m県外・参考 7月 1日 1946 人気の「こどもしんぶん」(S21.7.1新岩手日報) この時期、新岩手日報では「こどもしんぶん」を発行していたようだ。 食糧難にあえぐ時期でも、このようなエクストラな消費をできるところはしていた、ということのようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 10日 1945 盛岡空襲 昭和20年3月10日、東京大空襲と同じ日に盛岡でも空襲があった。 翌3月11日の岩手日報では、裏面のトップでそれほど大きい扱いではないが、「本県に醜翼をあらわし盲爆を落とし、あわてふためきながら海上に脱去した」と、あくまで敵を醜悪に表現することにこれ努めたている。 「それでも市民は戦った」と、被害状… 続きを読む
l全県 1月 20日 1942 日独伊軍事協定が成立し、岩手県下でも新たな感激(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 見出しは「日独伊軍事協定成立の快報 県下に新たな感激」と題し、「待望の日独伊軍事協定がベルリンに於いて調印された」とのことで、「我が方参謀部長ならびに軍令部長の名を以て代理者がこれを行った巡潜たる軍事協定で・・・」とのことであった。 これは、1月18日に調印され… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 31日 1940 新岩手日報から8人目の従軍記者(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報より。 この時期は日中戦争期であり、連日その戦況が新聞で報じられていた。 誰が情報を発信していたかと言えば、それは各部隊に従軍記者が随行していたからである。 この従軍記者により、郷土出身の将兵の武勲が県民に伝えられていたのである。 そしてここに8人目の従軍記者を送るこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1939 JOQG盛岡放送局で岩手山麓から野鳥・イタチ・狸の声を放送(S14.7.1岩手日報) 当時のラジオでは、各地の野生動物の声を放送することがよくあったようだが、今度はJOQG盛岡放送局が岩手山麓から野鳥・イタチ・たぬきの声を放送するという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 7日 1938 JOQGラジオ盛岡放送局が開局 昭和13年8月7日、NHK盛岡放送局が開局した。 ただし当時は「NHK」という呼び方は一般的ではなく、JOQGというコールサインが一般的だったようである。 午前6時、「8月7日の朝が爽やかに明けました。皆さんおはようございます」のアナウンサーの第一声で放送が始まった。 午前10時からはスタジオで職員… 続きを読む
l全県 8月 7日 1938 「シャープ」ブランドは戦前からあった 半濁点売却騒ぎなどでTwitterでは勇名を馳せるあの「シャープ」であるが・・・ https://twitter.com/SHARP_JP/status/649795452095754240 じつは戦前から「シャープ」ブランドはあった模様。 昭和13年8月7日、NHKラジオ盛岡放送局の開局を祝う新岩… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1937 盛岡電燈のラヂオ大売出し!(昭和12年5月18日) 昭和12年5月18日の岩手日報より。 盛岡電燈ではラジオを大売出ししている。 4球ラジオで37〜38円であると言う。 ちなみに盛岡でラジオの放送が始まるのは翌昭和13年8月なので、この当時は仙台放送局で聴こえるものを聴いていたのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1934 祝・岩手日報社釜石支局新築(S9.9.5岩手日報) 岩手日報社の釜石支局が新築したという記事。 かつての岩手日報の社章も出ているが、これは旧岩手日報社で、現在の岩手日報の系統とは少し違う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1933 松屋の決算大売出し!(昭和8年2月1日) 昭和8年2月1日の岩手日報より。 松屋で決算大売出しをやるという広告を1面トップで扱っている。 昭和初期の岩手日報はたまにこんなのがあった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1932 公会堂の松屋デー(S7.11.1岩手日報) 岩手県公会堂で松屋デーとして特売会をやるという記事。 ところで、一面が広告になってる時代もあったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(昭和7年1月1日) 昭和7年1月1日の岩手日報より。 岩手日報では写真コンクールを行なっていたようで、「皆で笑って」という作品が入選したようである。 … 続きを読む
l全県 9月 6日 1931 岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(昭和6年9月6日) 昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の岩手日報の1面トップはなぜか「キング」の広告。 どこの新聞もこのようなことはあったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 31日 1929 紫波郡・気仙郡の度量衡取締主任が岩手日報本社見学(昭和4年8月31日) 昭和4年9月1日の岩手日報より。 紫波郡と気仙郡の度量衡取締主任40名は岩手日報の本社を見学した。 度量衡と言う事は、秤の精度とかに関することであろうか。 いずれにしろ、町村役場では重要な仕事であったようだ。 … 続きを読む
l全県 8月 30日 1929 岩手文化投票の中間集計(昭和4年8月30日) 昭和4年9月1日の岩手日報より。 この時期「岩手文化投票」と言うのをやっていたようで、毎日中間集計を行っている。 どのような人が投票資格があって、どのように投票して、上位を獲得すればどのようないいことがあるのかは不明であるが、いずれにしても順位は以下のようになっていた。 … 続きを読む