a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 4月 1935 厨川小学校でひな祭り(昭和10年4月6日) 昭和10年4月6日の岩手日報より。 厨川小学校でひな祭りをやったというが、4月!? 岩手では旧暦でやっていたのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 3月 1935 釜石町に大火が発生し22戸が全焼(昭和10年3月7日) 昭和10年3月8日の岩手日報より。 3月7日の午前1時過ぎ、釜石町大渡3丁目から発火、22戸全焼したと言う火災が発生した。 出火と同時に、町役場では吏員が非常召集し救護に出動した。 そして、焼け出された避難民に炊き出しを行い、20日分の食料と、罹災資金20円、被覆は1人につき5円、学用品は3円を配給… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 盛岡・松屋デパートが少年店員募集(S10.3.3岩手日報) 盛岡の松屋デパートでは少年店員を募集していた。 15歳以上ということであったが、松屋デパートが閉店した昭和40年代には40代。 その閉店を見届けたこの時の少年店員もいたのだろうか。 … 続きを読む
l全県 3 3月 1935 事変従軍徽章は県内3000名(S10.3.3岩手日報) 「今次事変の従軍者」・・・とあるが、この時点の「事変」とは、昭和6〜7年の満州事変だろうか。 ともかくもその事変に従軍したのが岩手県内では3000名であるとのことで、その徽章が届いたと言うニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 三陸大津波2周年で県庁で避難演習(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 昭和8年3月3日、三陸大津波は岩手県にも甚大な被害を及ぼした。 そこから2年が経過し、岩手県庁では避難演習をしたのである。 想定としては「上閉伊郡釜石港に津波の襲来があり、本県海岸一帯人畜家屋の被害甚大、盛岡市内赤十字病院裏手より発火し目下北風にあおられて延焼中」… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1935 上閉伊郡金沢村では「村民絶対禁酒」(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 上閉伊郡金沢村では、更生村民大会において、村民は絶対禁酒で、この決まりを破ったら冷害の義援金を交付しないと言う決議を行った。 これは、同様に例外に苦しんでいた県内でも珍しいことであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 冬が去り、水がぬるんできたが、それと同時に盛岡の道はぬかるみでめちゃくちゃになっていた。 当時は、舗装していない道路がほとんどであった。 最もひどいのは、加賀野、天神町、上田、木伏、仙北町方面であったと言う。 この当時、水道工事も進んでおり、水道管の埋設工事のため… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 3月 1935 釜石〜宮古の定期自動車(昭和10年3月2日) 昭和10年3月2日の岩手日報より。 ここからには、釜石と宮古の間の定期自動車の広告が出ている。 釜石・大槌・山田・宮古の止まる場所の電話番号は書いているが、具体的な時刻は書いていない。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 3月 1935 樹齢550年の杉の大木が斬られて材木商で売られる(昭和10年3月2日) 昭和10年3月2日の岩手日報より。 内丸通りであるとのこと。 紫波の水分神社から、盛岡市本町の木材商で買った杉の大木は、数間ずつに切られて荷馬車で運ばれていったと言う。 この次の大木、根元は6尺5寸であり、高さは120尺位であり、値段は1200円だったと言う。 記事では、「550年前にこの件雨を出し… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 3月 1935 サンパウロに「愛宕村」を作りたい(S10.3.2岩手日報) 江刺郡愛宕村からブラジルへは、50家族150人余りが移住していたが、「サンパウロに愛宕村を作りたい」と意気盛んであった。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 3月 1935 炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。 曰く「私をどこかに世話してください」と。 この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。 しかし、昭… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1935 川徳も負けずに呉服・洋品春の売り出し(昭和10年3月1日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 肴町の川徳でも、松屋に負けずに春の大売り出しを開催する。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1935 盛岡・松屋デパートで春の新柄大売出し(昭和10年3月1日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 盛岡・松屋デパートでは、春の呉服や雑貨の新柄を離脱すると言う広告を出している。 もちろんこの時代なので、既製服ではなく布地を尺単位で売っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1935 騎兵第三旅団が花巻から繋温泉まで雪中行軍(S10.3.11岩手日報) 観武ヶ原を衛戍地とする騎兵第三旅団は、花巻で演習をしていたが、そこから御所村の繋温泉まで雪中行軍をするようにしたようだ。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 27 2月 1935 浄法寺村議会で放尿・乱闘さわぎ(昭和10年2月27日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 浄法寺村議会では、前の村長の功労金として、3500円を出すべく議案を提出した。 これに対して、傍聴者50名が議場に押し寄せて村長を罵倒するなどとなった。 15時ごろ、この件に不満を抱く村議会議員が、酒気を帯びて役場へ行き、「この功労金の議案を可決してみろ!ただでは… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 27 2月 1935 稗貫郡湯口村で県内初の村立病院(昭和10年2月27日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 稗貫郡湯口村では、村立病院を計画しており、2月27日の村議会で満場一致で決定された。 予算総額は7300円で、300円は用地日、5000円を建設費、2000円は設備費で、専属医師1名を置き、他に花巻共立病院や組合病院と協定して、毎日1回か2回、専門医の出張を求める… 続きを読む
l全県 8 2月 1935 凶作だった東北6県でなぜか郵便貯金の総額が増加 昭和10年2月8日の読売新聞より。 前年は東北6県は凶作であった。 しかし、仙台貯金支局で発表したところによると、昭和10年1月末現在の貯金額は160,837,346円(+2,154,451円)、人員は2,948,913人(+17,500人)であったという。 もともと東北地方の貯金は貧弱であったとこ… 続きを読む
l全県 10 9月 1934 東北・北海道の米咲は全く絶望で昭和6年以上の凶作予想(昭和9年9月10日) 昭和9年9月10日の岩手日報より。 昭和9年は、東北や北陸の水害、九州の干ばつ、それに関東・北陸・東北一帯の長雨という常軌を逸した天候で、全国的に水稲も作柄は悪いことがほぼ決定してしまった。 8月になって天候は回復したが、これも焼け石に水であり、場所によっては害虫や稲熱病等が発生し、農林省の調査によ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 9月 1934 盛岡・御園座で「純情の都」公開!(昭和9年9月6日) 昭和9年9月6日の岩手日報より。 盛岡・御園座では「純情の都」を公開する。 「純情の都」は、昭和8年11月23日初公開の作品で制作はPCL写真科学研究所。出演は千葉早智子・竹久千恵子・堤真佐子など。 この時代だったのでオールトーキーだったことも売りだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 9月 1934 盛岡・内丸座で「地上の星座」公開(昭和9年9月6日) 昭和9年9月6日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「地上の星座」を公開する。 「地上の星座」は、昭和9年5月17日初公開の松竹作品で、出演は川崎弘子・田中絹代・岡譲二など。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1934 祝・岩手日報社釜石支局新築(S9.9.5岩手日報) 岩手日報社の釜石支局が新築したという記事。 かつての岩手日報の社章も出ているが、これは旧岩手日報社で、現在の岩手日報の系統とは少し違う。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 9月 1934 岩谷堂で江刺農村婦人大会(昭和9年9月5日) 昭和9年9月11日の岩手日報より。 「青年のページ」として青年学校など青年に関するニュースが掲載されている。 その中で、写真1枚だけの記事として「江刺農村婦人大会」と掲載されている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1934 陸の覇者は下ノ橋、水の王者は城南…?(S9.9.3岩手日報) 盛岡市青年団連合競技会が行われ、陸上の部は下ノ橋、水泳の王者は城南であったという。 盛岡の人だと直感的に「下橋だったら中学校だし、城南だったら小学校じゃね?」という感じがするが、これはあくまで青年団の単位であるという。… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 9月 1934 祝・細浦〜大船渡間開通(S9.9.3岩手日報) 大船渡線の細浦〜大船渡間が開通した記事。 「三陸の宝庫開かれん」と喜びをあらわにしている。 … 続きを読む