c久慈・九戸郡 11月 7日 1949 九戸郡の奥地にも電灯が(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 九戸郡山根村や山形村小国では、それまで電気が通っていなかったが、農林省から補助金が下りることが決まり、「無点灯部落」を脱することができるのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 7日 1949 炊事や採暖にはスズキ式ストーブを!(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 炊事にも使用できるという「スズキ式ストーブ」の広告が出ている。 燃料は「亜炭でも何でも完全燃焼します」とある。 亜炭は、石炭化度の低い、石炭としては質の低いものではあったが、製鉄用などとは違い、家庭用にはこの程度でも十分で重宝されたのだという。 &… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 6日 1949 釜石の艦砲射撃被害の大重油タンクが復活(昭和24年5月6日) 昭和24年5月6日の新岩手日報より。 釜石の大石油タンクは、艦砲射撃で損傷したままとなっていたが、このほど復活したのだという。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 28日 1946 花巻町の水道料値上げ 昭和21年8月28日の岩手新報(岩手日報とは別)の記事より。 稗貫郡花巻町では水道料金を値上げするという。 専用栓 1戸5人まで 5円→8円 1人増すごとに 15銭→35銭 支柱1戸 50銭→75銭 浴槽 50銭→75銭 牛馬1頭 50銭→75銭 共同栓 1戸5人まで 3円50銭→3円80銭 1人に… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 6日 1945 水沢では灯火管制の反則36件(昭和20年7月6日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 水沢警察署では、水沢町内の灯火管制の状況を点検したら、36件の反則があった。 電球に直接覆いを掛けているもの 片側だけ遮光しているもの 全く遮蔽をせずに雨戸だけ閉めているもの このために電球40個を押収した。 反則者は疎開者が多かったという。 言い訳としては「資… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 29日 1945 釜石憲兵分隊「灯火管制を守らなかったり、裏山に逃げ回ったり、何たる不心得!」(昭和20年6月29日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 6月29日夜、釜石に敵機の偵察があったのだという。 ところが、その時に灯火管制を守らず注意された家は20戸、始末書を取られたのが16戸あったという。 中には「暑い」と言って雨戸を開放して消灯しており、いざという時に思わず点灯してしまうという家もあったという。 そう… 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 東北配電より電灯用電球の配給に関するお知らせ(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 当時は電気事業は「東北配電」であった。 そして電球も配給制だったようである。 その旨のお知らせ。 … 続きを読む
l全県 11月 2日 1941 逓信省「12月1日~3月31日は電力の消費規制を行います!」(昭和16年11月2日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 この時期は日中戦争のさなかでもあり、また冬の渇水期間でもあり、逓信省は電力の消費規制を行うことにした。 期間は昭和16年12月1日~昭和17年3月31日。 これまでもこの種の規制は行っていたが、これを強化するものとなり、取付灯数20灯以上から、取付灯数10灯以上… 続きを読む
l全県 7月 1日 1939 警察「ガソリンの統制破りしやがって!配給は無しだ!」→製糸会社「春繭の集荷シーズンに御無体な…」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 岩手県内の県是製糸などがガソリン統制を破って16,000ガロンのガソリン密売事件をやらかした。 県是製糸側は「規制前に契約したものが規制後に到着しただけ。別に密売のつもりはなかった」と言うが、警察経済保安課は「同情する余地はない」と、ガソリン5,000ガロンの特配… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 4月 29日 1936 大船渡に大きな船が渡ってきた(昭和11年4月29日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 大船渡の港に、世界的に有数のタンカーであるノールウェイドラフン号が着岸した。 このドラフン号は、12,000トンであると言う。 そして、4500トンの重油を日石タンクにあげた。 この巨大の船の入稿に、気仙郡の郡民の見物客は500人から600人に及んだと言う。 子供… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 7日 1935 釜石町に大火が発生し22戸が全焼(昭和10年3月7日) 昭和10年3月8日の岩手日報より。 3月7日の午前1時過ぎ、釜石町大渡3丁目から発火、22戸全焼したと言う火災が発生した。 出火と同時に、町役場では吏員が非常召集し救護に出動した。 そして、焼け出された避難民に炊き出しを行い、20日分の食料と、罹災資金20円、被覆は1人につき5円、学用品は3円を配給… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1934 消火栓の通水試験の成功に盛岡市水道課員は大喜び(昭和9年9月3日) 昭和9年9月5日の岩手日報より。 盛岡市内の消火栓は、泥が溜まっているので、それを吐き出すための通水試験が盛岡市水道課員によって行われた。 まずは中の橋の盛岡銀行横で行われたが、結果は良好で一同大喜びであった。 … 続きを読む
j東磐井郡 2月 1日 1933 東磐井郡興田村で電灯引く引く詐欺(S8.2.1岩手日報) 電気が通っていなかった東磐井郡興田村で、「電灯を引く」を詐欺を働いた仙台の男が捕まったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1931 盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報) 盛岡市では水道を設置する計画を進めており、米内川にその水源地を求めていた。 盛岡市議会一行が上米内駅で降りて、米内川沿いに歩いてその調査を行なっていた。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 2日 1929 渇水に悩む県南の電力事業者は火力発電所設置計画(S4.9.2岩手日報) 当時の電力は水力発電所が主だったが、水がなければどうにもならない。 それで、当時の胆江・一関町営・気仙の各電力会社は、火力発電所を設置する計画をしていた。 … 続きを読む