l全県 30 4月 1987 円高で県内企業倒産続出(S62.4.30) 昭和60年のG5会議でのドル高是正への協調介入を契機に円高が進行し、日本国内で輸出関連企業を中心に倒産や合理化が相次ぎ、雇用不安が深刻化しました。岩手県でも以下の事例が報告されています。 ・新日鉄釜石:第1高炉の休止を含む大規模合理化を実施し、余剰人員約1,100人が発生。 ・岩手アイワ:オーディオ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12 2月 1981 新興製作所が希望退職案を提示(S56.2.12) 谷村新興の合理化紛争は昭和55年10月22日から始まり、昭和56年2月12日に会社側が最後の手段として希望退職案を提示し、労使交渉が決着を見ました。この案は組合側に受け入れられ、紛争は収束しました。希望退職案は二次に分けて実施され、結果として約350人が希望退職を申請し、経営再建に向けて新たな一歩を… 続きを読む
備考※3a-2 3 2月 1978 【参考】岐阜の農村への出稼ぎ(S53.2.3中日ニュース) 寒天で知られる岐阜県山岡町に新潟から大挙して出稼ぎ。 https://youtu.be/paUvZX5UaUM… 続きを読む
l全県 1 6月 1976 「岩手県交通」発足するも前途多難(S51.6.1) 昭和51年6月1日、岩手県内のバス会社である岩手中央バス、県南バス、花巻バスの3社が合併し、新会社「岩手県交通株式会社」が発足した。この合併は、マイカー普及や過疎化による経営悪化を受け、路線の合理化や安定経営を目指したものだった。新会社の資本金は約1億6,488万円で、従業員は2,704人、バス台数… 続きを読む
備考※1 17 1月 1975 【参考】不況で日用品の再生屋が大繁盛 この当時はオイルショックを引きずった不況だったようで、日用品の再生屋が大繁盛。 https://youtu.be/N0WDfLPdaW4?si=d8bFBuIk9w1KLWNF… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 10月 1969 松尾鉱山に会社更生法適用(S44.10.11) 松尾鉱業株式会社(岩手県松尾村)は経営悪化により、東京地裁に会社更生法の適用を申請しました。同社は安価な回収硫黄の台頭や石油副産物の影響で経営が困難となり、多額の負債を抱えていました。再建計画は技術改革と資金調達を柱としており、新しい精練方式の採用を目指しましたが、人員整理や設備投資に必要な資金が不… 続きを読む
b二戸・二戸郡 30 11月 1967 福岡町(二戸)から北海道の虻田に出稼ぎに行っていた女性が帰郷(昭和42年11月30日) 昭和42年12月2日のデーリー東北より。 かつて、東北の農村から多数の労働力が出稼ぎに行っていたが、それは男性が首都圏に出稼ぎに行っていたとは限らない。 それは男性が首都圏に出稼ぎに行っていたとは限らない。 女性が北海道や静岡などの農村に出稼ぎに行くと言う例もあったのである。 今回はそのような例で、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 11月 1967 ブラザーミシンが釜石に沿岸サービスセンターをオープン(昭和42年11月4日) 昭和42年11月4日の岩手東海新聞より。 ブラザーは、釜石に「沿岸サービスセンター」をオープンするという。 場所は、釜石駅から大渡橋を渡ってすぐのところだった模様。 ところで橋上市場は「橋上マーケット」と呼んでおり、幹部社員は男子しか募集していなかった時代。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10 1月 1967 釜石でもダンプの神風運転が問題に(昭和42年1月10日) 昭和42年1月10日の岩手東海新聞より。 全国的に神風運転による交通事故が問題になっていたが、釜石でも例外ではなかった。 しかし、それは労務管理に問題があると、その点からの対策を講じることになった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 1月 1967 NHK釜石放送局「集金員募集します!」(昭和42年1月9日) 昭和42年1月9日の岩手東海新聞より。 NHK釜石放送局では、集金員を募集していた。 今で言えば「地域スタッフ」であるが、「NHKをぶっ壊す!」みたいな政党が全くなかった当時、集金員は危険の無い仕事だったのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 7月 1966 釜石製鉄所にボーナスが出て小川体育館でも臨時デパート(S41.7.5岩手東海新聞) 釜石製鉄所にボーナスが出て、小川体育館に臨時でパートができたという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1966 大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 5月 1966 釜石でも分裂メーデー(昭和41年5月1日) 昭和41年5月2日の岩手東海新聞より。 この年の釜石のメーデーは、釜石地区労と同盟系の分裂メーデーとなったようだ。 ただ、どちらも盛況だったようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 4月 1966 春の異動期で釜石駅は大混雑(昭和41年4月9日) 昭和41年4月9日の岩手東海新聞より。 春の異動シーズンで,釜石駅のホームは大賑わいとなっていた。 ホームのいたるところで「お世話になりました」「お元気で」と言う風景が見られた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 4月 1966 釜石・大町の純喫茶「車門」でアルバイト募集(昭和41年4月7日) 昭和41年4月7日の岩手東海新聞より。 広告欄では釜石市大町の純喫茶「車門」で従業員を募集している。 この記事を書いている令和4年現在でも、盛岡市肴町に「車門」があるが、経営上の関係があるのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1966 釜石でホステス募集(S41.3.2岩手東海新聞) 釜石市内の飲み屋でホステスやボーイを募集している広告。 指名料はともかくとして「本番料払戻し」is何・・・?… 続きを読む
l全県 22 10月 1965 農閑期を利用して神奈川県に出稼ぎしましょう!(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 岩手県内の複数の職業安定所で、神奈川県内の複数の事業所による求人広告を出していた。… 続きを読む
l全県 18 10月 1965 リッカーの家電事業進出による大量募集!(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 リッカーミシンが家電事業に進出することにより、社員をしんきぼしゅうすることになった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 釜石製鉄所で異動のあった3課長はみな東大卒(S40.7.1岩手東海新聞) 釜石製鉄所で人事異動があり、秘書課長兼人事課長(39歳)、整員課長(37歳)、労働課長心得(35歳)はみな東大卒だった。 そして顔写真入りで紹介された時代。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 4月 1965 盛岡で中卒少女28人が見習い看護婦として集団就職(S40.4.3岩手日報) 盛岡の個人病院で、見習い看護婦として28人の中卒少女が集団就職というニュース。… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 22 12月 1964 大船渡で新聞少年にソバを振る舞う 昭和39年12月22日の岩手日報より。 大船渡料理飲食店組合長を務めるその店主は、50人の新聞少年に中華ソバをふるまったという。 見出しには「ソバで元気つけて 新聞配達少年励ます」となっているが、実際は中華そばつまりラーメンだったということになる。 当時は「ラーメン」なんて言い方はしなかったのだろう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 9月 1964 釜石から東海製鉄に2300人が転出(s39.9.5岩手東海新聞) この時期、釜石から東海製鉄への転出が相次いでいた。 この時は2300人だったという。 これが釜石の「終わりの始まり」。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 6月 1964 釜石で技能オリンピック(昭和39年6月25日) 昭和39年6月25日の岩手東海新聞より。 釜石職業訓練協会では「技能オリンピック」を開催するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 6月 1964 夏漁に備えて魚箱や巻網の準備(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 夏漁に備えて、魚箱や巻き網の準備に余念がなかった。 魚箱作りは、主婦の内職であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 6月 1964 ブラザーミシン釜石営業所では社員募集中(昭和39年6月2日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 広告欄では、ブラザーミシン釜石営業所が社員募集の広告を出している。 学歴が「旧制中学卒以上」と言う時代でもあったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1964 釜石駅から「蛍の光」で東海製鉄へ33人が転出(S39.2.7岩手東海新聞) この年の2月1日、釜石から最初の東海製鉄への転出車が送られたが、今度は第2陣の33名が転出。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 釜石職安「遠野の皆さん!釜石に来て働いて下さい!」(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所では、労働力不足に頭を悩ませていた。 そこで、農村地帯である遠野の労働力に釜石に来てもらおう、というキャンペーンを張ることになった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 東海製鉄の社長が釜石を訪問(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 愛知県の東海製鉄では、その操業開始に当たって釜石製鉄所の労働者も7〜800人欲していた。 そこで、社長自らが釜石まで来たのである。 希望者は1000人程度いたが、800人弱まで絞ったのだという。 … 続きを読む