g北上・和賀郡

【参考】中央本線・上諏訪駅が「温泉駅」に(S61.9.16中日ニュース) g北上・和賀郡

【参考】中央本線・上諏訪駅が「温泉駅」に(S61.9.16中日ニュース)

膨大な赤字に悩んでいた国鉄なりにも、あの手この手で名物駅にしようと営業努力をしていた。 そのような中で、中央本線上諏訪駅は、「温泉駅」として、乗客に人気となっていた。 ちなみに、岩手県内では、北上線の陸中川尻駅が「ほっとゆだ駅」となるのは、この5年後の平成3年のこと。 https://youtu.b…
北上で聾啞の男が老婆を絞殺(昭和42年5月4日) g北上・和賀郡

北上で聾啞の男が老婆を絞殺(昭和42年5月4日)

昭和42年5月4日の早朝、北上市内の山林で老婆の絞殺死体が発見された。 老婆は前日3日の朝、山菜取りに出かけたが、夜になっても帰宅しなかったので家人が自家所有の山林を探し回っていたら、杉林の中で死体となっていたのである。 北上署は、近隣の不良を中心に怨恨と痴情の線で捜査を展開することとした。 また、…
横黒線に強力除雪機関車「DD14」が出動!(昭和41年2月2日) g北上・和賀郡

横黒線に強力除雪機関車「DD14」が出動!(昭和41年2月2日)

昭和41年2月2~3日の岩手日報より。 県内有数の積雪地帯を走る横黒線では、この冬は記録的な豪雪に悩まされていた。 昭和40年12月~41年1月の間で、102本の列車が運休。 応援として盛鉄局管内の青森機関区や、秋鉄局に属する横手機関区からラッセル車を応援させていたほか、雪崩危険個所のヘリコプターに…
北上の九年橋ですれ違い規制を施行 g北上・和賀郡

北上の九年橋ですれ違い規制を施行

昭和39年12月25日の岩手日報より。 北上市の南の玄関となる国道4号線の九年橋は、幅が5.5mしかなく渋滞や事故の原因となっており、この当時の一級国道としても全国定期に悪名高い難所となっていた。 交通事故は昭和38年に6件であったものが、昭和39年には19件と3倍以上に増えていた。 この幅5.5m…
岩手中央バス・岩手県南バス「帰省はふるさとのバスで!」(昭和39年12月21日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手中央バス・岩手県南バス「帰省はふるさとのバスで!」(昭和39年12月21日)

昭和39年12月21日の岩手日報より。 国道4号線の整備などにより、帰省ラッシュは鉄道以外にもバスで行うのも盛んになってきた。 岩手中央バスは前年の昭和38年末には30台のバスを東京に送って帰省輸送を行った。 この年は40代で輸送を行うと意気込んでおり、集団就職を受け入れた事業所に営業をかけていた。…
北上機関支区の職員が廃物で防煙マスクを考案(昭和38年4月5日) g北上・和賀郡

北上機関支区の職員が廃物で防煙マスクを考案(昭和38年4月5日)

昭和38年4月5日の岩手日報より。 この前の年の12月、横黒線は和賀仙人から陸中川尻の間の14.5キロが、ダム建設で水没するため、線路が山手に切り替えられた。このことで勾配が急になりトンネルも6つが新設されることになったのである。 これまで、この区間を走る機関車の機関士は、旧軍隊が作った防毒マスクを…
花巻のDQN中学生3人組が水沢駅前で前で御用(昭和37年6月7日) f花巻・稗貫郡

花巻のDQN中学生3人組が水沢駅前で前で御用(昭和37年6月7日)

昭和37年6月9日の胆江日日新聞より。 花巻のDQN中学生3人組が、花巻市内の雑貨店や、北上の黒沢尻東小学校に侵入して盗みを働き、その金でタクシーで水沢まで来たところ、水沢駅前交番の警察官に御用になったのだという。 終戦から17年が経過していたが「アプレ」という言い方は健在だったようだ。  …
湯田村でダイナマイト盗まれる(昭和36年11月15日) g北上・和賀郡

湯田村でダイナマイト盗まれる(昭和36年11月15日)

昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市の火薬店では、和賀郡湯田村の国有林内に倉庫を持っていた。 そこに、11月15日の未明に賊が侵入してダイナマイトを盗んで行ったというのである。 物騒なものが盗まれたというので、所轄の北上署から水沢署に連絡があり、緊急体制を開始したという。  …
北上で東北最後の馬市(昭和34年12月2日) g北上・和賀郡

北上で東北最後の馬市(昭和34年12月2日)

昭和34年12月2日の岩手日報より。 このシーズンでは東北で最後に開催される北上の馬市は、北上市馬検場で北海道産馬1000頭を集めて開催された。 まだ農耕や移動には馬力が必要だった時代である。 北上(黒沢尻)の馬市は、東北で最後の「おせり」として、関東や関西からも集まるにぎやかなものであったという。…
花巻のDQNが土沢で強盗殺人(昭和32年4月19日) f花巻・稗貫郡

花巻のDQNが土沢で強盗殺人(昭和32年4月19日)

昭和32年4月19日の明け方のこと。 花巻警察署東和派出所に「農協の土沢支所に賊が入って宿直員を殺して逃げた」という通報が入った。 農協に駆けつけてみると、宿直員が頭を割られて瀕死の重傷だ。 直ちに県立東和病院に運ばれた。 状況としては。4月19日に日が変わった午前3時ごろ、階下の事務室で不審な物音…
北上市立養老院開院 g北上・和賀郡

北上市立養老院開院

昭和32年4月19日の読売新聞岩手版では、北上市常盤台に市立養老院がオープンしたことを報じている。 総費790万円で収容定員は60名という。 現在は民間に委託して、北上市鬼柳の「北星荘」となっている。    …
盛岡の商家女中による殺人放火事件(昭和31年2月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の商家女中による殺人放火事件(昭和31年2月7日)

昭和31年2月の7日に日が変わった2時頃のこと。 擬宝珠で有名な下ノ橋のすぐ近くの鷹匠小路にある広壮な商家が火事になっている! あまりに火の回りが早く、とても消すことはできなかった。 それでも隣の自転車店に類焼しただけで、大火には至らなかった。 その商家からは、女将と高校生の次男が遺体で発見された。…
和賀地方では近年にない豪雪でバスが走れず馬ソリ出動(昭和31年2月5日) g北上・和賀郡

和賀地方では近年にない豪雪でバスが走れず馬ソリ出動(昭和31年2月5日)

昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 それでなくとも湯田村や沢内村といった和賀郡西部は岩手県内で最も積雪のある地方であった。 ところがこの冬は、それに輪をかけた豪雪となり、湯田村川尻では5日現在で230cmと数十年ぶりの記録的な豪雪であったという。 これでは車は走れず、郵便配達人や警察官はスキー…
横黒線にジョルダン式雪かき車が出動(昭和31年1月27日) g北上・和賀郡

横黒線にジョルダン式雪かき車が出動(昭和31年1月27日)

昭和31年1月29日の岩手日報より。 岩手県内でどこが最も雪が積もるかといえば、何といっても西和賀地方である。 その西和賀地方を走る北上線―――当時の呼び方であれば横黒線はこの年も除雪に苦労していた。 それで、横黒線にはラッセル車どころかより広幅のジョルダン式雪かき車が配属されていた。 この年は「例…
県立六原農場が牛乳を市販するのは民業圧迫(昭和30年8月6日) g北上・和賀郡

県立六原農場が牛乳を市販するのは民業圧迫(昭和30年8月6日)

昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 戦前の知事官選制の時代にあって岩手県知事を6年勤めた石黒英彦により創設された国粋主義的農業教育施設「六原道場」は戦後、県立六原農場として再出発していた。 そしてこの時は、生産していた牛乳を北上市内で安く売るなどしていたようである。 このことに対し、北上市内の…
バス転落事故の現場を見に行こうとした野次馬のオート三輪が転落し死傷(昭和30年5月14日) f花巻・稗貫郡

バス転落事故の現場を見に行こうとした野次馬のオート三輪が転落し死傷(昭和30年5月14日)

稗貫郡花巻町が市になって翌年の花巻市内のダンスホールにて。 「おい、バスが橋から落ちたんだってよ!」 「ほんとに!?どこで!?」 「飯豊橋だって」 「北上に行く方の!?」 「行ってみるべ!」 31歳のマダムと25歳の客は、後輩になる22歳の八百屋の店員にオート三輪を出させて夜の4号線を北上に向かって…
北上バス転落事故(昭和30年5月14日) f花巻・稗貫郡

北上バス転落事故(昭和30年5月14日)

瀬戸内海で宇高連絡船紫雲丸が沈没し多くの修学旅行生が犠牲になって3日後の昭和30年5月14日のこと。 稗貫郡石鳥谷町の八日市小学校の修学旅行帰りの小学生を乗せ松島から来たた花巻電鉄の貸切バスは、夜の国道4号線を北に上り学校に戻ろうとしていた。 飯豊橋のあたりで向こうから藁を満載したお百姓さんの自転車…
岩手県南バスと羽後交通が湯本温泉~横手に路線開業(昭和29年9月1日) g北上・和賀郡

岩手県南バスと羽後交通が湯本温泉~横手に路線開業(昭和29年9月1日)

昭和29年8月31日の岩手日報より。 湯本温泉~横手間にバスが開業するという。 運行会社は岩手県南バスと羽後交通。 時刻は以下の通り。 湯本発 8:00、10:30、17:00 横手発 8:00、10:30、16:30 主な停留所は以下の通り。 湯本、湯ノ沢、川尻、湯田駅前、野々宿、県境、黒沢、相野…
岩手県出身者も無傷ではなかった近江絹糸争議(昭和29年7月14日) g北上・和賀郡

岩手県出身者も無傷ではなかった近江絹糸争議(昭和29年7月14日)

近江絹糸争議は、日本の労働運動史上でも有名な事件として今でも語り継がれている。 「近江」というくらいなので、中心は滋賀県であり、全国の事業所でも争議は発生していたが、岩手県に近江絹糸の事業所はなかった。 しかし、岩手県出身者も働いており、全く無関係と言うわけではなかった。 県人負傷 昭和29年7月1…