d宮古・下閉伊郡 19 9月 1948 アイオン台風の被害に遭った宮古に宮城県渡波港から救援米が届く(昭和23年9月19日) 昭和23年9月22日の岩手新報より。 アイオン台風の被害に遭った宮古に、宮城県渡波港から救援の米が届いた。… 続きを読む
j東磐井郡 18 9月 1948 あまりの財政難に東磐井地方事務所では借金してまで自費で出張(昭和23年9月18日) 昭和23年9月18日の岩手新報より。 岩手県の財政難は申告であった。 千厩の東磐井地方事務所では、予算の支給遅延で各課員がやむなく自腹で出張し、中には借金してまで行くものもいたという。 生産されるのは数ヶ月後で、生活に追われる課員の中には出張を忌避して行政に支障が生じる事態すら危惧され、対策が急がれ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1948 昭和23年の「ミス盛岡」は国立病院勤務の20歳 昭和23年9月16日の岩手新報より。 ミス盛岡に選ばれたのは、国立盛岡病院に勤務する佐藤京子さんという20歳の女性。 北平(北京)日本第二高等女学校から盛岡家政学園を経て、国立盛岡病院に勤務しているのだという。 準ミス以下他の女性がサザエさんヘアであるのに対し、佐藤さんはシンプルなデコ出しで、令和の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 9月 1948 釜石製鉄所の工員募集!(昭和23年9月16日) 昭和23年9月16日の岩手新報より。 釜石製鉄所では行員を募集している。 当時は財閥解体前なので「日本製鉄」。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1948 盛岡八幡宮の大祭の賑わい(昭和23年9月15日) 昭和23年9月16日の岩手新報より。 恒例の盛岡八幡宮の大祭が開催され、2日目の9月15日も8万人の人出でにぎわったという。 そして4台の山車が市内を練り歩き、八幡宮の近くの馬検場から自動車12台が思い思いの飾りで更新するという。 ちなみに自動車祭については以下のページ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1948 盛岡市内のダンスホールは盛況(昭和23年7月14日) 昭和23年7月14日の岩手新報より。 「この暑いのにダンスホールは満員・・・」と冒頭から記事は呆れてみせている。 この当時、エアコンなど無かったので屋内はさぞ暑かっただろうと思われる。 「上衣を脱いだダンデーと白野ワンピース、ツーピースの御婦人方」が集まって踊っていた。 これが昭和23年の若者たちの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1948 松尾鉱山で従業員募集。月収は1,600~6,000円(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手県と松尾鉱山では松尾鉱山の従業員を募集している。 月収は1,600円~6,000円。 どんな職種なら1,600円で、どんな職種なら6,000円だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1948 岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手医大では予科の補欠募集をしている。 昭和23年に学制改革する前の昭和22年に岩手医専は「岩手医科大学」としてギリギリ旧制医科大学となっている。 旧制の医大なので、中等学校を卒業したらまず「予科」に入ることになる。 たとえば旧制高校の無かった北海道では… 続きを読む
l全県 18 5月 1948 政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報より。 政府では「事務標準化」「生活安定」と目標として人員整理をすることとなった。 岩手県職員の定員は3,706名であったところ、このような定員整理を見越して、退職者を補充しない自然淘汰の形をとっており、この時点で3,065名になっており、特に人員整理を行わない方針であ… 続きを読む
m県外・参考 3 12月 1947 アメリカの産児調節相談所(昭和22年12月3日) 昭和22年12月3日の新岩手日報より。 広告欄には「アメリカの産児調節相談所」の広告。 別に盛岡など岩手県内に来る訳ではなく、東京の代理店的な所が新岩手日報に広告を出していたというもの。 内容はペッサリーの使い方なので、女性側の避妊方法ということのようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 12月 1947 沼宮内で北岩手古衣商同業組合の交換会(昭和22年12月3日) 昭和22年12月3日の新岩手日報より。 沼宮内で北岩手古衣商同業組合の交換会を開催するという。 古着に根強い需要があったということだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 12月 1947 県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) 昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1947 引き揚げ者援護のために歌謡コンクールやダンスパーテー(昭和22年12月1日) 昭和22年12月1日の新岩手日報より。 戦争が終わり、満州や朝鮮にいた人は引き揚げてきたわけだが、その経済的な貧窮は社会問題となっていた。 このために「角田屋事件」という誘拐事件まで起きたほどである。 これを憂慮してから、引揚者援護のために歌謡舞踊コンクールや大ダンスパーティーを開催すると言う事だっ… 続きを読む
g北上・和賀郡 24 9月 1947 和賀地区衣料品登録店立候補者名簿(昭和22年9月24日) 昭和22年9月24日の新岩手日報より。 和賀地区(北上周辺)の衣料品登録店立候補者名簿であるという。 立候補というからには投票などがあったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1947 岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) 昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。 … 続きを読む
l全県 2 9月 1947 ドラム缶風呂は1,180円(S22.9.2新岩手日報) 広告欄より。 ドラム缶風呂が売っていて、1,180円であったという。 ちなみに、昭和22年当時の東京都職員の平均給与が3,542円であった時代。… 続きを読む
l全県 2 9月 1947 タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!(昭和22年9月2日) 昭和22年9月2日の新岩手日報より。 広告欄には「タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!」と出ている。 どのようにして使うのかは不明。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 28 5月 1947 九戸郡中野村の義妹殺し(S22.5.28) 昭和22年5月28日、岩手県九戸郡中野村(現洋野町種市)で、弱視の23歳の女性が家を無断で出たまま行方不明となりました。前日の5月27日、被害者が外出していた様子が目撃されており、普段ほとんど外に出ない彼女の行動を不審に思われていました。家族や村人たちが捜索を行う中、5月31日、近隣の雑木林(八木山… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 9月 1946 日詰の秋祭りが10年ぶりに復活(昭和21年9月8日) 昭和21年9月8日の新岩手日報より。 日詰の秋祭りは10年ぶりに復活したのだと言う。 そして、さんさ踊り獅子舞や手踊りなどをにぎやかに繰り出したが、中でも人気があったのは鍛冶町各組から出た5つの樽神輿であったと言う。 紺の匂いも昔懐かしく、お揃いのハッピとねじりハチマキとわらじ姿でわっしょいわっしょ… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 28 8月 1946 赤痢予防に蠅討伐 昭和21年8月28日の岩手新報(岩手日報とは別)に、本当にそういう見出しで書いているのである。 気仙郡上有住村では、赤痢の蔓延に4千人の村民が悩まされていた。 それは薬剤不足による蠅の蔓延によるものである。 あまりの恐怖から、一家が食事をするときにまで蚊帳の中でするという始末。 隣の世田米町でも状況… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 28 8月 1946 花巻町の水道料値上げ 昭和21年8月28日の岩手新報(岩手日報とは別)の記事より。 稗貫郡花巻町では水道料金を値上げするという。 専用栓 1戸5人まで 5円→8円 1人増すごとに 15銭→35銭 支柱1戸 50銭→75銭 浴槽 50銭→75銭 牛馬1頭 50銭→75銭 共同栓 1戸5人まで 3円50銭→3円80銭 1人に… 続きを読む
m県外・参考 1 7月 1946 人気の「こどもしんぶん」(S21.7.1新岩手日報) この時期、新岩手日報では「こどもしんぶん」を発行していたようだ。 食糧難にあえぐ時期でも、このようなエクストラな消費をできるところはしていた、ということのようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1946 酒1升のために米3升の配給を辞退した人はいる?(S21.7.1新岩手日報) 読者からの投稿欄。 この時代は配給なしには生きられない時代であったが、「酒1勝の配給のためには米3升を辞退しなければいけない」ということになっていたようだが、それを実行した人はいたのだろうか?という花巻の人の問い。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 6月 1946 盛岡にはびこる偽のヤミ米摘発隊(昭和21年6月12日) 昭和21年7月1日の岩手日報より。 開運橋通りのある家に3人の男がやってきて「岩手地方世話部のものだが・・」と言う。 地方世話部というのは県庁に属し、軍人の恩給や復員に関する役所であった。 まだ復員していなかった長男の話でも聞けるのか?と思ったら「ヤミ米に関して調べたいから倉庫を見せてくれ」という。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 8月 1945 新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 7月 1945 上閉伊郡栗橋村では割当量の234%の松根油生産!(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 4~6月の第1期の松根油生産において、県下で最も優秀な成績をあげたのは上閉伊郡栗橋村で、割当量の実に23割4分の生産を達成したという。 これは、責任者が滅敵の闘魂を燃やして2里(8km)の道を、未明から夜の8時まで何があっても帰宅せずに奮闘したからであるという。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 12 7月 1945 二戸郡福岡では松根油生産死守に「七人の侍」(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 石油の採れない日本では、「ガソリンの一滴は血の一滴」で、木炭ガスで自動車を動かし、松根油で飛行機を飛ばそうとしていた。 この状況であるにもかかわらず、二戸郡福岡町の松根油生産状況は芳しくない状況であった。 そこで、福岡町農業会長は二戸国民動員署にこの実情を訴え、… 続きを読む