釜石憲兵分隊「灯火管制を守らなかったり、裏山に逃げ回ったり、何たる不心得!」(昭和20年6月29日)

昭和20年7月2日の岩手日報より。

6月29日夜、釜石に敵機の偵察があったのだという。

ところが、その時に灯火管制を守らず注意された家は20戸、始末書を取られたのが16戸あったという。
中には「暑い」と言って雨戸を開放して消灯しており、いざという時に思わず点灯してしまうという家もあったという。

そうかと思えば、空襲警報を聞くや否や持てるだけの荷物を持って裏山に逃げる者もいたという。

中妻のある町内会では三十数戸が食料まで持って裏山に逃げ、町内会長が「もう帰ったら」と勧めても「野宿してもよい」と応じなかったのだろ云う。

記事の最後は「老幼その他事情あるものは別として最後まで踏みとどまって自家を守ることこそ忠誠勇武の構えだ」と結んでいる。

新聞とは、戦時体制を翼賛するプロパガンダであった。

 


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