国劇で市川團十郎・市川鶴之助一座が特別興行!(昭和20年8月12日) 昭和20年8月10日の岩手日報より。 盛岡の国劇(のちの国民映画劇場と同じ場所?)で、市川團十郎と市川鶴之助一座の歌舞伎興行を行うという。 あちこちで空襲がある中、一般市民も歌舞伎興行を開催し、それを見に行く余裕があったのかどうかは分からないが、このような記録はあるということで。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 16日 1945 宮城千賀子一座が盛岡・国劇に来ます(昭和20年7月16日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 宮城千賀子の一座が7月16~17日に盛岡の国劇で公演を行うという。 この時期、宮城千賀子は出産して映画から退いていたが、自ら「劇団なでしこ」を旗揚げして各地を巡業していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1942 岩手県公会堂で前線を偲ぶ演芸会(S17.7.2新岩手日報) 岩手県公会堂で、白衣の勇士を招き「前線を偲ぶ演芸会」が開催された。 白衣の勇士とは傷痍軍人のこと。 このような福祉事業は、皇后陛下の御心のもとに行われるということになっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 20日 1942 松平晃・三原純子・森光子が盛岡で公演します…よね?(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報の広告欄より。 タイヘイレコードの松平晃とその楽団、三原純子、森光子が公演を行うという。 ところが、盛岡市内のどこで公演するかが全く書いていないのである。 岩手日報の広告に「公演」と書いているくらいなので、来て公演するのは確かなのだろう。 しかしどこで公演するかが全く書… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 3日 1941 胆沢郡南都田村から東京陸軍病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問団(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 胆沢郡南都田村の有志は11月3~4日に東京陸軍第一・第二病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問を行うという。 そして靖国神社と明治神宮で奉納園芸を行う予定であるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1941 盛岡劇場で藤原義江楽団「カルメン」公演(S16.11.1新岩手日報) 盛岡劇場では、藤原義江楽団によるオペラ「カルメン」が上演されるという。 … 続きを読む