a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1966 向中野学園高校「新年度から保育科を設置します!」(昭和41年1月12日) 昭和41年1月12日の岩手日報の広告欄より。 向中野学園高校では、新年度より保育科を設置するという。 同校にはこの当時普通科が無く、生活科・家政科・専攻科があった。 同校はその後、平成13年(2001年)に盛岡スコーレ高校として共学化されている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 30日 1965 大槌・金沢中学校では特別教室が完成(昭和40年11月30日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 大槌町の金沢中学校では、11月30日に特別教室の増築落成式が開催された。 金沢中学校では、それまで特別教室がなく、教材がいたずらに積まれていた状態になっていた。 大槌町教育委員会の昭和38年以来の文教整備5ヵ年計画によって、中学校の本校舎に接続する敷地80坪… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 11日 1965 九戸郡のへき地の小学生「書道展で入賞したのに旅費が無くて表彰式に行けない🥺」そこへ…(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 駒澤大学が主催し文部省が後援した「第2回全国学生書道展」の特別賞に、山形村立来内小中学校の2人が選ばれた。 ・・・が、そこは県北のへき地の村のこと。 旅費も無ければ晴れの席に来ていく服も無い。 それで、涙を呑んで表彰式への出席は断念することにした。 ・・・とい… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 9日 1965 久慈・山根小で貼り絵とトーテムポール(S40.10.9岩手日報) 久慈の山根小学校で貼り絵とトーテムポールを作成。 「恵まれない山村」として扱われている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 8日 1965 盛岡でテレビ授業に1000人が参加(昭和40年10月8日) 昭和40年10月8日の岩手日報より。 10月8日から2日間の日程で、盛岡市を会場に「第16回放送教育研究会東北大会」が行われた。 この大会が岩手県内で行われたのは3度目であるという。 初日は岩大附属小学校・桜城小学校・城西中学校・盛岡二高・東北銀行ホールの5か所で、県内外から1000人が集まって公開… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10月 6日 1965 安代町・花輪鉱山小で季節はずれのプール開き(昭和40年10月6日) 昭和40年10月9日の岩手日報より。 安代町の花輪鉱山小学校では、待望のプールが完成し、季節外れのプール開きが行われた。 さすがに岩手県北の10月なので、を読む人はいなかったようだが、地域住民の喜びはひとしおだったようである。 また、記事全体がですます調になっているが、それは子供向けの記事だから。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 4月 2日 1965 誘致した工場の子弟は越境入学させる問題(S40.4.2岩手日報) 北上市はパルプ工場を誘致できたは良かった。 しかし、それは北上市と金ヶ崎町の中間地点だった。 なおかつ、社宅は金ヶ崎町側にあった。 従業員組合は、子弟を北上市側の学校に通わせることを要求する。 なんとそれが通ってしまっていたのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1965 岩手県内の小学1年生は2万8千人(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この年の岩手県内の小学1年生は、2万8千人であったという。 ちなみに、令和4年(2022年)の岩手県内の小学1年生は、8,464人であるという。(岩手県教育統計より) ちなみに写真は盛岡の中野小学校。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 4日 1964 中学野球県大会16チームの陣容(S39.8.4岩手日報) この年の中学野球県大会は遠野で開催された模様。 県内16地区から代表が参加。 流石に「日本のチベット」というようないかにも僻地の学校は代表になっていない。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 6日 1964 釜石南高校の新校舎落成式(昭和39年6月6日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 かねて松倉に建築中だった釜石南高校の校舎は、6月6日に落成式が行われることとなった。 校庭は41,910平方メートル、鉄筋コンクリートで一部5階の校舎となっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 6日 1964 釜石南高校が甲子に新築移転(昭和39年2月6日) 昭和39年2月6日の岩手東海新聞より。 釜石南高校は、創立当初からの校舎を使用していたが、昭和37年に鵜住居に釜石北高校が独立したこともあり、新校舎を建設している最中であった。 そして、2月17日に移転することが決まったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 4日 1964 東海製鉄への転出対策に名古屋から中学教師が来釜(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石は東海製鉄への転出対策に揺れていたが、教育問題もあり、名古屋から教師を呼んで打ち合わせもするようになっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 3日 1964 吉里吉里中学校に特別教室完成(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 大槌町の吉里吉里中学校に特別教室棟が完成したという。 また、非常階段も設置されたという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 15日 1964 大槌小学校では廃品回収で修学旅行資金を稼ぐ(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 大槌小学校では廃品回収で修学旅行を稼ぎ、1人の欠席者も出さないと意気込んでいた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1964 釜石にも近代校舎を!(S39.1.1岩手東海新聞) 昭和39年を迎え、釜石の教育界も夢を語っている。 特に、老朽化した校舎の新築が急がれていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 12月 2日 1963 一関は短大にも逃げられそうなのに国立高専なんて(S38.12.2岩手報知) この時期、一関は国立高専誘致問題で揺れていた。 と言うのは、一関にある修紅短大が水沢に移転しようとしていたのだ。それも、一関市は何ら補助をしないということで。 コラムにも「一関一高や二高だけでなく、私立の一関商工(現:一関学院)や修紅も高校なんだ」と書かれている始末。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1963 大槌小学校開校90年式典(S38.11.4岩手東海新聞) 大槌町の大槌小学校は、明治6年(1873年)に開校したが、この年に開校90周年を迎え、講堂で開校式典が行われた。 ちなみにこの講堂は、個人的にも経験がある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1963 遠野・琴畑分校に電気が灯る(S38.11.4岩手東海新聞) 遠野の土淵の方で最も僻地であった琴畑地区に、電気が灯ることになった。 それで、土淵第二小学校琴畑分校でも大喜び。 ちなみに、この琴畑分校は昭和48年に閉校している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 2日 1963 釜石商業高校で創立30周年行事(昭和38年11月2日) 昭和38年11月2日の岩手東海新聞より。 釜石商業高校では、創立30周年記念行事が開催された。 釜石市内で最も古い中等教育機関であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1963 釜石・鵜住居中学校にゴミ焼却炉(昭和38年11月1日) 昭和38年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石市立鵜住居中学校にはこの当時、427人の生徒がいたようである。 まだ釜石東中学校が発足する前で、鵜住居中学校と栗林中学校は別々の学校だった。 その鵜住居中学校では、ゴミはうらの川に焼き捨てていたのだと言う。 しかし、それでは環境の点から好ましくないと言う… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 18日 1963 釜石製鉄所教習所が廃校(S38.9.18岩手東海新聞) 中学校を卒業して、高校の過程を勉強しながら、釜石製鉄所に就職するという釜石製鉄所教習所が閉校することになったという。 この時期、東海製鉄への移行の話が進んでいた時期でもあり、「釜石に終わりの始まり」を象徴するニュースでもあった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 7日 1963 岩谷堂公民館で婦人学級「意思の弱い子を如何して強くするか」(昭和38年9月7日) 昭和38年9月5日の岩手民声新聞より。 来る9月7日は、岩谷堂公民館で婦人学級「意思の弱い子を如何して強くするか」についての講演会を行う。 講師は以下の通り。 江刺保険所長 岩谷堂幼稚園教諭 岩谷堂小学校教諭 江刺第一中学校教諭 岩谷堂高校教諭 ・・・というか、そんな方法があるなら自分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1963 遠野高校農業科校舎が落成(S38.9.5岩手東海新聞) 遠野高校農業科の校舎が落成した。 遠野農業高校(現:遠野緑峰高校)として独立するのは翌昭和39年のこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1963 いろいろと使い道の多い釜石小学校旧校舎(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石小学校は、昭和37年度に新しい校舎に移ったが、その後も釜石一中から独立した大平中学校の新校舎が完成するまで仮校舎として入居したり、県の合同庁舎新築に際して仮庁舎として使用されたりと言う経緯があった。 さぁこれから特別教室兼屋内体育館として旧校舎の跡地に建設… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 6日 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
m県外・参考 3月 29日 1963 国立高専は入学取消が続出 昭和38年3月29日の岩手日報より。 昭和36年から「高等専門学校」という制度が始まり、この時点で全国に24校の国立高専が開校していた。 これは技術者不足の解消を目的として全国に開校したもので、各都市で誘致合戦が繰り広げられていた。 ちなみに一関高専は昭和39年の開校なので、この時点ではまだなく、最… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 26日 1963 岩谷堂農業高校の校章は福岡県の高校教諭のデザイン(S38.2.26岩手民声新聞) 江刺市の岩谷堂農業高校の校章は、福岡県飯塚市の高校教諭のデザインであったという。 そのほか色々なニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 2日 1962 大槌中学校でサンマの缶詰実習(S37.11.2河北新報岩手版) 大槌中学校は産業教育が盛んだったようで、フォークリフトの運転やら何やらやっていたようだが、その一環としてサンマの缶詰実習と。… 続きを読む