高齢者

釜石の老人ホームで避難訓練(昭和40年11月30日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の老人ホームで避難訓練(昭和40年11月30日)

昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 年の瀬に向けて年縄作りに一生懸命取り掛かっていたところ、11月30日に釜石の老人ホーム「五葉寮」では火災避難訓練が行われた。 非常ベルが鳴り、スピーカーから「裏手で火事が発生したので正面玄関から避難してください」と呼びかけたら、52人の入寮者がお互いかばい合…
岩手にも国内最高齢者がいた(S36.1.1岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手にも国内最高齢者がいた(S36.1.1岩手東海新聞)

岩手県にも国内最高齢者はいた。 それが釜石市の中村重兵衛氏で、嘉永5年(1852年)生まれで、この年108歳であったという。 ちなみにこの時点では国内最高齢ではなく、国内最高齢であったのは昭和39年〜昭和44年のこと。 それでも男性としては国内最高齢であっただけに、長寿の秘訣などをインタビューされて…
釜石の長寿部落(昭和35年1月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の長寿部落(昭和35年1月1日)

昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この年、日本一の高齢者であったのは釜石市尾崎白浜に住む中村重兵衛氏であった。 この尾崎白浜と言う集落、釜石湾の南側にあり、釜石港から1日数回、巡航船が出ていると言う人口700人の集落であった。そのうち、75歳以上のお年寄りは23人もいると言う。 110世帯のほ…
北上市立養老院開院 g北上・和賀郡

北上市立養老院開院

昭和32年4月19日の読売新聞岩手版では、北上市常盤台に市立養老院がオープンしたことを報じている。 総費790万円で収容定員は60名という。 現在は民間に委託して、北上市鬼柳の「北星荘」となっている。    …
見出しもあろうに「あき盲の書類配達」(昭和30年11月9日) h水沢・江刺・胆沢郡

見出しもあろうに「あき盲の書類配達」(昭和30年11月9日)

昭和30年11月9日の岩手日報より。 「この道三十年」というシリーズものの記事で、この回では69歳の前沢町役場使丁にスポットを当てているのだが、見出しが「あき盲の書類配達」となっているのである。 ここでいう「あき盲」とは、非識字者であることを指しているようで、書類の配達が主な仕事であるにもかかわらず…
鈍馬くん「このほうが楽でがんすよ」(昭和29年3月30日) l全県

鈍馬くん「このほうが楽でがんすよ」(昭和29年3月30日)

昭和29年3月30日の岩手日報より。 この当時連載していた4コマ漫画「鈍馬くん」より。 主人公の鈍馬くんは親切心があるようで、重いものを持っている老婆の荷物を代わりに持とうとする。 老婆は「この方が楽でがんすよ」と盛岡弁で遠慮する。 しかし鈍馬くんは無理に持つ。 そうすると老婆は腰が曲がった状態で歩…
ある老母虐待に関する噂話(昭和29年1月6日) i一関・西磐井郡

ある老母虐待に関する噂話(昭和29年1月6日)

昭和29年1月6日の岩手日日より。 「世相の窓」と言うシリーズものの囲み記事なのだが、もはやこれはもう単なる町の噂ではないかと言う下世話なものが載っている。 あるところで、長男が老いた母を虐待死させてしまったのだと言う。 年老いて体が不自由になった老いた母に、満足な面倒を見ず、部屋に軟禁して食事すら…
昭和27年にもあった孤独死(S27.9.18岩手日報) h水沢・江刺・胆沢郡

昭和27年にもあった孤独死(S27.9.18岩手日報)

昭和27年にも孤独死はあるにはあった。 岩谷堂町(奥州市江刺)で、生活扶助(生活保護)を受給している身寄りのないお年寄りであったようだ。 ちなみに当時のプロ野球は近鉄パールス対大映スターズ。そちらも現存しない。 近鉄の投手は盛岡商業出身の沢藤光郎ではなく、黒尾重明と田中文雄(後の武智文雄)。…
何も「人生敗者」とまで書かなくても・・・(昭和27年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

何も「人生敗者」とまで書かなくても・・・(昭和27年9月4日)

  昭和27年9月4日の岩手日報より。 9月2日、盛岡地方裁判所で詐欺事件の裁判が開かれたが、その被告はなんと76歳。 沼宮内駅前の食堂で食い逃げをしたのである。 その犯罪申請を、かなり大きな扱いで書いているのだが、見出しの「人生敗者」を見るまでもなく、かなり惨めだったようである。 それに…