l全県 1月 1日 1927 昭和2年の元旦は「諒闇奉悼」(昭和2年1月1日) 大正天皇が崩御されて1週間ではさすがに喪は明けない。 一般であれば「喪中につき新年のご挨拶を辞退させていただきます」という所であるが、皇室が関係するとこれを「諒闇」という。 それで、昭和2年の元旦の新聞もこの通りである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 29日 1926 大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の岩手日報より。 大正天皇の崩御による第1期喪中(50日間)は、岩手日報で講演する催し物を一切「ご遠慮」することにしたのだという。 「恒例によるもの」という表現の仕方がよく分からないが、以下の行事は自粛しますということ? それとも「他の催しは自粛視点もこれだけは恒例通り行います」… 続きを読む
0_主要ニュース 12月 26日 1926 大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈… 続きを読む