h水沢・江刺・胆沢郡 10 9月 1953 水沢でSYロマンス劇場が開館(昭和28年9月10日) 昭和28年9月5日の胆江日日新聞より。 水沢町駅通りの大安寺東にSYロマンス劇場が開館する。 間口は9間、奥行き16間、建坪180坪、椅子席326席、ステージ6間×3間、スクリーンは26尺×13尺で、「現在の3倍」という。 柿落としは「総天然色女王戴冠式」と「ダニーケイの牛乳屋」であるという。 先着… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 9月 1953 岩手日日ではあらゆる印刷の御用命も承ります!(昭和28年9月8日) 昭和28年9月8日の岩手日日より。 一関の岩手日日では印刷業もやっていたらしい。 これはどこの地方新聞も一緒のよう。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 一関・山目小学校の学童の夏休み「悪い映画も見たが総体的には良好」(S28.9.4岩手日日) 一関・山目小学校の学童の夏休みの生活記録からは「悪い映画も見たが総体的には良好」と言う結果が出たようだ。 ところで「許されていない映画」逆にいえば「許されている映画」と言うのはどんなのだったのだろう? … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 31 8月 1953 水沢でうなぎ供養(昭和28年8月31日) 昭和28年8月31日の胆江日日新聞より。 土用の丑の日を終え、うなぎの蒲焼の生神様 の供養が、9月7日に水沢町内の業者により妙法寺で行われるという。 生け簀に余命をつないだ・・・つまり売れ残ったうなぎを持ち寄り、祈祷の上で大町川に放流するという。 そしてそれを目当てに待ち構えている連中もいるのだとい… 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 8月 1953 一関に田端義夫が来てなつかしのメロデーを歌います!(S28.8.29岩手日日) 一関に田端義夫(バタやん)が来るという。 そして「なつかしのメロデー」やら新曲やらを歌いますと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 8月 1953 一関で「ライオン歯磨映画の夕」(昭和28年8月29日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 ライオン歯磨ではこうした地方での宣伝活動に力を入れていたようで、一関の地主町角広場で宣伝かねて映画会をやるということであった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 一関でも上映された映画「バンビ」(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 この時期、上映されていたディズニー映画「バンビ」の映画評が掲載されている。 一関では、8月27日からオリオン座で上映されていたようだ。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 8月 1953 水沢・みその映劇で東宝「青色革命」・東映「玄海の鰐」公開!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の胆江日日新聞より。 水沢のみその映画劇場では東宝「青色革命」と東映「玄海の鰐」を2本立てで封切。 「青色革命」は千田是也、沢村貞子、三国連太郎などの出演で昭和28年6月10日の初公開。 「玄海の鰐」は河津清三郎、日高澄子の出演で、昭和28年7月12日の初公開。 水沢ぐらいだと独… 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 一関映画案内(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 一関市内の映画案内が掲載されている。 ところで、一関市内のどこかの映画館に東映系のスターが来るという広告があったが、これは一関文映のことらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 田端義夫が一関のファンに挨拶(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日の広告欄より。 「バタやん」こと田端義男が「一関のファンの皆様へ」とあいさつしている。 どうも前年12月に一関でコンサートの予定が、急遽「歌くらべ青春三銃士」(松竹)への出演が決まり出演できなくなったらしい。 それでこの年の9月5日に一関映劇に出演することになったのだと… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 8月 1953 水沢松竹で「雲流るる果てに」「落葉日記」公開!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢松竹では8月26日~29日に「雲流るる果てに」と「落葉日記」を公開する。 「雲流るる果てに」は昭和28年6月2日初公開の戦没学生の手記もので、鶴田浩二や木村功等が出演。 「落葉日記」は昭和28年5月20日初公開で、岸田国士の長編小説の映画化。 フランス人… 続きを読む
i一関・西磐井郡 26 8月 1953 東映スターが一関に来ます!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 そもそもどこの映画館か書いていないのだが、東映系の映画館といえばどこかはすぐに分かったのだろうか。 また、東映スターやニューフェース(原文では「ニユーフヱス」)が挨拶に来るというのだが、西條鮎子・森和子・沖鏡子・宇佐美栄子・川村勘平共にこの記事を書いている令和4… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 野間宏の考える「仮名遣いと当用漢字」(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 なぜか、作家の野間宏の記事が載っている。 仮名遣いと当用漢字に関してである。 ちなみに、野間宏自身は兵庫県出身で、関西生寺版として活躍していた小説家であり、岩手とは関係ない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 16 8月 1953 水沢松竹劇場で「暴力市街」公開!(昭和28年8月16日) 昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 水沢松竹映画劇場では「暴力市街」を8月16日~18日まで上映する。 松竹系の映画館でありながら「暴力市街」は大映映画で、昭和28年6月24日の公開なので、おそらくは盛岡でもそのくらいの封切だったのではないだろうか。 実話に基づいているというが、ガンアクション… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4 3月 1953 江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 この当時の食糧管理制度にあっては、米はすべて国が管理していると言う建前だったので、各農村では、割り当て量を全て国に収めることが求められていた。 そしてまた、ヤミに流さず、よくぞ国に収めて下さいましたと何かのインセンティブを与えなければいけなかったのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 10月 1952 黒沢明監督「生きる」が盛岡東宝第一劇場で完成披露試写会(昭和27年10月15日) 昭和27年10月7日の岩手日報の広告欄より。 黒沢明監督の映画「生きる」の完成披露試写会を10月15日に盛岡東宝第一劇場で行うという。 「完成披露試写会」とはいうものの、東京では10月9日の時点ですでに封切されているのである。 まあ岩手なんてそんなもんかね・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 10月 1952 盛岡・中央ホールで「青いヴェール」公開(昭和27年10月5日) 昭和27年10月5日の岩手日報より。 盛岡・中央ホールでは「青いヴェール」を公開する。 「青いヴェール」(原題:The Blue Veil)は1951年米RKO配給で、日本での初公開は昭和27年7月29日。主演はジェーン・ワイマン。 ところで、この広告に「投票済ませ」とあたり、隣の岩手… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 29 9月 1952 山の神講をしてたらチフス蔓延(昭和27年9月29日) 江刺郡下のどこだかの村で、チフス患者が出た旨、9月29日に岩谷堂保健所に連絡があった。 そして、その患者の近所の住民にも血液検査をしていたら、10月8日にやはり4名が疑似チフスに感染していたことが判明。 原因としては、9月12日に山の神を祀る「山の神講」をして、30人程度で宴会をしたからではないかと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 9月 1952 盛岡・国劇で「水着の女王」「凸凹外人部隊」封切!(昭和27年9月18日) 昭和27年9月17日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の洋画専門館・国民映画劇場では9月18日から「水着の女王」「凸凹外人部隊」を公開する。 「水着の女王」(原題:Neptune's Daughter)は、エスター・ウィリアムズが主演の昭和24年のアメリカ映画で日本初公開は昭和27年5月24日。 「凸凹… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 9月 1952 盛岡・内丸座で「現代人」封切!(昭和27年9月18日) 昭和27年9月17日の岩手日報の広告欄より。 渋谷実監督、池部良・山田五十鈴主演の松竹映画「現代人」が盛岡の内丸座で封切の旨。 池部良は東宝の俳優であったが、五社協定を破って松竹映画に出演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1952 盛岡八幡宮の流鏑馬と宮古・横山八幡宮の引船祭り(昭和27年9月17日) 昭和27年9月17日の岩手日報より。 盛岡では八幡宮の秋祭りが行われ流鏑馬が行われたが、宮古の横山八幡宮では引船祭りが開催された。 その写真記事。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1952 盛岡八幡宮秋祭りアルバム(昭和27年9月17日) 昭和27年9月17日の岩手日報より。 この当時、盛岡で最大のお祭りといえば、八幡宮の秋祭りであった。 その秋祭りの様子に関する写真記事。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 八幡宮の祭典の見世物をタダ見していた女子小学生に熱湯ぶっかけのDQN返し(昭和27年9月16日) 昭和27年の秋の盛岡八幡宮の祭りも盛大に行われており、多くの人でにぎわっていた。 そんな9月16日のこと。 見世物の「女相撲」を、見物料も払わず外から覗き見していた城南小学校3年の女児に熱湯をぶっかけ、全治2週間の負傷を負わせ、25歳の従業員の男が逮捕された。 「一言注意すれば済むものを・・・」と周… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 馬力大会で「農村タクシー」続々 昭和27年9月16日の岩手日報より。 盛岡八幡宮の祭典が行われている時、近くの馬検場では県下馬力大会が開かれた。 農村からは「荷車タクシー」で押しかけたという。 各農家はもう収穫を待つだけの一休みの状態だった。 八幡宮の境内では、サーカス、女相撲、メリーゴーランド、民謡大会が開かれる盛況であったとい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1952 盛岡で祭りと言えば、八幡宮の祭典だった(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報では、八幡宮の祭典を「秋祭りの王者」として一面を写真に割いている。 山車や見世物小屋などが出て、八幡宮周辺はひときわ賑わったようである。 今でこそ「東北五大祭り」として盛岡からはさんさ踊りが出ているが、これは昭和53年からと比較的歴史が浅い。 盛岡では昔から、初夏のチャ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 9月 1952 (4コマ漫画)街に馬が当然のようにいた時代(昭和27年9月13日) 昭和27年9月13日の岩手日報より。 この当時、「ポッポちゃん」と言う4コマ漫画は連載されていたようであるが、まずは女子同士のファッションチェックである。 友達の「クジャクさん」は、パリスタイルで帽子をかぶっていると言う。 そしたら、向こうから馬がやってきた。 馬も帽子をかぶっているので「パリスタイ… 続きを読む