労働

盛岡のニコヨン(日雇い)慰安大会 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡のニコヨン(日雇い)慰安大会

昭和29年4月28日の読売新聞岩手版より。 盛岡市内の日雇い労働者とその家族を慰安するために、盛岡公共職業安定所では、岩手県公会堂で「日雇労働者家族慰安大会」を開催した。 約600名の日雇労働者やその家族が、舞台で「素人のど自慢」「アベック二つの歌」「舞踊劇」などを行った。 のど自慢の優勝者には賞品…
水沢で選管事務局長が過労死(昭和29年4月14日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢で選管事務局長が過労死(昭和29年4月14日)

昭和29年4月15日の岩手日報より。 水沢市長選挙と水沢市教育委員選挙の公示日である4月14日朝6時過ぎ、その水沢市の選挙管理委員会事務局長(51歳)が自転車で通勤途中に突然心臓麻痺で死亡したのだという。 事務局長は前夜11時まで作業を行い、その日も朝3時から各支所あての事務作業を行っていたという。…
浪打村の鳥越を竹細工の一大名産地にしよう(昭和27年9月15日) b二戸・二戸郡

浪打村の鳥越を竹細工の一大名産地にしよう(昭和27年9月15日)

昭和27年9月15日の岩手日報より。 令和4年現在は一戸町となっている二戸郡浪打村鳥越地区では、竹細工が伝統的に行われており、それがにわかに中央で脚光を浴びだしたのだという。 そこで、工業技術院から講師を呼んで、それまでの武骨な実用本位のものから高級工芸品として売り出すようにしよう、ともくろんでいた…
「婦人の職場を明るくしましょう」と叫んでいる県庁のお膝元にブラック企業(昭和26年6月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

「婦人の職場を明るくしましょう」と叫んでいる県庁のお膝元にブラック企業(昭和26年6月16日)

昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 この時期、県では「婦人の生活を明るくしましょう」と女性の働く職場の労働環境の向上を各職場に呼びかけていた。 そんな最中に、極めつけのブラック企業が県庁の中にあったのである。 それは県職員生活協同組合。 組合長以下7人の職員がいて、うち5人は女性。 その5人…
釜石製鉄所の社宅が松倉に2棟増えます!(昭和34年5月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石製鉄所の社宅が松倉に2棟増えます!(昭和34年5月22日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の会社側と労働組合は、厚生委員会を開いて社宅入居規則などについて話し合った。 昭和34年度に実施される予定なのは以下の通り。 松倉に5号アパート 2棟 水道設備増強 1式 ガス配管 674戸 上中島の水道専用栓 803戸 小川に寮を新設  …
政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日) l全県

政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日)

昭和23年5月18日の岩手新報より。 政府では「事務標準化」「生活安定」と目標として人員整理をすることとなった。 岩手県職員の定員は3,706名であったところ、このような定員整理を見越して、退職者を補充しない自然淘汰の形をとっており、この時点で3,065名になっており、特に人員整理を行わない方針であ…
上閉伊郡栗橋村では割当量の234%の松根油生産!(昭和20年7月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

上閉伊郡栗橋村では割当量の234%の松根油生産!(昭和20年7月12日)

昭和20年7月12日の岩手日報より。 4~6月の第1期の松根油生産において、県下で最も優秀な成績をあげたのは上閉伊郡栗橋村で、割当量の実に23割4分の生産を達成したという。 これは、責任者が滅敵の闘魂を燃やして2里(8km)の道を、未明から夜の8時まで何があっても帰宅せずに奮闘したからであるという。…
二戸郡福岡では松根油生産死守に「七人の侍」(昭和20年7月12日) b二戸・二戸郡

二戸郡福岡では松根油生産死守に「七人の侍」(昭和20年7月12日)

昭和20年7月12日の岩手日報より。 石油の採れない日本では、「ガソリンの一滴は血の一滴」で、木炭ガスで自動車を動かし、松根油で飛行機を飛ばそうとしていた。 この状況であるにもかかわらず、二戸郡福岡町の松根油生産状況は芳しくない状況であった。 そこで、福岡町農業会長は二戸国民動員署にこの実情を訴え、…
釜石港ではイワシが豊漁(昭和15年1月19日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港ではイワシが豊漁(昭和15年1月19日)

昭和15年1月19日の岩手日報より。 釜石港では近年にないイワシの豊漁であり、須賀埋立地派イワシの山でトラックが轢きつぶすような状況であったという。 ちなみに記事中では一貫してイワシは「鰮」と表記している。 魚油は35,000缶と前年の9,500缶に比べて4倍近くなり、肥料に使う〆粕も前年の5割増し…
県庁職員がトップを切り盛岡高等工業学校の校地整備奉仕作業 a盛岡・岩手郡・紫波郡

県庁職員がトップを切り盛岡高等工業学校の校地整備奉仕作業

昭和14年7月20日の岩手日報より。 この年、戦時中の技術力確保を目的として全国に7校の高等工業学校が開校した。 (室蘭、盛岡、多賀、大阪、新居浜、宇部、久留米) そのうちの1校である盛岡高等工業学校は最初は盛岡夜間中学校(現:杜陵高校)の敷地に仮開校した。 本校舎を上田(現在の岩手大学工学部)に設…
覆面座談会:盛岡市内の女中の労働環境について(昭和13年8月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

覆面座談会:盛岡市内の女中の労働環境について(昭和13年8月12日)

昭和13年8月12日の岩手日報より。 盛岡市内の金持ちの家では女中を欲しがっているが、盛岡職業紹介所では女中の応募がまるでない。 これは職業紹介所の無能ではないか??? 職業紹介所長いわく、「そんなのは逆恨みだ。むしろ雇用してる方が待遇が悪いのを反省しろ!」 データとしては以下の通り。(昭和12年7…
明治神宮で賽銭泥という不敬を働いた男の親は・・・ e釜石・遠野・上閉伊郡

明治神宮で賽銭泥という不敬を働いた男の親は・・・

明治神宮は明治天皇を祭る畏き神域。 その明治神宮で賽銭泥棒という大それた不敬をしでかした30歳の男は、岩手県のどこだかの街の出身だった。 郷里に住むその男の父親だけでなく、その町の町長までが東京に出て明治神宮でお詫び行脚である。 明治神宮の神域で不敬を働くということは、それほどの大それたことであった…
炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日) i一関・西磐井郡

炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日)

昭和10年3月3日の岩手日報より。 3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。 曰く「私をどこかに世話してください」と。 この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。 しかし、昭…
盛岡には失業者が300人以上(昭和4年9月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡には失業者が300人以上(昭和4年9月6日)

昭和4年9月6日の岩手日報より。 盛岡市職業紹介所における、8月中の求職状況は、男68名、女17名の85名の求職に対し、就職したのは男30名、女11名の41名に過ぎなかったと言う。 男は珍しく店員や行員の就職が多く、女は大抵が女中であった。 これでも、1月から求職をしていながら、いまだに職業がないも…