大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日)

昭和30年11月29日の岩手日報より。

昭和9年は伝説的な凶作であった。
秋になっても稲は青立ちのまま実らず、娘を売る農家が続出。
それで東京はじめ全国からの支援が集まったのである。

そして21年後の昭和30年、稲は史上まれにみる豊作となり、また県内有数の酪農地帯となり、あの凶作の時の恩に報いる時が来た。

遠野の伝統芸能である鹿踊りの一団は。12月3日に明治神宮や靖国神社で奉納舞踊をして、日本橋三越で踊ることにしたのであった。

 

 

 


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