労働

釜石職業安定所には失業保険受給者の群れ(昭和36年3月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石職業安定所には失業保険受給者の群れ(昭和36年3月1日)

昭和36年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所には、求人申し込みが殺到していたが、失業保険のほうも相変わらず受給者が多かった。 支給日である毎週水曜日は、待合室から道路まで失業者の群れがひしめいていた。 冬になると、操業休止する事業所が多く、そこから失業する労働者が出るのであった。 2月の場…
釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日)

昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石労働基準監督署が、事業者向けにお知らせを出している。 労災保険料納入について 労災保険概算保険料報告書提出方履行について 足場関係安全放棄k説明会の開催について 林業労働者に対する保護帽の着用について 他人を一人でも使用している方に注意!!…
釜石職安ではオート三輪を広報車にして人集め(昭和34年8月21日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石職安ではオート三輪を広報車にして人集め(昭和34年8月21日)

昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 水産業界は漁期が来て、釜石製鉄所も好景気ということで釜石公共職業安定所には求人票が殺到、オート三輪を広報車にして人集めに駆り出されることになった。 求人票は600〜700名分あり、内訳は以下の通りであったという。 釜石製鉄所作業員 70名 海陸運送 男子 1…
集団就職の第4陣が一ノ関駅を出発(昭和34年3月30日) i一関・西磐井郡

集団就職の第4陣が一ノ関駅を出発(昭和34年3月30日)

昭和34年3月31日の岩手報知より。 中学校を卒業して集団就職する若者の第4陣が、3月30日19時51分、臨時列車で一ノ関駅を出発した。 人数としては、一関職安管内で230名余り、水沢・千厩職安管内も合わせると600名余りとなったという。 これに先立って、14時から就職者を一関小学校の講堂に集め、菅…
県教育会館で中卒就職者の激励会(昭和34年3月24日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県教育会館で中卒就職者の激励会(昭和34年3月24日)

昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 この年に中学校を卒業して社会に出る就職者の為に、3月24日13時から県教育会館で「就職者激励会」が行われた。 就職者700名、県職安課長、山本盛岡市長など来賓が多数列席した。 山本盛岡市長からは「立派な社会人になるよう修行してもらいたい」という激励のあいさ…
昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月…
久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) c久慈・九戸郡

久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日)

昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ…
小春日和にビルの屋上でBGが日向ぼっこ(昭和30年11月26日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

小春日和にビルの屋上でBGが日向ぼっこ(昭和30年11月26日)

昭和30年11月26日の岩手日報より。 師走もあと5日という時に大陸から張り出した高気圧で連日の陽気で小春日和となり、盛岡市内のBGも屋上で日向ぼっこである。 ところで、岩手山と県公会堂が見えるこの場所はどこだろう? なんとなく現在の盛岡東警察署のあたりのようにも思えるが・・・   ちなみ…
見出しもあろうに「あき盲の書類配達」(昭和30年11月9日) h水沢・江刺・胆沢郡

見出しもあろうに「あき盲の書類配達」(昭和30年11月9日)

昭和30年11月9日の岩手日報より。 「この道三十年」というシリーズものの記事で、この回では69歳の前沢町役場使丁にスポットを当てているのだが、見出しが「あき盲の書類配達」となっているのである。 ここでいう「あき盲」とは、非識字者であることを指しているようで、書類の配達が主な仕事であるにもかかわらず…
ブラジルから「岩手県人を」と指名で求人(昭和30年6月8日) c久慈・九戸郡

ブラジルから「岩手県人を」と指名で求人(昭和30年6月8日)

昭和30年6月8日のデーリー東北より。 久慈職業安定所に、6月8日、ブラジル行きの工業技術者皆が欲しいと求人依頼が舞い込んだ。 これは、岩手県出身で、この記事の現在ではリオデジャネイロでブラジル特産の宝石や貴金属製品を送り出している滞米40年の実業家によるものだった。 特に忍耐強い岩手県人を10名を…
岩手県出身者も無傷ではなかった近江絹糸争議(昭和29年7月14日) g北上・和賀郡

岩手県出身者も無傷ではなかった近江絹糸争議(昭和29年7月14日)

近江絹糸争議は、日本の労働運動史上でも有名な事件として今でも語り継がれている。 「近江」というくらいなので、中心は滋賀県であり、全国の事業所でも争議は発生していたが、岩手県に近江絹糸の事業所はなかった。 しかし、岩手県出身者も働いており、全く無関係と言うわけではなかった。 県人負傷 昭和29年7月1…