a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 7日 1938 JOQGラジオ盛岡放送局が開局 昭和13年8月7日、NHK盛岡放送局が開局した。 ただし当時は「NHK」という呼び方は一般的ではなく、JOQGというコールサインが一般的だったようである。 午前6時、「8月7日の朝が爽やかに明けました。皆さんおはようございます」のアナウンサーの第一声で放送が始まった。 午前10時からはスタジオで職員… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 6日 1938 「暁の超特急」吉岡隆徳が盛岡で講習会 昭和13年8月7日の岩手日報より。 「暁の超特急」として短距離競技でベルリンオリンピックにも出場した吉岡隆徳が8月6日に盛岡に来て、岩手県体育協会主催で盛岡高等女学校を会場に4日間にわたって講習会を行うという。 冒頭、吉岡は「百見は一聞に如かず、私の申し上げること、やることをただ聞いたり見たりして帰… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 3月 7日 1938 花巻中学の卒業生の上級学校志願状況 昭和13年3月7日の岩手日報より。 この年、花巻中学(現:花巻北高)を卒業したのは34名。 このうち上級学校志願者は18名で、学校別には以下の状況であったという。 岩手医学専門学校 2名 秋田鉱山専門学校 1名 横浜高等工業学校 1名 陸軍士官学校 1名 神宮皇學館 1名 早稲田大学 1名 二高 1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 10日 1937 北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文 昭和12年6月10日の岩手日報より。 当時、県知事は官選であり、内務省の官僚であったから、数年で別の任地に転出するのが普通であった。 現在でいう県警察本部長のようなものであると考えれば丁度いいだろう。 そのような中でも、第18代石黒英彦知事は、昭和6年12月18日に奈良県知事から転任し、以降昭和12… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 27日 1937 第32回目の海軍記念日 岩手では(昭和12年5月27日) 5月27日の海軍記念日は、日露の戦役で日本海海戦に勝利したことを記念して制定された。 第32回の記念日となる昭和12年のこの日は、岩手県内で以下のことが行われた。 盛岡市内各小学校でZ旗の掲揚。 Z旗は前日に盛岡海軍部・岩手艦橋会から寄贈されたもの。 岩手県公会堂では講演会と映画会。 講演講師は盛岡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 19日 1937 海軍記念日には盛岡市内各小学校でZ旗を掲揚します(S12.5.19岩手日報) 5月27日は海軍記念日。 それで、盛岡市内各小学校ではその日に海軍のZ旗を掲揚するという手筈になっていた。 ちなみに、なぜ「Z旗」なのかというと、Zはアルファベットの一番最後で「この戦いに敗れたら後はない」という意味合いなのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1937 岩手公園で岩手医専の運動会(S12.5.18岩手日報) 岩手公園で岩手医専(現:岩手医科大学)の運動会が行われたという。 中等校リレーというのは、これは岩手中学のことだろうか。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 5月 18日 1937 帝大の怪腕投手緑川伝作が福岡中学に英語教師として赴任(S12.5.18岩手日報) 東京帝大の怪腕投手として知られた緑川伝作が、福岡中学に英語教師として赴任し、野球部の副部長になったという。 ちなみに緑川は福島・安積中学から山形高校を経て帝大に入学した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 16日 1937 盛岡農学校の寄宿舎で火災 原因は生徒のタバコ 5月15日朝8:05頃の朝礼中、紫波郡見前村の盛岡農学校の寄宿舎で火を噴いているのを教頭が発見した。 直ちに教員・生徒総動員で消火に努め、9時ごろ鎮火した。 寄宿舎の隣には15,000円相当の蚕種があったが、それは無事であったという。 原因は寄宿舎にが行っている二戸郡出身の生徒の煙草の不始末で、朝に… 続きを読む
g北上・和賀郡 8月 21日 1936 黒沢尻病院で優等生の少女が発狂(S11.8.21岩手日報) 和賀郡横川目村の小学校高等科2年の優等生の少女が頭痛で黒沢尻の病院に行ったら大声をあげて発狂したと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1936 紫波郡古舘女子青年学校で農業労働(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 紫波郡の古舘女子青年学校では、果樹園で施肥や薬剤散布の作業をおこなった… という写真記事。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 6日 1935 厨川小学校でひな祭り(昭和10年4月6日) 昭和10年4月6日の岩手日報より。 厨川小学校でひな祭りをやったというが、4月!? 岩手では旧暦でやっていたのだろうか。 … 続きを読む
m県外・参考 9月 1日 1934 東北高等予備校は二高や仙台高工に多数の合格者輩出!(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 岩手日報にも仙台の東北高等予備校の広告が出されている。 二高や仙台高工に265名の合格者を出したという。 これは後年の河合塾文理のこと? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 夏休みが終わり帰省中の生徒が次々と次々と盛岡に戻ってくる(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 学校では夏休みが終わり、帰省していた生徒が次々と盛岡駅に戻ってきた。 この当時、夏休みは関東以南同様、8月31日まであったらしい。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11月 2日 1933 宮古水産学校の同窓会「二八会」も遠洋漁業の発展に助力(S8.11.2岩手日報) この時期の遠洋漁業の発展に、県内唯一の水産学校であった宮古水産学校の同窓会「二八会」も助力することを誓う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1933 岩手医専教授が胃腸病治療に「リンゴ食療法」提唱(S8.11.1岩手日報) 東北医学大会で、岩手医学専門学校の教授が「リンゴ食療法」について発表した。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1933 釜石実科高等女学校は孵化場の跡に移転します! 昭和8年3月2日に発行された、3月3日付岩手日報夕刊より。 当時、釜石町立であった実科高等女学校はこの昭和8年度に工費15,000円で新築することが釜石町議会で決定した。 新築場所は孵化場の跡になり、新校舎は2階建て4教室になるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1933 岩手県警察部の巡査採用試験の問題(昭和8年3月1日) 岩手県の巡査採用試験は昭和8年3月1日午前9時から岩手県公会堂で行われた。 出願者250名に対し受験者は128名で、採用は15~16名の予定であるという。 そして、以下のような問題が出題されたという。 地理 イ、租借地 ロ、委任統治地の説明 ハ、奥羽地方にある県名を列挙しその県内の智明を列挙せよ 綴… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2月 1日 1933 一関小学校の児童宅で最も多い楽器は三味線とハーモニカ(S8.2.1岩手日報) 一関小学校の児童の家庭で最も多い楽器を調べたら、三味線とハーモニカであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1932 中等学校競技大会(S7.11.1岩手日報) この前日、中等学校競技大会が開催されたようで、陸上競技で優勝した青森師範、柔道で優勝した横手中学、弓道で優勝した盛岡中学の写真が掲載されている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 29日 1932 遠野中学に廃止説!?(昭和7年10月29日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 明治34年(1901年)に開校した遠野中学校は、開校から30年にして財政難から廃校すると言う噂が立った。 それで、遠野町の複数の町議が町役場に集まって協議した結果「阻止運動を本格化させる前に成り行きを静観しよう」と言うことになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1932 暖冬で高松の池も氷が張らず(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、スケートやホッケーといえば高松の池であったが、暖冬で氷が張らずインカレもできない状態だった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1931 小学校落成2題(S6.9.3岩手日報) 滝沢村の篠木小学校と、胆沢郡相去村の相去小学校の校舎が相次いで落成したというニュース。 その脇では「日伊のファシスト学生が交歓」と。 ファシストね・・・… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1930 盛岡市内の各中等学校の志願者減る(S5.3.2岩手日報) 盛岡中学校(現:盛岡一高)など盛岡市内の各中等学校では、志願者減となっていたようだ。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 5日 1929 「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。 そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。 原始共産主義的な形態の村。 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 2日 1929 一関中学の野外教練で卒倒者続出(昭和4年9月2日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 一関中学校(現:一関一高)では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 ところが、この時期、後者の第1期工事が終了したものの、内部が全く完成していなかったので、毎日2時間の野外教練を行うことになった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1928 ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) 家畜病理学の研究のためにドイツに留学していた盛岡高等農林学校の教授が、3年間の留学期間を終えて盛岡に帰って来たというニュース。… 続きを読む