a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 5月 1957 盛岡・東宝第一劇場で「あらくれ」公開(昭和32年5月29日) 昭和32年5月28日の岩手日報より。 盛岡・東宝第一劇場では「あらくれ」を公開する。 「あらくれ」は昭和32年5月22日初公開の東宝映画で、主演は高峰秀子。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 4月 1957 昭和32年の盛岡郵便局の一日局長は地裁所長 昭和32年4月24日の読売新聞岩手版より。 昭和32年4月24日読売新聞岩手版より。 「郵便週間」(4月20~28日)にちなみ、盛岡郵便局では市内の名士を「一日局長」に。 この年は盛岡地方裁判所長。 局長の手ほどきを受けながら慣れない手つきでスタンプを押していた。 また、新しく完成したばかりの郵便局… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1957 盛岡市内一周継走は一般が松尾鉱山B、高校は福岡高校が優勝(S32.4.22岩手日報) 盛岡市内1周継走が行われ、一般の部は松尾鉱山Bが、高校の部は福岡高校が優勝したと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1957 1,500円の二眼カメラ「ミューズフレックス」(昭和32年4月22日) 昭和32年4月22日の岩手日報の広告欄より。 仙台のコセキカメラは盛岡にも支店があり、岩手日報にも広告を出していた。 当時の大衆的二眼カメラ「ミューズフレックス」は、1,500円で買うことができた。 ミューズフレックスとはどのようなカメラであったか? 以下のページに概略が書いてある。 いわく「子供の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1957 川徳デパートではエスカレーターができました!大特売会します!(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 令和の今にあってもなお盛業中の川徳デパートは、現在の菜園ではなく昭和55年まではホットライン肴町の入り口の「ななっく」(2011年以前であれば「中三」)の場所にあった。 管理人もうっすらその時代を覚えている。 昭和31年に建てられたばかりの地下1階、地上… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1957 中国青年団は盛岡を見てハオハオの連発(S32.4.20岩手日報) 中国友好青年団は、全国を見て歩いていたが、盛岡に来て岩手大学の温室を見たり、わんこそばを食べたりしてハオハオの連発であったと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1957 中共から来た青年団がわんこそばに大喜び 昭和32年4月20日の読売新聞岩手版より。 中華人民共和国(当時は国交なし)から青年代表団5名が来日していたが、4月18日には青森から盛岡に来て繋温泉で宿泊。 翌19日には岩手大学農学部を見学し、阿部知事の招待に応じわんこそばで昼食会を行った。 この日の午後には県青年協会との交歓会に出席。 その後一… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1957 ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報より。 ソ連の核実験が伝えられ、上空のジェットの風下にあたる日本でも、戦々恐々となっていた。 そのような中、盛岡でも6665カウントの放射能が観測されたのだと言う。 ちなみに、カウントとベクレルの単位については以下のページを参照。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1957 盛岡市内の反物屋の広告「倍ヤールサービスしますよ!」(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市肴町の商店街の反物屋の広告は「倍ヤールサービスしますよ!」。 ヤールとはヤードがなまったものであるといい、繊維業界で使われていた。 令和の現在でも「ヤール」と言って通用するだろうか。 というか、反物から服を作るという習慣そのものが一般的ではなくなっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1957 盛岡市内の二番館の映画プレイガイド(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報の広告欄より。 「安く楽しめる本日の映画案内」とあるのでつまり二番館のこと。 銀映座やシネマミソノなどは二番館として安く映画を上映していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 4月 1957 盛岡で梅に続いて桜の開花(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 盛岡市北山の清養院では、17日の梅の開花に引き続き、18日には桜が咲いたと言う。 これは、いつもよりは4日ぐらい遅いのだそうだ。 ただし、気象庁のホームページによれば、今年の盛岡の桜の開花は4月27日と言うことになっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 4月 1957 岩手にも被爆者がいた(S32.4.3岩手日報) 広島の原爆から12年が経ったが、原爆症で療養している人は岩手にもいた。 原爆から8年が経過した昭和28年ごろ発病し、この時点で毎日輸血が必要な体になっていたのだという。 この時期、イギリスではクリスマス島で水爆実験を行うということが話題になっており、この抗議として「この体を見ろ」と取材に応じたもの。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 4月 1957 ザァマス眼鏡を買うなら盛岡の水晶堂ざます 昭和32年4月3日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の水晶堂時計店は令和となった今でも中の橋通り(バスセンターと岩銀中の橋支店の中間ぐらい)で盛業中でCMも出しているが、この当時に広告に出ているのはいわゆる「ザァマス眼鏡」。 トニー谷の全盛期でもあったざんす。 ・・・いや、昭和32年(19… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 3月 1957 盛岡・内丸座で「正義派」公開(昭和32年3月6日) 昭和32年3月7日の河北新報岩手版より。 盛岡の内丸座では、「正義派」を公開する。 「正義派」は、昭和32年2月20日初公開の松竹映画で、主演は佐田啓二と久我美子。 ちなみに、河北新報岩手版ではこれまで盛岡東映の映画広告しかなかったが、松竹系の内丸座の広告が登場したのはこの日が初めてである。 それで… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 2月 1957 盛岡市内学校案内(昭和32年2月20日) 昭和32年2月20日の河北新報岩手版より。 盛岡市内の学校案内。 生活学園は後年の盛岡大学付属高校、久保学園とは後年の盛岡女子高校から盛岡誠桜高校。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 2月 1957 ヤクルトは毎日配達1瓶6円!(昭和32年2月14日) 昭和32年2月14日の河北新報岩手版より。 ヤクルトの広告が出ている。 当時は1瓶6円で配達したらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1957 盛岡電話局は8月には自動化へ(S32.2.13河北新報) 当時の盛岡の電話は共電式であったが、自動電話化の工事が進んでいた。 盛岡電話局の局舎も新しくなり、8月にはそれが完成する見込みであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 2月 1957 盛岡東映で「若獅子大名」「花まつり男道中」を公開(昭和32年2月5日) 昭和32年2月5日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「若獅子大名」「花まつり男道中」を公開する。 いずれも昭和32年1月29日が初公開。 「若獅子大名」は、東千代之介が主演。 「花まつり男道中」は、市川右太衛門が主演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1957 岩手県内看護学校入学案内(昭和32年1月29日) 昭和32年1月29日の河北新報岩手版より。 看護学校の入学案内。 中卒程度の准看護師の方が需要があったのだろうか。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1957 盛岡東映で「母星子星」「恋染め浪人」を公開(昭和32年1月29日) 昭和32年1月29日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「母星子星」「恋染め浪人」を公開する。 いずれも、昭和32年1月22日公開作品。 「母星子星」は、三條美紀と松島トモ子が主演。 「恋染め浪人」は、大友柳太朗が主演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 1月 1957 この年の大寒は暖冬(昭和32年1月20日) 昭和32年1月21日の河北新報岩手版より。 盛岡市中ノ橋通りにて 1月20日と言えば大寒であったが、この日の盛岡は外でもオーバーを脱ぎたくなるような暖かさであったと言う。 前日に降った雪もすっかり溶けてほこりもまうと言う春のような天候であったと言う。 盛岡八幡宮の境内で行われた雪の芸術祭の雪蔵も、片… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 1月 1957 「病める子を背に」が国際写真サロンに日本人で唯一入賞(昭和32年1月19日) 昭和32年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市上田小学校の教諭は、「国際写真サロン」に日本人で唯一入賞したのだという。 水沢市若柳(?)で撮影した写真であるという。 ところで若柳であれば水沢市ではなく胆沢町では?という気もするが、令和4年現在はいずれにしても奥州市。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1957 部活勧誘を拒否した1年生に暴力沙汰(昭和32年1月16日) 昭和32年1月16日の岩手日報より。 盛岡一高で、ラグビー部やスケート部への勧誘を拒否した1年生に暴力を振るうという事件が発生し、警察沙汰となった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1957 東北各県の県都の正月風景(昭和32年1月5日) 昭和32年1月5日の河北新報岩手版より。 さすがは河北新報だけに、東北各地を俯瞰している。 左上;山形市内の目抜き通り 左下:福島市内の児童公園の冬籠もり 中央:青森市役所新庁舎から見た市内。 右上:盛岡市中ノ橋通り 右下:秋田市中央通りと 久保田町 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 1月 1957 川村松助北海道開発庁長官がお国入り(S32.1.3河北新報岩手版) 石橋内閣で北海道開発庁長官に任命された岩手県選出の川村松助がお国入りし。盛岡駅で万歳三唱した。 ちなみに、当時の盛岡の2大デパートであった「川徳」「松屋」の創業者は兄弟で、松屋の「松」は川村松助の松。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 1月 1957 岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日) 昭和32年1月3日の河北新報より。 県内各地では初売りとなった。 【盛岡】暖かい天気に恵まれ、人出が増えた。盛岡駅では乗降客が平日の二倍半という盛況。初荷は風船や小旗で飾り付けたトラックやオート三輪が市内を走り回っていた。圧巻は日通盛岡支店で、10時からボデーを飾りまくったトラックやオート三輪20台… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1957 盛岡東映で「旗本退屈男 謎の紅蓮塔」「恐怖の空中殺人」「七つの誓い」公開!(昭和32年1月1日) 昭和32年元旦の河北新報岩手版より。 盛岡東映では、1月2日まで「旗本退屈男 謎の紅蓮塔」、3日からは「恐怖の空中殺人」、同時上映として「七つの誓い」を公開する。 「旗本退屈男 謎の紅蓮塔」は昭和32年1月15日初公開の東映京都作品で、市川右太衛門・田代百合子等が出演。 「恐怖の空中殺人」は昭和31… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 5月 1956 盛岡日活で「太陽の季節」「雑居家族」封切り!(昭和31年5月25日) 昭和31年5月25日の岩手日報夕刊(つまり発行は5月24日)の広告欄より。 石原慎太郎の小説「太陽の季節」を日活で映画化し、盛岡でも日活劇場で封切することになった。 東京での公開は5月17日なので、1週間程度のタイムラグでの公開ということになる。 石原裕次郎のデビュー作としても知られるが、あくまでも… 続きを読む