a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 盛岡でウインタースポーツ幕開き(昭和27年1月7日) 昭和27年1月8日の岩手新報より。 7日は、盛岡市内でウインタースポーツの幕が切って落とされたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) 昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1952 寒の入りでスケート初滑り(昭和27年1月6日) 昭和27年1月6日の岩手新報より。 寒の入りとなり、盛岡では高松の池や上田田圃でスケートの初滑りが見られた。 まだまだ高松の池でスケートができる時代だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 10日 1951 美空ひばりが岩手県公会堂で東北地方初公演!(昭和26年8月10日) 昭和26年8月1日の「夕刊いわて」より。 美空ひばりが東北地方で初めて、岩手県公会堂で公演を行うのだという。 それは突如決まったことのようだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 9日 1951 東京大歌舞伎が盛岡劇場でお盆特別大興行!(昭和26年8月9日) 昭和26年8月1日の「夕刊いわて」より。 東京大歌舞伎が盛岡劇場で興行を行うという。 前売券は三百五十円とのこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 9日 1951 橋場線の盛岡駅北口復活して欲しい(昭和26年8月9日) 昭和26年8月9日の「夕刊いわて」より。 現在の田沢湖線は、秋田新幹線が走る影響で平成9年(1997年)から標準軌(1435mm)化し、盛岡駅の8~9番線から発車するようになっているが、これが「橋場線」だった頃、戦中~戦後の一時期は「盛岡駅北口」というのが新田町のあたりにあったようだ。 昭和19年1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 8日 1951 「盛岡銀座」肴町納涼祭の広告(昭和26年8月8日) 昭和26年8月8日の「夕刊いわて」より。 広告欄には肴町の納涼祭の広告が。 肴町は「盛岡銀座」をもって自認していたようである。 現在でもあるのは東山堂書店、繁田園、岩舘電気などであろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 7日 1951 8月10日に天才歌手・美空ひばり一行が来盛します!(昭和26年8月7日) 昭和26年8月7日の「夕刊いわて」より。 美空ひばり一行が盛岡に来るのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 5日 1951 土用の丑の日はみんなで牛肉を食べましょう!(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 8月5日日は土用の丑なので「う」の付く「牛」を食べましょうと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 5日 1951 保全経済会の盛岡支部は三戸町(本町通)にあった(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 保全経済会の支部は盛岡にもあった。 三戸町というので現在の本町通2〜3丁目にあったのだろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 「街の子」は盛岡にもいた(S26.8.3夕刊いわて) 昭和26年、美空ひばりは「私は街の子」をリリース。 「街の子」とは軒先で歌を歌ってお金をもらい歩いていた子供だ。 それは盛岡にもいたのだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 盛岡の河南にも電報が打てる郵便局を(S26.8.3夕刊いわて) この当時、盛岡で電報が打てるのは中央通にある盛岡電報電話局の他、駅前・本町・上田・仙北町と、仙北町以外は河北で、肴町・八幡町といった河南は電報の打てる所が無い状態だった。 仙北町駅前にしたって、明治橋を渡っていかないといけないわけで、そういう意味では狭義の「河南」には皆無という状態だった。 それで新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 慶應ボーイが自動車で東日本一周(S26.8.3岩手新報) 慶應義塾大学の学生数名が自動車で東京〜福島〜仙台〜盛岡〜青森〜新潟〜長野〜東京と東日本を一周するのだという。 そのついでに、岩手新報社に寄ったのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1951 盛岡鉄道管理局1周年のご挨拶(昭和26年8月2日) 昭和26年8月2日の「夕刊いわて」より。 盛岡鉄道管理局は開設され1周年を迎えた。 そこで幹部が挨拶広告。 当時の盛鉄局の問題も見て取れよう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1951 葺手町不動尊祭典(昭和26年8月2日) 昭和26年8月2日の「夕刊いわて」より。 盛岡市葺手町(バスセンター周辺)の長福院では祭典を行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 31日 1951 またまた女運ちゃん2名合格(昭和26年7月31日) 昭和26年7月31日の「夕刊いわて」より。 当時、運転免許自体を持つことが珍しかった時代、女性の運転手はもっと難しかった。 それでもまた2人合格者が出たと言うことで話題をさらった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 31日 1951 都市は電気設備から街の美化!(S26.7.31夕刊いわて) 広告欄より。 盛岡市内の電気工事業者の広告が掲載されているが、あの岩舘電気もある。 当時から肴町にあったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 29日 1951 盛岡市内の服地店では夏物一掃セール(昭和26年7月29日) 昭和26年7月29日の「夕刊いわて」より。 盛岡市内の服地店では夏物一掃セール。 7月末の時点なので、この時点から8月に服を作ったとしても着るのは秋頃になるわけで、もう「一掃」ムードだったのだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 29日 1951 乙部村手代森に県下一の消防車(S26.7.29夕刊いわて) 紫波郡乙部村手代森(後の都南村手代森、現盛岡市)部落では、県下一の消防車を買うことにしたと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 29日 1951 盛岡・シネマミソノで「どっこい生きてる」封切!(昭和26年7月29日) 昭和26年7月29日の「夕刊いわて」より。 盛岡・生姜町(肴町から八幡町に行く通り)のシネマミソノでは「どっこい生きてる」を封切する。 「どっこい生きてる」は昭和26年7月7日公開の北星映画というマイナーな映画社の配給であったが、この年のキネマ旬報ベスト5に輝いている。 日雇い労働者をテーマにした今… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 27日 1951 盛岡市内各病院「赤痢に御用心!」(昭和26年7月27日) 昭和26年7月27日の「夕刊いわて」より。 盛岡市内の各病院が赤痢への警告を発している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 26日 1951 八日町・四ツ家町連合中元大売出し(昭和26年7月26日) 昭和26年7月26日の「夕刊いわて」より。 盛岡の八日町・四ツ家町では連合して中元の大売り出しをするという。 いずれも現在の本町通。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 21日 1951 盛岡・内丸座で「カルメン故郷に帰る」公開!(昭和26年7月21日) 昭和26年7月21日の「夕刊いわて」より。 盛岡の内丸座では「カルメン故郷に帰る」を上映する。 「カルメン故郷に帰る」は昭和26年3月21日公開の松竹映画で、高峰秀子がストリッパー役で出るというもの。 同作は、鉄道マニアの間では「草軽電鉄(軽井沢~草津温泉。昭和37年廃止)がカラーで見… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 20日 1951 海の記念日は盛岡市内の魚屋で「魚まつり」!(昭和26年7月20日) 昭和26年7月20日の「夕刊いわて」より。 7月20日は昔から「海の記念日」だったようで、盛岡市内の魚屋ではキャンペーン。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 19日 1951 夏は工場直送の生ビールで!(昭和26年7月19日) 昭和26年7月19日の「夕刊いわて」より。 夏だけにビヤホールの広告が出ている。 価格は出ていない。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 14日 1951 「レントゲン自動車」お目見え(昭和26年7月13日) 昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 結核を撲滅するために、岩手県では、レントゲン撮影機などを装備したレントゲン自動車を2,500,000円で購入し、7月13日にお目見えした。 7月16日からは、久慈や岩泉の保健所管内の奥地を皮切りに、結核予防法の対象になっている学校や事業所等の集団撮影を行う… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 14日 1951 盛岡の呉服店で夏物処分セール(昭和26年7月14日) 昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 盛岡の呉服店では夏物の投げ売りセールをやっている。 … 続きを読む