e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 22日 1981 台風15号で寸断された国道107号線荷沢峠は4か月もマヒしたまま 昭和56年12月22日の読売新聞岩手版では、その年の8月23日に来襲した台風15号による国道107号線の被害が、4か月たっても復旧していないことを報じている。 気象庁ホームページ「台風経路図 昭和56年(1981年)」より 昭和50年代に小学生であったこのブログの管理人は「わたしたちの岩手」という社… 続きを読む
備考※1 1月 27日 1978 【参考】伊豆大島近海地震(S53.1.27中日ニュース) かなり甚大な被害だったようだ。 https://youtu.be/hcZr6H_Fqq8?si=tTEDO9tSuUU1MaoB… 続きを読む
l全県 1月 16日 1972 台湾坊主と低気圧で県内に甚大な被害(S47.1.16) 47年1月13日に台湾坊主と呼ばれる気象現象(南岸低気圧)が三陸沿岸を襲い、その後1月16日には三陸沖に発生した低気圧によって豪雨と大雪がもたらされ、堤防が決壊し、養殖施設も壊滅的な被害を受けました。送電線や道路が寸断され、林業にも甚大な損害が発生し、被害総額は49億円に上りました。特に気仙沿岸では… 続きを読む
事故 8月 18日 1968 【参考】飛騨川バス転落事故(昭和43年8月18日) 昭和43年8月18日、岐阜県で飛騨川バス転落事故が発生。 集中豪雨によるがけ崩れによるもので、世界最大のバス事故となった。 https://www.youtube.com/watch?v=MqW9pTSwG-Q ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 6日 1967 昭和42年の久慈市5大ニュース(昭和42年12月6日) 昭和42年12月9日のデーリー東北より。 久慈市は、市勢ニュースを公募していたが、応募総数が142通あり、12月6日の久慈市広報委員会で以下の通りに決まった。 2年連続豪雨災害 川崎製鉄久慈工場閉鎖 岩手国体の柔道会場に決定 久慈中学校や久慈高校の野球部が善戦 久慈市役所の機構改正 &… 続きを読む
b二戸・二戸郡 12月 5日 1967 一戸や軽米でスリップ事故続出(昭和42年12月5日) 昭和42年12月6日のデーリー東北より。 12月5日の明け方、午前4時から9時半にかけて、一戸町の小繋から中山の間の4キロの間で、国道4号線で路面凍結によるスリップ事故が連続で6件も発生した。 死亡者も1名出ると言う惨事であった。 また、軽米町でもスリップ事故が発生して、3人が怪我をしたと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 3日 1964 大雨の影響で釜石市内に大被害(昭和39年6月3日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 日本海に、982ミリバールにまで発達した猛烈な低気圧の影響で、釜石市内にも大洪水が発生した。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 18日 1963 一ノ関駅に雨量警報機を新設(昭和38年9月18日) 昭和38年9月18日の岩手報知より。 国鉄一ノ関管理所では、台風シーズンに備え一ノ関駅に自動雨量警報機を設置したと言う。 これは、ある一定の雨量に達すると警報が鳴り出して、付近を走る列車は時速25キロ以下で検索して危険を防止しようと言うものである。 … 続きを読む
備考※1 2月 1日 1963 【参考】北陸で三八豪雪 中日ニュースより。 福井・石川・富山で記録的な豪雪で交通はマヒ状態。 https://www.youtube.com/watch?v=41H98pASWnU… 続きを読む
備考※1 9月 16日 1961 【参考】第二室戸台風 中日ニュースより。 第二室戸台風で関西を中心に大被害。 https://www.youtube.com/watch?v=syM9dAdNNfo… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 1日 1960 チリ地震津波後初めての防災の日(S35.9.1岩手東海新聞) この年の5月24日、チリ地震津波が襲来。 関東大震災から37年目の「防災の日」は、津波被害を改めて考える年となった。 それで、釜石市などの防災担当者に、津波対策を聞いている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 29日 1959 伊勢湾台風に乗って熱帯の鳥が盛岡に?(昭和34年9月29日) 昭和34年9月29日の岩手日報より。 岩手県内にも被害をもたらした伊勢湾台風であるが・・・ 盛岡市穀町(現在の南大通)の飲み屋の店長が、台風一過の店先で見慣れない鳥が弱っているのを発見した。 鳩より少し大きいようだが・・・? それで、鳥類の権威者である岩大農学部の助教授に鑑定を依頼する… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 29日 1959 伊勢湾台風なのに中体連の大会を強行 昭和34年9月29日の岩手日報より。 伊勢湾台風は岩手県内にも被害を及ぼした。 ところが、そのような中、盛岡市中体連は県営グランドで大会を中止しなかったのだという。 26日当日、盛岡市内は朝から風が強く激しい雨だった。 選手たちは待機中は傘を差していたとはいえ、寒さに震えながら、ずぶ濡れで競技をして… 続きを読む
l全県 9月 28日 1959 伊勢湾台風が岩手県に及ぼした影響 昭和34年9月、伊勢湾台風は名古屋を中心に甚大な影響を及ぼした。 https://www.youtube.com/watch?v=rcrtlhSHY7I 実は岩手県にもかなりの影響を及ぼしている。 その影響のほどを、昭和34年9月28日の岩手日報から抜き出してみたい。 気象記録としては、釜石で総降水… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 24日 1958 一関で台風11号の被害甚大(昭和33年7月24日) 昭和33年7月24日の岩手報知より。 この年の台風11号は、7月22日〜23日にかけて、一関にも多大な被害を及ぼしたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 18日 1958 水ききんで電力危機(S33.7.18岩手報知) 昭和33年の夏は日照り続きで、各河川も水不足となり、水力発電に頼っていた東北電力も電力不足の危機となっていた。 この当時は、そのような時に中部電力から電気を融通してもらうようになっていたようだ。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 7日 1957 久慈湾で粘土輸送の機帆船がしけで真っ二つ(昭和32年10月7日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 10月7日の明け方3時頃、久慈湾で粘土輸送の機帆船・一洋丸が(99トン)しけにたたき付けられ真っ二つになってしまったという。 この時、波高は4メートルにもなっていたという。 損害は1千万円とも推定された。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 7日 1957 江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 8月5日の豪雨で、金ヶ崎の国道の渋川橋が落下寸前となってしまい、自動車は(水沢ではなく)岩谷堂を経由するルートを取ることになった。 しかしこの岩谷堂ルートにしても時ならぬ自動車ラッシュで岩瀬橋が落下寸前となってしまい8月7日から4トン制限を敷くこととなった。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 2月 15日 1957 エンコして乗客に押される伊保内行きのの県北バス(昭和32年2月15日) 昭和32年2月15日の河北新報岩手版より。 県北地方は連日の吹雪で、山間部は積雪3尺余りとなり、幹線筋以外のバスが運休が相次ぐこととなった。 福岡〜伊保内のバスはかろうじて運行していたが、一旦バスがエンコしようものなら、後から来るトラックなどが次々と通行止めになるわけで、車掌や乗客がバスの後ろを押し… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 29日 1957 釜石で人骨12体!?(昭和32年1月29日) 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月29日、釜石市平田で開田工事をしていると、地下2~3尺(60~90cm)の所から人骨が12体出てきたのだという。 おそらくは、昭和8年3月3日の三陸大津波の犠牲者ではないかと推定された。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 2月 5日 1956 和賀地方では近年にない豪雪でバスが走れず馬ソリ出動(昭和31年2月5日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 それでなくとも湯田村や沢内村といった和賀郡西部は岩手県内で最も積雪のある地方であった。 ところがこの冬は、それに輪をかけた豪雪となり、湯田村川尻では5日現在で230cmと数十年ぶりの記録的な豪雪であったという。 これでは車は走れず、郵便配達人や警察官はスキー… 続きを読む
l全県 9月 18日 1954 台風14号にサンマ漁船は戦々恐々(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 太平洋の沖合にある台風14号が東日本にも接近しそうだと言うことで、サンマ漁船は戦々恐々としていた。 ちなみに、この次の台風15号は「洞爺丸台風」となる。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 15日 1954 水害記念日を迎える一関(S29.9.15岩手日報) 一関では昭和22年9月15日にキャサリン台風が、翌昭和23年9月16日にはアイオン台風が襲来した。 その慰霊祭が磐井川で挙行されようとしていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1954 時ならぬ突風で知事公邸の板塀も倒れる 昭和29年4月20日の岩手日報より。 19日は県内に突風が吹き荒れ、歩くのにも難儀した状態であったという。 知事公邸では板塀が倒れるほどの状態となった。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 3日 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 7日 1952 全国的に珍しい田老町の防波堤(S27.9.7岩手日報) 囲み記事で、田老町についての紹介がなされている。 この当時はまだ田老町は田老鉱山が操業していた鉱山町であり、また津波避けの防波堤は全国的に珍しかった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 7日 1952 富士鉄釜石製鉄所が十勝沖地震のお見舞いお礼 昭和27年3月7日の河北新報より。 十勝沖地震は3月4日発生。 釜石製鉄所ほどの大規模な事業所になると仙台方面の付き合いも多かったのだろう。 それで河北新報にも広告となったようである。 富士製鐵は昭和25年の財閥解体で、それまでの日本製鐵が富士製鐵と八幡製鉄に分割されて発足。 昭和45年には再び八幡… 続きを読む